知り合いに鹿肉をいただきました
こんにゃくと一緒に スジ肉風に圧力鍋で作りました
いや~シンプルにうまい!
塊の肉でいただいて
部位もわからないので
ローストして低温調理用の塊を切り出し
少しでも筋とかついてるやつは 細かめにきって
両方とも1キロ
塊じゃないけど 筋は取ったやつは 焼き肉か燻製?用300g
家庭用の包丁なのでガタガタなところもありますが
ま、ご愛敬ってことでw
とりあえず スジ肉風なのができたところで投稿
ちょっとあえて臭みを残したつもりですが
あまり臭みがなかった(意外)
精肉なんかしたことがないので へたくそな上に
部屋中さすがに 生臭くなった(笑)
(精肉と スジ肉系のあく抜きをしたから)
最近仕事がきつくて疲れているので
こういう作業は堪えるのか?肉たべられなくなるのか?
とかちょっとおもったが(そんなことあるわけないけど)
何日か前までの山を走っていた鹿だなと思うと
生きている力を まさしくいただくんだと思った
人間のエゴで 命を奪われたというのが事実なのだろうが
いただくのは 命や栄養だけじゃなく 元気ももらっている気がする
恨みつらみもあるのかもわからないが
感謝して できるだけ捨てずに食べるから 許してほしい
そんな気持ちで 作業したら 元気をもらった気がした
SDGsというのはどういうことか?
持続はもちろん大事だし。無駄をなくすことも大事だ
捨てるものが 宝物に変わる
今回は骨はほとんどないけれど 骨は骨 革は革 筋は筋で
使い切る それは 日本人の 生き方だったのじゃないか?
クジラを殺したら 油だけとって捨てたり
サメをとったら フカヒレに使えるところだけ切り取って
生きたまま海に捨てたり、、、、
虎を撃ち殺して皮だけはいだり
象を撃ち殺して 牙だけとったり、、、
そういう発想は日本人にはない
ハズだ
それころ SDGsの根源だし 日本じゃ普通のことじゃないの?
って思います。
縄文時代から(いや縄文時代の方が) SDGsそのものだったそうです
縄文人は 自然にあるものを食べる。
ヒトとヒトとは争わない
家族や種族にこだわらないというか人類みな兄弟を目指す
そういうところがあったらしい
自分のだけのために 自分の家族のためだけに 自分の集落のためだけに
それが悪いとは言わない だがマイナスが大きい
自分のために 自分の家族のに 皆のためだけに
となれば 理想的 だけを取ればいい
(竹なのか岳なのかわからいけど?)
そこで大事なのは 食べることを楽しむこと
感謝することかな?と改めて感じました
安全も 体裁も マナーも大事だけど
ゴミか食べ物か?決める基準や感じ方 考えさせられる
食事を楽しむ心は 平等に与えられているハズ
すくなくとも 食べ物を選んで 好きときに食べられる環境にあるなら
それを感謝し それを楽しみたいですね
2006年ベルリン国際映画祭の「食、味そして飢餓」をテーマとした映画部門で最優秀に選ばれた短編ドキュメンタリー映画
チキンアラカルト
食べ物は大事で根源的なもの それはわかる
日本だって ゴミ箱から 残飯をもっていき食べる人はいる
ただ その顔は喜びのかけらもない
むしろイカリや絶望に満ちあふれている
フィリピンを取り上げたこの作品では
チキンの残飯を食べる子供たちの姿が
なんの引け目も無く
満面の笑みで 幸せそうに 食べている姿が
感動的に見える
食糧問題は 個人の問題ではなく 政府の問題
なのかもしれない
国内で食べるより海外に売った方が高くて儲かるのかもしれない
人口が増えすぎた!のかもしれない
食べ物を残すのはもったいない
その心は失われつつある
ただし もったいない もったいないと
残飯を胃袋に捨てていくと 私みたいに皮下脂肪がどんどんつく(笑)
もしも 喜んで食べてくれる人がいるなら
相当きれいに残すんだけどなぁ
見たことはあったが改めてみると
やはり考えさせられるなぁ
有志の人は残飯を専用回収箱に入れ
食中毒など病気にならないように再加工して
その後は喜んでくれる子供たちがいたら
配布する!
と言う風になってくれるといいのになぁ
↓観たことが無い人はご覧ください
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=BJbhHhU_n0k
http://www.cultureunplugged.com/play/1081/Chicken-a-la-Carte