まもなく梅雨に入るのか蒸し暑い福岡春日市です。

 

気温の変化や湿度など体調を崩しやすい気候ですが皆様はお元気にお過ごしでしょうか

 

司法書士Oです。

 

司法書士試験まであとわずかとなり、いよいよ超直前期と呼ばれる時期です。

 

受験生の皆様は後悔の無いように全力で本試験に備えて下さい。

 

今年の答練や模擬試験で出題される肢の大部分自信を持って答えられるようになっていれば合格は手の届く距離にあります。

 

司法書士試験受験生の皆様、今が一番辛いときです。

「希望」をもってモチベーションを維持して下さい。

 

 

一昨年の記事ですがよろしければご覧下さい。

 

先日のNHKの番組「下関市立大学」を特集していました。

 

教員の半数以上が退職し「大学崩壊」が起こっているとのことでした。

 

日〇大学のような私立大学は理事会の方針で様々なことが起きるのは当然のことだと思いますが、公立大学(地方独立行政法人)でも起こることにとても驚きました。

 

私は初めて知ったのですが市立大学の定款市議会で定められるもので、市議会で変更できるということです。

 

NHKの番組の内容に関して、個人的な感想を書こうと思いますが、不快に思われる可能性のある方は今日の記事はお読みにならないようお願い致します。

いつものとおり私自身は特定の政治的意図はありませんので念のため申し添えます。

 

定款とは法人の「憲法」のようなものです。

 

法律などによって規制されている部分もありますが、人事等については定款で定めることができます。

 

日本国憲法 第23条

学問の自由は、これを保障する

 

学問の自由の保障は、個人の人権としての学問の自由のみならず、とくに大学における学問の自由を保障することを趣旨としたものであり、それを担保するための「大学の自治」の保障をも含んでいる。(芦部信喜『憲法』初版P134)


戦前の日本では学問の自由や学説が直接に国家権力によって侵害された歴史を踏まえて、とくに規定された(同)

※滝川事件、天皇機関説事件・・・

 

憲法二十三条は、学問の自由の実質的裏づけとして、教育機関において学問に従事する研究者に職務上の独立を認め、その身分を保障することを意味する。(同P136)

 

同書によると、大学の自治とは①人事の自治②施設・学生の管理の自治のことであるという。

 

ここで、「大学の自治」「制度的保障」であると言われます。

 

制度的保障とは、「政教分離」のように国に宗教活動をさせないという制度を規定することによって、「信教の自由」を保障するという方法です。

 

学問の自由は、「思想(内面的精神活動)の自由」「表現の自由」の一部です。

 

市長及び議会が気に入らない大学の教員を退職しなければならない状況に追い込むというのはいかがなものでしょうか。

 

元の市の職員で、その後現在の市長の下で副市長を務めた方が大学の理事長になっている点をみても「制度」自体が破壊されているように思えます。

 

少子化の中で大学の存続のために改革を行うことには意味があるのかもしれませんが、学問をするための場である「大学」自体破壊されているならばそこで学ぶ意味はあるのでしょうか

 

2020年の日本学術会議会員任命拒否問題の時にも同じように思いました。この問題については、日本弁護士連合会も声明や意見書を発出しています。

 

これらの問題に関しては多くの訴訟が続いています。

 

学問に対する公権力の介入は必ず何らかの形で「学問の自由」を脅かすものといえます。

 

NHKの番組の中で、現在の学長が「先生達にとっては一時的なものだが、学生にとっては一生の問題なのだ」というような内容の発言をされていました。

 

「学問の自由」自体が制限されている大学はもはや大学ではなくその大学に関わっている方々全員にとって大問題であるのではないでしょうか。

 

また、多くの教員の反対を押し切ってまで別学部を創設するからには、教育の質についても自信があるのでしょうか。

 

これについても市の職員が大学の教員になっていることを考えるといかがなものでしょう。

 

当ブログをお読み頂いている司法書士試験受験生以外の方は、文部科学省の中央教育審議会の大学分科会での議論を是非ご覧下さい。

 

 

そもそも大学は専門学校ではなく急速な社会の変化の中でも陳腐化しない普遍的なスキル・リテラシーを学ぶ場所であるということを確認しなければなりません。

 

同内容のことが審議会でも繰り返し述べられています。

 

大学の法学部に進学した人全てが法律関係の仕事に就くわけではありません。大部分の卒業生は専門的に法律を扱う仕事とは無縁のところに就職します。

 

例えば、文学部や理学部などは就職に不利だと言われます。しかし、文学の研究や理学系の研究はどちらも人類にとって不可欠です。

 

文学部や理学部がなくなればその分野の研究者も存在しなくなってしまいます。

 

文学に加えて、哲学や歴史や芸術などは教養として必要とされる学問でもあります。

 

秋田の公立大である「国際教養大学」の初代学長であった中嶋嶺雄氏は「わが国の高等教育から失われた豊かな教養教育の確立と実践的な外国語コミュニケーション能力の養成を目指す大学を」との走り書きを残されたということが大学のホームページに記載されています。

 

教養についても教育審議会で議論されています。(一例)

 

私は、大学の学士課程で学ぶ重要な内容は教養であると考えています。

 

以下、東京大学ホームページより

 

後期教養教育立ち上げ趣意書

総合的教育改革では、学士課程としての一体性の強化の1つとして後期教養教育を考え、1,2年生だけにとどまらない学部4年間を通しての教養教育の実施を構想する。リベラルアーツとは、人間が独立した自由な人格であるために身につけるべき学芸のことを指す。現代の人間は自由であると思われているが、実はさまざまな制約を受けている。日本語しか知らなければ、他言語の思考が日本語の思考とどのように異なるのか考えることができない。ある分野の専門家になっても、他分野のことを全く知らないと、目の前の大事な課題について他分野のひとと効果的な協力をすることができない。気づかないところでさまざまな制約を受けている思考や判断を解放させること、人間を種々の拘束や制約から解き放って自由にするための知識や技芸がリベラルアーツである

 

アメリカの大学の学士課程には医学部も法学部もありません。これは基礎的な教養を身につけた上で学ぶ専門的な学問であると考えられているからのようです。

 

教養については様々な考え方があり、一概に何をもって教養というかを定義することはできませんが、『日本国憲法』は、教養として学ぶべき最も重要なことの一つであると考えます

 

社会で起きていることが、実は憲法に関わる問題であるということは多いです。

 

憲法上の問題であることに気がつかなければ、何が問題であるかということにさえ気がつかないことになります

 

岸田首相は今国会での憲法改正案の提出を断念したそうです。

 

今回の番組は、本格的な憲法改正の議論を前に、『日本国憲法』にもう一度興味関心をもって取り組まなければならないと再確認させられた番組でした。

 

本日も最後までおつきあい頂きありがとうございます。

これから梅雨に入りますが、くれぐれもお体にはお気を付け下さい。