先日、引っ越をしたのですが

20代のときからいつも誰かとルームシェアをしており一人暮らしするのが超久しぶりなので家具を色々そろえてみようと思い、インテリアコーディネーターの人にお願いしてみたのですが(自分みたいな家ダニがインテリアコーディネーターとかすみません)

部屋で打ち合わせをしているときに、コーディネーターの人が誤って部屋の唯一の家具の白いソファにボールペンで線を引いてしまったんですね。

僕は、基本的に物に執着心がないというのもあるのですが

そのとき、コーディネーターの人にすごく感情移入してしまい、

というのも、その人は部屋を奇麗にするために来ているわけで

それでソファを汚してしまったら、その人の落ち込みがハンパないわけじゃないですか。

それで、やっぱりその人は顔を真っ青にしていたので

「全然気にしないんで大丈夫です」

と言うんですけど

「絶対に消します!」

という感じになって

「中性洗剤ありますか?」

と聞かれたのですが、引っ越したばかりだったのでなかったのですが

「では、買ってきます!」

とコーディネーターの人は中性洗剤を買いに行ったのですが

油性のボールペンだったの中性洗剤で洗っても落ちなかったんですね。

それで僕は本当に気にしてないから大丈夫って言ったのですがやはりあきらめてもらえないんで


(これはもうこのボールペンの跡を消すしかないな)


と思い、色々探してみたのですが


靴を奇麗にするスプレーを見つけたので使ってみたんですけど落ちなくて


靴掃除の箱の中を漁っていたら、


一度も使ってなかった靴用の消しゴムが出てきまして、


こんなの買った覚えないんですけど(これならなんとかなるかも)と思って


それを使ったら少し落ちたので


(これだ!)


と思って猛烈に擦っていたら汚れが落ちたんです。


それで「やりましたよ!」と言って振り返ったのですが


そのときコーディネーターの人が本当にホッとした顔をしていて




(さすがに今日は良いことしたなぁ。もし神様がこれを見ていたら回り回って良いことを返してくれるに違えねえ)




と思ったのですが、


コーディネーターの人と打ち合わせが終わってから、ふと、あることを思い出しました。


それは、何ヵ月も前にかなりお気に入りのスウェードの靴を汚してしまってすごくヘコんでいて
「一度店に持っていかないとダメだな」と思っていたのですが、


(あ、そういえばさっき見つけた消しゴムがあるぞ)


と思い、試しに使ってみたんですよ。



そしたら、汚れが完璧に落ちまして


そのスウェードの靴は僕の一番のお気に入りだったのでめちゃめちゃうれしくて



(やっぱり神様が見ててくれたんかいな!)



と思って感動したのですが




すみません、前置きが長くなりましたがここからが本題です




「『人に良いことをしたら回り回って自分に返ってくる』というのはある種の『信仰』として考えられていますが実は、単なる確率の問題なのではないか」


と直感したのです。


そこで改めて今回の状況を整理してみたいのですが


コーディネーターの人がソファを汚したとき僕には2つの選択肢があります。


A【コーディネーターを責める】


B【コーディネーターを助ける】



また、それは



A【コーディネーターを責める】(批判)


B【コーディネーターを助ける】(愛)



と表現することもできるでしょう。


そこでAの選択を採用した場合、

僕はコーディネーターの問題点を探して指摘します。

責められたコーディネーターは、何とか汚れを落とそうとします。

責められれば責められるほど、「何とかしよう」の度合いが大きくなります。

これは、

僕が相手に「課題」を出し、相手は出された「課題」をクリアするという力学が働いているわけで


つまり、言い方を換えれば


僕が相手に「成長を促している」ということになります。


それでは、逆に、Bの【コーディネーターを助ける】を選択した場合は、


コーディネーターの存在がすでに「課題」であり、それを僕がクリアするという流れになります。


この場合、コーディネーターが「促す」側であり、僕は「成長」する側ということになります。



つまり今回のことで僕が「成長」したからこそ、今までできなかった「課題」である「スウェードの靴の汚れを落とす」


ことが可能になりました。


つまり、ざっくり言うと、人間関係には


「促す側」と「成長する側」


という2つの役割があり、


「成長する側」を選ぶということは「愛」を選ぶということであり、



「愛」=「成長(能力の向上)」≒「魅力の向上」≒「収入の向上」



となります。


逆に批判するのは「促す側」であり、自分は成長せず誰かにとっての「課題」としてその場に留まることになり、それはいわば「登られるべき階段の一段」として自分をみなすことになります。


こう考えると



「人に良いことをすると回り回って自分に返ってくる」



という信仰は科学的に言えば



「人に良いことをすると『成長』して、違う機会において自分にとって良い結果をもたらす確率が上がる」



と言い換えることができそうです。



今後は、「愛」が相手だけではなく自分にとって良いことであることが、もっと常識化していくような気がしています。







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