新橋駅から自宅に帰る途中に、突然僕の頭の近くをあるものが横切ったので、


自分でも驚くくらい勝手に体が反応して、すばやく身をかわしたのですが


僕の頭に近づいてきたものは



■ アシナガバチ



でした。


僕は田舎育ちで、幼い頃は毎日外で虫を採っていたので

よくヘビに噛まれたりハチに刺されたりしていたのですが、

アシナガバチって飛び方が特有なんです。

ゆっくりまっすぐ飛ぶんですよね。

それで、当時もアシナガバチを見つけたらすぐに警戒していたのですが

そのときの記憶がまだ僕の身体に残っていて、


「ヤベぇ! アシナガきた!」


となって、0.1秒くらいで反応して身をかわしたんです。


それで、飛んでいくアシナガバチの背中を見ながら


「うわぁ、アシナガバチめっちゃ懐かしいわ~」


って思ってたんですけど、


よくよく考えたら新橋にアシナガバチがいるってことは、


これはもう日本中に相当いるってことですよね。


僕の実家にいるハチと言えば10中8、9「アシナガバチ」でしたし、


逆に「スズメバチ」なんて超レアモノでしたから、


「刺されたら死ぬ」可能性があるにも関わらず捕まえようとしてましたからね。


親からめちゃめちゃ怒られましたけど。


そんなことを思い出しながら歩いてたんですけど、今度は


「なんで日本ではこんなにアシナガバチが多いんだろう?」という疑問がわいてきました。


というのも、強さで言ったら、絶対スズメバチなんですよ。


アシナガバチのチームワークが相当良いとかそういう理由がない限り、スズメバチに瞬殺されます。


にも関わらず、日本全国で考えたら圧倒的にアシナガバチの方が多い。


その理由は今言った「チームワーク」とか「何を食料にするか」とかもあると思うんですけど、


その大きな理由として、


「スズメバチくらい強くなってしまうと人間に駆逐されてしまうから」


だと思いました。


アシナガバチは、刺されると痛いですけど、痛い程度で命には何の問題もありません。


昔、ウチの兄貴が3匹のアシナガバチに襲われているのを見たことがありますが、


その光景は、「進撃の巨人」で巨人と戦う兵士たちのようでしたが(兄貴が巨人です)


結局、兄貴は頭を2か所刺されて泣いてましたが、赤くなってただけで全然大丈夫でしたからね。


でも、だからこそ、スズメバチに比べて増えることができたと思うんです。


もしあのとき兄貴が襲われたのがスズメバチだったら、


水野家の両親は仕事も放りだしてスズメバチ駆除にあたってたと思うんですよ。


そして、これはハチに限った話ではなくて、


ある生物の「強さ」と「個体数」が一定以上になり、人間にとって「脅威」になると


その生物は必ず減少することになります。


たとえば、最近カラスが増えていますが、これ以上カラスが増えるようだと、


間違いなく、近年、カラスは激減することになるでしょう。


人間を怒らせてしまうとガチで駆逐されるからです。


カラスは鳥の中で「初めて道具を使った、最も知能の高い鳥」と言われていますが、


「能ある鷹は爪を隠す」ということわざの「鷹」ほどは頭がよくないということになりそうです。


さらに、これは植物の世界でも言えることで、


たとえば「アーモンド」っていうのはおかしな植物で


というか、もっと言うと「超激バカ」な植物で、


なんと言っても「種」がおいしいわけですから、


これは種の保存において、最悪の進化です。


普通の植物――たとえばリンゴ――は「実」はおいしいですが、「種」は食べれません。


その理由は、実をおいしくすることによって、動物に食べさせて、でも種は食べられないから捨ててしまうので、動物を使って「リンゴ」の種を運ばせるという、種を増やしていく上で効果的な方法を採用しています。


つまり、アーモンドの「種がおいしい」というのは





「ウチの子どもをバンバン殺してくれ」





という意志表示であり、狂気の沙汰であるわけです。



でも、実は、アーモンドって昔は食べられなかったんですよ。



というか、食べられなかったなんてもんじゃなくて、アーモンドは「毒」だったのです。



しかし、何年も育っていくうちに、突然変異によって


「毒のない種」を持つアーモンド――これはいわば奇形です――が生まれ


その奇形のアーモンドを食べた人間が、「これめっちゃうまいじゃん」となり、


「毒のない種」を持つアーモンドがどんどん栽培され、


現在、世界にあるアーモンドのほとんどは、その奇形種となりました。



つまり、ここでも、スズメバチの例と同じく


生物の繁栄を決めているのは


「生物として優れた能力を持っているか」


ではなく


「人間にとって有益がどうか」


ということになります。



で、


そのことを考えていたら、ふと、僕がずっと前から疑問に思っていたことが腑に落ちたんですよね。


それは、



「大企業の取締役になる人は、必ずしも優秀な人ではない」


ということがよく言われるのですが、


このことがすごく疑問で


「優秀な人の権限が多いほうが会社にとって利益になるはずだから、結局は優秀な人が出世することになるのではないか、だから、『優秀じゃない人が出世する』というのは優秀じゃない人の負け惜しみじゃないのか」


と思っていたのですが、


生物界を冷静に見てみれば



生物界で優れた力を持つ「スズメバチ」や「カラス」が繁栄できないのと同じで



「トップの人間にとって、有益か、不利益か」


によって、その個体数(出世できるかどうか)が決められているんですね。



つまり、「優秀じゃない人が生き残るのは」むしろ「自然」なことなのです。



逆に、トップの人間が生殺与奪権を持っていない状態


群雄割拠の生物界のような状態になると最も優秀な生物が勝利することになります。


たとえば「戦国時代」における「織田信長」は間違いなく最も戦争の上手な人間でした。


しかし、徳川が牛耳る「江戸時代」では優秀な人間は出世できずに殺されたりしたことも多々あったでしょう。実際に、強い力を持った藩は攻撃されたり、土地を没収されていました。


そして、ビジネスで言えば、個人事業や起業することは「戦国時代」であり、


組織(大企業)に属するということは「江戸時代」であり、


そこでは、


スズメバチになるか、アシナガバチになるか


カラスになるか、ハトになるかの選択を迫られることになります。



戦国時代では、ハトはカラスに殺されますが、


江戸時代では、カラスはある日突然惨殺され、ハトが生き残ることになります。