昨日まで1週間ほどニューヨークに行ってきたんですけど、

改めて「アメリカっていうのは本当に素晴らしい国だな」と思ったのは、



僕に対する「ナメ」がハンパないんですよね。



空港の荷物チェックのところで検査官にしゃべりかけられたんですけど、僕は英語がまったく話せないんでキョトンとしてましたら、

――ちなみに、皆さんもご存じのとおり、僕の「キョトン」はただのキョトンじゃないというか

つぶらな瞳をキラキラさせた愛くるしさ溢れる「キョトン」なわけですけど

それはもはや「キョトン」ではなく「キャピン」くらいの可愛いさなんですけど

その「キャピン」ですらアメリカの検査官には通じなかったみたいで、いきなり僕の靴をつかんで、荷物チェックする場所にブン投げてましたからね。

久々の海外旅行ってことで、一番お気に入りの革靴履いていったんですけどね。

このとき僕に英語がしゃべれたら


「お前たちのそういうとこが、『ヒロシマ』と『ナガサキ』を生んだんだよ!」


って言ってやりたかったですけど、結果的に



(あ、俺のお気に入りの靴がブン投げられてらぁ……)


と思いながら立ち尽くすことしかできませんでしたよね。


しかもそいつの捨て台詞が


「ランゲージ イズ ベリーウェル」

(お前は英語がよくできるな)


でしたからね。


その言葉だけ、聞き取れたんですよ。


唯一聞き取れた英語が「皮肉」でしたから。


と、まあ入国前からこんな調子だったんでね、


入国後は、それはそれはすごい「ナメ」に晒されました。



たとえば、お酒頼んだら「ID見せろ」って言われましたよね。


(なんでかな?)


って思いながら、ガイドブックに「パスポートは常に携帯すること」って書いてあったので持っていたパスポート見せたところ



「サーティシックス!?」


って言われましたからね。



僕のこと未成年だと思ったみたいなんですよ。



もし僕に英語がしゃべれたら


「そんなに若く見てもらえてうれしいなぁ。やっぱり肌のツヤが原因かなぁ」


なんて返すべき場面ですけど、そのとき僕にできたことは、




「ラムコーク、プリーズ」




と半泣きで注文することだけでしたからね。



「ジェントルマンズクラブ」っていうのに行ったんですよ。


ジェントルマンズクラブっていうのは、アメリカで言うところのストリップバーなんですけど、


英語しゃべれないのになんでそんなとこ行くんだよってことなんですけど、


やはり、水野は日本を代表するジェントルマンなんで行かざるを得なかったわけですけど、


お金を払うと目の前で踊ってくれるシステムになってるんですよね。


それでせっかく来たんだからと目の前で踊ってもらってたんですけど、


ふと、



(あれ? この人さっきからずっと踊ってるけど、その間も料金が加算されてるんじゃないか?)


って不安になってきまして


「あなたの今踊ってるダンスは、僕が払った料金内のサービスですか?」


って言いたかったんですけど、どうやってもその言葉が英語で表現できず、


これは一刻の猶予も許さないってことで、携帯電話でgoogle開いて


英単語のアルクのページ開いて


「範囲内」


って単語を調べたら


「in range」


って出てきたんで


「ユア ダンス イン レインジ マイ マネー?」


って言ったんですけどまったく通じず、

アルクのページ見せて指差したんですけど、

ダンサーの女の眉間にとんでもないしわが寄りまして、

(これはいかん!)ってことで、気づいたときには


「ストップ ダンス プリーズ!」


って叫んでましたよね。



大学受験のとき、模試で英語の偏差値75だったんですけどね。


その結果、36歳になって、ストリッパーに対して、


「ストップ ダンス、プリーズ!」


でしたからね。




両手を「×」の形にして叫んでましたからね。




そんなわけで、旅行の後半はホテルの部屋でずっと英語勉強してました。


アメリカまで来たホテルで英語会話集見ながら



Thank you for your trouble.(お手数おかけました)



とか口に出して練習してました。



ただ、正直、今回の件で、アメリカは眠れる獅子を起こすことになりましたよね。


水野は、これまで誰かの「ナメ」に対して、対抗する形で成長を遂げてきたわけじゃないですか。


今の僕があるのも、中学3年の文化祭で、学年で一番モテる吉田くんという男を見るために女子校生たちが僕のクラスを埋め尽くし、僕が荷物を取りにいくために中に入ろうとしたら
「あんた邪魔だからどいて」
って言われたことがきっかけですからね。

僕の教室なんですよ?

それなのに「邪魔だからどいて」ですからね。

あのときの悔しさが水野敬也という名のモンスターを作る引き金になったわけですから。


今回の旅行で僕はアメリカにナメられまくりましたけど


もはや、水野飴(アメ)也でしたけど


略して水飴でしたけど


やっぱり、僕たちの先祖も、こういう「ナメ」に対して戦った結果


ジャパン アズ ナンバーワン


の奇跡を獲得したわけなんでね、


僕にとってのアメリカが


「飴リカ」


になる日もそう遠くはないことをここに予言しておきます。