今日、餃子の王将で中華飯を食べてたら、白菜の下からウズラ卵がひょっこり出てきまして
「ウヒョヒョ!」
となったんですけど、
よく「お金で買えないものはない」とか「お金でも買えないものがある」とか議論されますけど
この「ウヒョヒョ!」こそがお金で買えないものなんじゃないかと思いました。
僕の行きつけの餃子の王将の中華飯にはウズラ卵はたいがい1個入っており、つまり、たまに入ってないときがあるんですけど、
そういうときは
「ガーン!」
となるわけですが、しかし、この「ガーン!」があるからこそ「ウヒョヒョ!」が存在すると言えるわけで、
この「ガーン!」はお金で買えないからこそ「ウヒョヒョ!」が存在するとも言えるわけで
たとえば高級フランス料理店に行って
「通常の2倍の料金を払うから、キャビアを出したり出さなかったりしてくれ」
と言ったとしたら
「お客様?」
となり、
「だから、通常の2倍の料金を払うから、キャビアの出現をアットランダムにしてくれと言っているんだ!」
「あ、あの……」
「分かんねーかな。キャビアを『はぐれメタル』にしろってことだよ!」
「……お客様、お引き取りください」
となるわけです。
では、逆に、餃子の王将で
「通常の料金の2倍払うから、ウズラ卵を10個入れてくれ」
と言ったとしたら、これは可能かもしれませんが、
それはやはり「ウヒョヒョ感」ゼロであり、
●「鳥のから揚げ」を注文したところ「鳥のから揚げ」が出てきた
と何の違いもありません。
あくまで、中華飯という、色んな野菜が乗っている、その中のどこかにウズラが隠れている、場合によっては隠れていないかもしれない、という状態こそが「ウヒョヒョ!」を演出してくれてるわけです。
つまり、この「ウヒョヒョ感」は決してお金では買えず、
たとえば
「駅前に自転車を置いて撤去されたと思って超ヘコんでたら、その日に限って違う場所に止めてた」
とか
「地下鉄の出口がAからDまでめちゃくちゃたくさんあって、『ああ、もうとりあえずA12でええわ!』と思って出てみたところビンゴだった」
とか
「今日に限って野良猫が逃げなかった」
とか
「そばつゆにそば湯を入れたら一発で絶妙な配合になった」
とか
「オナラが出て『やべ、これ実が出たバージョンじゃねーか!?』と不安になってトイレに駆けこんだところ、スカシバージョンだった」
とか
そういう人生の中で起きる「ウヒョヒョ」に注目していくことがタダで幸せになる秘訣なのかなあと思いました。
少なくとも、今日はウズラ卵のお陰で気分が良かったです。