タイミングと必然性 | 小関くんとわたしの日常

小関くんとわたしの日常

俳優の小関裕太くんに窮地を救われた嵐ファンの日常。
コロナ禍のダメージから浮上しようと(年収8割減)現在自営業とお勤めのWワークにて奮闘中

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最近ね、小関くんの推し活を通じて、お友達ができたのよ。


しかもさ、これがまた本当に話が合いすぎてびっくりする照れ


同じ人を好きでも、その人のどうゆう部分が好きかっていう細かい部分が人によって違ったりするから、共感できたり出来なかったりする事がよくあるんだけど(相葉くんの時がそうだった)、

彼女とは、好きになったタイミングとか、見ている部分がほぼ一緒なのよねウインク


そんな話を互いにしている中で、どうして自分の浮上するきっかけが、小関裕太なんだろ?って振り返ってたら、見えてきたものがある。



私は昔から音楽が大好きで、子どもの頃にエレクトーンやピアノを習ったりしてたんだけど、中学にあがると同時に、今度はバレーボール部に入りたくなっちゃって汗


当時、突き指が日常的だったから、弾けなくなっちゃって、大して上達せずにやめたんだ。

(乙女の祈りレベル)


でも、小関くん、独学でジャズとか弾いちゃうじゃん?

もう、ビックリよびっくり



その後、お絵描きや物語の創作も好きだった私は、今度は漫画家になりたくなっちゃうの爆笑


漫画家の養成講座もやらせてもらったなぁ…


高校にあがると、バレーボール部に所属する傍ら(たまにしか行かないw)、文芸部とかいう、オタクだらけの部活に所属して、漫画や小説を書いたりしてた。


でも、その頃、友達に誘われて、バンドも組んだりしてたのよね…口笛

歌うのも大好きで、バイト代全部突っ込んで、毎日友達とカラオケBOXに入り浸ってた。



いやいや…

やりたい事多すぎか爆笑爆笑爆笑


どれも中途半端で極める事できず(笑



その頃かなぁ…

進学を、音楽関係か、美術関係か悩み出したのは。


結局いろいろ悩んで、美術系に進学したんだよね。

美術部には入ってなかったけど、美術の先生に相談して、一からデッサンの勉強を放課後にさせてもらって。


入学したデザイン系の学校は、楽しかったな。

写真の授業もあって、一時期、ずーっと一眼レフカメラ持ち歩いてた爆笑


好きな絵も沢山描いた。


それなりに、二科展とかで賞だってとったのよ。


でも、絵も、今となっては描くこともなくなって。

写真も自分のお店の商品撮影レベルどまりでしょ?


でも、小関くんのカメラの技術なんて、凄すぎるでしょびっくり



ここまで昔の自分を思い返して 気づくわけ。



あ、そっか。

好きなものが似てるんだ。

だから共感できるし

それを着実にカタチにしてるから眩しいんだ!って。



要するに…

私は小関裕太になりたかったんだ!

