何かできないことがあると

それは、、、

 

能力のせい? 努力が足りないせい? が悪い?

いろんな理由があると思います。

 

できないことができるようになる

 

それを成長と呼びます

教育とは それを助けるものという位置づけかと思います

 

私も教育者ですが ついつい

 

できないこともきっと、できる ようになる

と思ってしまいます。

 

これは、能力ではなく努力であると、信じているってことです。

 

できない!できません!無理です!意味ない!

といってできないことを肯定する人がいます。

 

自分には能力がありません!といえばきっと楽なんでしょうね

 

能力的にできないと言っている人に、それをやれとかできるとかいうことは

それ自体、非常に大きなストレスになりますので

それはハラスメントです

できないといっちゃえば強制できないという社会も悪いんだと思いますが

結局 できないことができるようにならなかったら 人は成長しません

 

赤ちゃんからどんどんできないことができるようになったから

今の自分があるわけで とんでもない成長をすでに成し遂げています。

 

努力もせずに 能力のせいにしないでほしい!って思います

 

能力がないという人を良く観察してみると。

これまで何らかの努力をしてうまくいかなかった人。

努力しなくてもできることしか できないと感じる人。

 

この二種類がいるようです

 

あの人は才能あっていいなぁとかいう人の中には

すごく能力の高い人がなんの努力もせずに簡単にやってのけていると思っている人もいますが

どれだけ才能があっても 成長をどこかで止めてしまえば、大谷翔平さんや八村瑠偉さんのようには

ならなかったでしょう。

大きな体がないからできない、、、と考える人と

小さい体でも できる方法を考える人がいます。

 

できる努力をいろいろやる。手を変え品を変え

先人に学び 先人の失敗を参考に 自分に合った方法を探し

人に頼れるところは頼り、、、、これ以上は成長できない

ということは誰にでも必ずありますが、

その努力をした人は、良い指導者になる

あるいは 別の分野でもその経験を生かすものです。

成長や成果は結果がすべてと思いがちですが

成長そのもののプロセスに意味がある その成長を助けるのが教育です

 

間違った努力 自分や時代に合わない努力をしても

無駄に終わることも多いです

より良い方法をともに探すことも 教育だと思っています。

 

小中高大学で教育を受けるというのは 義務ではなく権利です

お金を払って(税金も含めて)学んでいるのですから

丁寧に教えてくれる(そうでない教員もいますが)

 

社会にでれば 給料をもらうので 成長も自分でしなくては 

給料に見合った仕事はできなくなります。

最低賃金が上がるのはありがたいですが

求められる能力も上がっているのが現状です

逆に 成長によって能力が上がれば 給与もあがる

そういう会社も増えてきました。

企業において成長は権利ではなくて 義務です

 

いま、生徒、学生、院生をしている人は

権利として教育をうけ 成長を見守ってもらえる環境で

成長のしかた、成長するための努力の仕方を身に着けてください

 

すでに社会で活躍している人も

今の自分が頂点で あとは 老いて衰えるばかり

などという逃げ道を安易に作らないでください

ひとはいつまでも成長し続けます

 

できない!ということで

可能性をつぶさないようにしましょう!

 

無理だ!できない!

と負けを認めるまでは

いつかきっとできる、、、と思えれば 時間はかかっても 少しずつでも ゴールにむかっていきます

 

土の中で 長く長くこの日を待ちるづけて

地上を目指してがんばって這い上がったら、、、

コンクリートが張られていて 出られず

地面を探して探してやっとみつけて

登れる壁をみつけて 這い上がり、、、

セミは飛んでいきました

今日も 元気に鳴いていました

 

諦めたセミは 日を浴びずに土の中で

一生を終えるんでしょうね、、、、、