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茅ヶ崎市美術館で青山義雄展が開かれています。

青山義雄さんという方は、タイトルのようにフォーヴィスムの巨匠アンリ・マティスにその才能を認められ、師弟関係にあった日本人画家です。
今年が没後20年なので、最晩年の10年を過ごした茅ヶ崎で展覧会が開催されています。
お亡くなりになったのが102歳。
102歳まで絵筆を執っていたそうで、会場にも101歳のときに描かれた絵が!
その絵の美しさとパワフルさに感動しました。

長らくフランスにいたこともあって日本ではあまりその名は知られていませんが、
日本では梅原龍三郎と交友があり、
エコール・ド・パリと呼ばれた時代には藤田嗣治(レオナール・フジタ)らとともに活躍した方なのです。

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9歳の時には北海道根室に移り、その後、根室商業学校に進学していたそうです。
北海道とゆかりのある方!と嬉しくなりました。



画家になる夢のため渡ったフランス。

花の都パリで絵が認められるようになり、ここから、というときに結核で倒れてしまいます。

ですが、療養のため訪れたニースで運命の出会いを果たします。
画廊に預けた二枚の絵がマティスの目にとまるのです。
「この男は色彩を持っている」と。

そこから数十年にも渡る師弟関係が続いたと言います。

この絵はマティスを想い描いたものだそうです。

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マティス亡き後、描いた作品「バラのアーチ」。
右奥にマティスの眠る修道院が描かれています。
青山義雄は、マティスが亡くなった後もフランスに残り、まるで墓守りのようにマティスの眠る修道院の側に住み、恩師を偲んでいたそうです。

この絵が持つ“あたたかさ”が胸を打ちます。


茅ヶ崎に住んでいた晩年の青山さんを知る人は「大らかで優しさ溢れる人でした」と言います。
画家の命とも言えるアトリエに気さくに人を招いたり、その招く人たちも美術関係者だけでなく、昔の仲間から知り合いになったばかりの人まで、多くの人たちと楽しい時間を過ごしていたそうです。
また100歳になっても大好きな鰻を食べ続けていたパワフルなエピソードなど、絵だけでなく、そのお人柄も人を惹きつけたのがよくわかります。


絵を観れば観るほど、
お人柄を聞けば聞くほど、
惹かれていく画家 青山義雄さん。


6月5日まで展覧会が開かれています。



一枚の絵に託した想いに触れてみてください。