ってことに気付いてしまったんですよ照れ



その後私は、広告デザイン会社に一度は就職するも、営業(ディレクター)の仕事だったから、あまり長くは続かなかった。

やっぱり自分で作りたくなっちゃって…


20代前半。

まだ、自分探しの途中。


営業とか、社交的だから向いてるよ、と言われたけど、いや、違う。


社交的なんかじゃない。

ただ、ニコニコして、人と合わせるのがまぁまぁ上手かっただけ。


だって、帰宅してからの疲労感が半端なかった。



自分の適職が何かを模索するべく、片っ端からいろんな職種をかじってみる。


総務、経理、一般事務、販売、製造。

アルバイトで飲食や水商売なんかもやってみた。

とにかく20代はひたすら自分探し。


そして、気づく。


組織は合わないなーって。


仕事をしに行ってるのに、関係のないところで人間関係に悩む日々。


私は仕事をただ、楽しんでやりたいだけなのに。



ちょうどその頃、20代後半にさしかかり、結婚適齢期の友人たちの結婚式ラッシュが舞い込んでくる。


お祝いとして、ペーパーアイテムをプレゼントしたことが始まりだった。



その後、タイミングがあって、独立。

これまで様々な会社で、いろんな職種を極めてないながらにも、それなりに勉強して経験となっていた私は、

意外とすんなりと順調にお店の売上を伸ばしていったのだけど…



開業10年を目前にして

自分の中での壁に

再びぶち当たったんだよね。



商品を販売してお金を稼ぐようになって、従業員を雇用しだすと、好きなものを好きなように創ってるだけじゃ難しくなる。


分かってた事だったんだけどね。


もはや、趣味じゃなくて、仕事だから。

でも、やっぱりどこか趣味の一環であることをやめられなくて。

だから、お店をあえて大きくはしなかった。

自由がきかなくなるから。


私が経営者向きじゃないのは自覚していて、ただ好きな物を考えて、商品に気持ちをのせて販売していたら、気づいたらひとりで回せなくなってたから、スタッフを雇うまでになっちゃったんだけど、

その頃は、何もかもが上手く行き過ぎてて、運命さえも自分でコントロールしてる錯覚に陥ってた。



そう、開業12年目

コロナウイルスがやってくるまでは。


コロナ禍1年目の2020年は、まだまだイケイケどんどんだった気はする。

まだまだ新商品をプレスリリースしてたからね。


結局……いろいろあって、今に至るんだけど、

細々と色んなものに興味もって、私は全部が中途半端で。


ただ…

睡眠時間をどれだけ削って頑張っても、自分のポテンシャルは、これが限界だって分かっちゃったんだよね爆笑


唯一誇れるのは、やっぱり婚礼印刷物についての知識かな。

それだけは、大手さんと張り合えるくらいに、胸を張っていたから。



だからこそ、小関くんが多忙な中、色んな事を突き詰めてるのが本当に眩しくて。


趣味の幅を広げるにせよ、その分野をとことん追究していて、

謙虚で素直。

その姿勢には本当に驚嘆。



ひとつ私に不備があるとしたら、どこか頭の片隅に、夫がいるし、っていう甘い考え。


小関くんとの決定的な違いのひとつ。

私は自分にまあまあ甘いのよねショボーン


うちは夫も別事業をしてて、そこは安泰だから、どこか、最悪、生活は困らない!とか思ってた節がある。


でも、実際コロナによってお店が奪われた時、そんな達観はできなかった。



いかに、自分にとって

仕事が生きる原動力で大事

だったかって事に気づかされたんだ。


失って、初めて気づくってやつですよ。


いや、まだ廃業してないし、こうしてる間も注文はいただいてるんだけども爆笑



小関くんは、本当に好奇心旺盛で、いろんなものに興味があって。

それをいつか仕事に落とし込めないか?と考えながら楽しんで毎日を過ごしていて。


インタビュー記事など読んでいても、あまりにも価値観や考え方に共感できすぎて、

で、私は超凡人だけど、頭が良くて才能があると、ああなるのか!と。


もはや、尊敬の域を超えている。



感情のコントロールとか、生活を崩さないバランスとか、私にはそうゆーのも欠けてる部分があって。


いわゆる、両立ってやつ。


夢中になると、両立ができなくなる。


小関くんは、そうゆうののバランス感覚や時間の使い方が抜群にうまいのよね。


こればかりは、何歳になっても、私は出来るようになる気がしないから。



まぁ、自分のブライダルのお仕事と、お勤めの葬儀会社のお仕事のWワークは、ある意味両立だけど、

全く畑違いのお仕事ではないから、うまくできてるんだとは思う。


15年以上ぶりに、組織に所属して、自分の成長も感じられたしね。



不思議なもので、

まさか、ひとまわり以上も年下の俳優さんの生き方に、ここまで心奪われることになるなんて。



小関くんが、よく「タイミング」だとか「必然」だという言葉を使うけど、

私もまさに、おんなじ事を思ってるおねがい


このタイミングで、なぜ、私が小関裕太に魅入られたのか。


それも、タイミングと必然性なんだと思うんです照れ