兵庫県知事斎藤氏を見ていると以下のように感じる

 

1)本人に悪意はない、

2)本人の正義に従って行動している。

3)自分には非がないと思っている。

4)基本的にガラスのプライド、非常に弱い人間である

 

そもそも自分の価値観というものは生まれた環境や 今いる環境に依存します。

自分の常識が 世界の常識の中で広がっていくことが多いですが

時には自分の感覚や行動がずれているんだろうか?と感じる場面がある

その時に、自分の常識を広げたり ズレをなくしたりしていく

それは 通常 父母だけの世界から祖父母の世界へ

保育所、こども園の世界へ 友達との世界へ、、、、、

と広がるにしたがって ズレを感じては成長していく

これが通常の成長 ただ、斎藤氏のように

自分の常識が世界の常識であってそれに反するものは非常識だと感じる人もいる

そもそも 自分の考えと違うものにあったとき

相手を否定したり 攻撃するのは当たり前のことで

保育所など 自分が遊んでいる道具は自分だけの所有権がある

と思った子供と 使いたい道具を当然権利のある自分が使えない

とおもった子供がけんかをする

子どもならよくあることでしょ?

だけど そのまま大人になった人いるじゃないですか?

斎藤さんに限らず 世の中には結構おおくて たいてい面倒というか迷惑なもんです

論理的に正しいことと ただしくないことを主張して戦えば

論理的に正しい方が勝つわけですね 

合理性でも 優位性でもいいんですけどね

 

ところが 自分に味方してくれる仲間をつくって

2:1とか 3:1の構図をつくると

多数決の原理?とかいってあたかも正義のようにふるまいます

 

 

世のなかに あるモラハラの構図もこういうことが多い

仲間になっている人も

必ずしも賛成しているわけじゃない

そこそこ論理的におかしいことに賛成するひとはすくない

(どんなにおかしくても同じ意見の人はいるけどね)

Aに賛成じゃないけど味方をするBは 別のことでAを味方につける

って関係も多い

 

自分が正しくないと思っても わがままをいいつづけることはできない人も

誰かが賛成してくれたら 自分を信じ込める人もいる

 

いじめやパワハラはある部分は本能的なもの

 

攻撃の意志はなくても、何かのきっかけで背中を押されれば

攻撃をする、という部分 これは生存本能ともいえる

金魚やかごの虫なんか いつか食料危機があったら 困るので

数を減らさないといけない という本能があるので

弱い個体は攻撃されることがある

写真のように 魚では 尾ひれに傷があるのが 周りに攻撃されることがある

病気やケガで弱っている個体は解除してしまう っていう本能です

 

人間にもそういう本能はあるけれど 理性とか倫理観があるから

そんなこと間違ってるとわかるんだけど、、、油断すると本能に負けてしまう

そんな人も多いのが実情

 

ただ、自分の意見が なぜほかの人の意見と違うのかが 本気で理解できない人もいる

意見の対立があったときに 相手に自分の意見を押し付けて勝つためには

もちろん数は必要だが 共感性が少ないひとが数をあつめるのもむつかしい

そうなると 金か 地位にものを言わせるしか方法がない

攻撃性の高いひとは 攻撃で自分の意見を通そうとするわけで

周りを馬鹿にすることで自分を高くみせたり(みせるんじゃなく高く感じることろが怖い)

 

地位、権力、富を糧に行くことを聞かせる、、、、

そういう組長、社長、、、、部長とか課長にも多くみられるタイプ

 

自分の意見を通すために 勉強をする人も多い

偏差値の高い人にこういう人が多いのは こういう人は偏差値を上げがちだからなんでしょうね

 

受験勉強とか振り返っても 教科書とか参考書にかいていても

ほんとなんか?と疑いながら勉強する私なんかは 勉強時間めちゃくちゃかかりました

一部のひとは 間違ったことを教科書にかいていたとしても

それは正しいと信じて覚えてる それにならうって傾向が強い

いくらそれが現実の社会とはずれていても 教科書に書いてるから

高校生とか大学生にはこれ多いです

教科書はいろんな意見の最大公約数てきなところもあって

しかも 何十年も古い考えにもとづいているので 現代では間違っていることお多くある

ただ、受験の時の試験も 教科書は正しいとしてそれに従って作られるので

間違いが 改善されることはない

 

教科書では まだ ルールがきまっていけれど

社会にでると ルールはないので 地位や権力を持ち

イエスマンを周りに置けば 自分の常識が 世界の常識だと感じる人間に育つ

 

親も友達も家族も会社の人も、上司も部下も、、、、

そうなった原因の一部は責任はあるけど

うるさいやつには逆らわない、まして攻撃してきたり、権力を持っているやつ

人事権をもってるやつなどなら 戦いは避けるだろう

するとまた自分の正しさに自信を持つ

まさに裸の王様状態っていうんでしょうね

今から思えば 自分の成長過程で出会った

頭のおかしい先生 自分の価値観で怒鳴ったり 暴力をふるったりする人たち

いまじゃもう完全なアウトだけど

ぁぁこういう考えの人がいて こんな風に押し付けてくるんだな

そんなことも学んだ気がする

 

青筋立てて怒鳴っている先生の前で ニヤニヤ楽しんでいた、、、

そんな私は さぞかし かわいげのない子どもだっただろうなぁ、、、、