第八話 夏休み


(5)

 優の『俺の子じゃない』発言や雅美さんの登場はまるっきりの予想外だったが、優よりは会話しやすい雅美さんが来たことで、あっさり一件落着になった。雅美さんのご両親を説得するというハードルを越さなければならないものの、長いこと章子の盾代わりだった俺は理不尽を押し返すことに慣れている。喧嘩を売るわけじゃないしな。まあ、なんとかなるだろう。

「あの……」

 とんでもない修羅場になることを覚悟していたんだろう。俺や優がもう話は終わったという雰囲気になったのを見て、雅美さんが慌てている。

「いいん……ですか?」
「よかないさ。でもあなた自身に対処できなければ、誰かの力を借りなければならない。違うかい?」
「は……い」
「なんとかなるでしょ。私は家内や優で慣れてるんだ。外圧を押し返すのが夫や親としての役目だったからね」

 わからないという風におろおろしていたから、少しだけ補足説明する。

「死んだ妻はイエスマンでね。放っておくと何から何まで押し付けられてしまうんだ。私はのろまだが、のろまでもノーと言うくらいはできる。できるなら、そうするまでさ。優のことだってそうだよ。極端なスローモーだから集団生活に付いていくのは無理だ。結局置き去りにされてしまう。それなら、親の私があいつの居場所を確保するしかない」

 信じられないという顔で私と優とを見比べているが、事実そうなんだよ。

「今日は、私も優も休みを取ってここに来た。雅美さんもだろ?」
「……はい」
「うんと短いが、夏休み。でも、私には夏休みにいい思い出がないんだ」

 いきなり飛んだ話についていけなかったのか、雅美さんがしきりに首を傾げている。まあ、そのまま聞いてくれ。

「佐々木家のオトコは代々のんびり屋揃いでね。死んだ父も泰然自若だった。ただ、代を重ねるごとにのんびり度が濃くなってる。だから夏休みの意味がそれぞれ違う。父には楽しみな夏休み。私には辛い夏休み。優には必須の夏休みだったんだ」
「あの、どうして?」
「夏休みはお盆休みとは違うよ。学校や職場との接続を切っても一切文句を言われない貴重な期間だ。父はマイペースで好きなように遊び倒したらしいが、私は朝から晩まで宿題に追われたんだ。夏休みをびっしり使わないと終わらなかったからね」
「うわ」

 はは。絶句してる。俺は優と違って集団への帰属を諦めなかった。だから使える時間をぎりぎりまで使い切ろうとする努力は欠かさなかったんだ。これでもかと足掻いたからこそ今の俺がある。

「優は違う。集団生活自体が全くこなせない優にとって、夏休みはみんなに付いていかなくても文句を言われない至福の時だったのさ。ずっと夏休みならいいなあと思っていたはず。なあ、優。そうだろ?」

 優に目を遣る。黙っているが表情は柔和だ。それほどずれてはいないだろう。

「優ほど極端でなくてもいいけど、何もかも投げ出せる夏休みは要るでしょ」

 できるものならとっくにそうしている……雅美さんの顔には諦めの色が浮かんでいた。大吾がすでにいるから片時も休めない。ずっと走り続けなければ。そういう強迫観念に支配されているみたいだな。
 でも、夏休みの実感がないのは俺だって同じなんだよ。信じられないくらいのハイペースで事態が動いていて、際限なく湧き出る雑事を必死に片付け続けている。夏休みくらいは何もかも放り出してぼけっとしたいところだが、生きるためにはそうできない。優だって同じだろう。仕事と生活を両立させるだけでもぎりぎりだったのに、雅美さんと大吾を抱え込んだ。もう息が上がってるはずだよ。
 制度としての夏休みは取れても、俺たちは本当の意味での夏休みをもう満喫できないんだ。

 それでも。雅美さんと親との関係を少しだけでも改善できれば、雅美さん一人が何から何までこなさなければならない窮状はいくらかましになるはず。ここに来て重荷だけを増やして帰るということにならない限り、夏休みの端っこくらいは齧れると思う。

 俺は、牧柵のロープをくぐって野原に足を踏み入れた。

「優。中に入らんか? しばらく入ってないだろ」
「うん」

 のろのろとロープの下をくぐった優が、振り返って雅美さんに声をかけた。

「雅ちゃんも……おいで」
「いいの?」
「ここは……うちの……だから」

 そう言うなり、ばたりと後ろ向きに倒れ込んだ。大の字になって草に半分埋もれ、顔にかかる草の穂越しに夏空を見上げている。俺もつられて空を見上げる。
 傍若無人もほどほどにしときなさいとたしなめられたかのように、これでもかと燃え盛り続けてきた太陽が薄雲に包まれている。暑いのは暑いが、お盆を過ぎると熱に紗がかかるんだ。暴力的な熱風の代わりに、夏休みの終わる気配が涼を伴いうっすら漂ってくる。寝そべっている優に向かって愚痴をこぼした。

「変わらんなあ。おまえはいつ連れてきても、どこかで腰を下ろしたら最後てこでも動かなかった。ちっともじっとしてない由仁とは大違いだ」
「あはは……」

 こそっと笑った優が、青空に向かってすうっと両腕を伸ばした。

「子供には……もう……戻れないね」
「ああ。そうだな」

 わかってるじゃないか。そうだよ。もう親父も章子もいない。俺にだけでなく、優や由仁にとっても望ましくない変化が容赦なく降り掛かったんだ。どうにかして変化をこなさないと、すぐに生活が壊れてしまう。これからは従前以上に夏休みが縁遠い存在になるだろう。
 それでも。あの頃と変わらない野原があり、見上げると眩い夏空がある。子供の頃のように夏休みを無心で楽しめなくとも、往時を懐かしみ、余韻に浸るくらいは今でもできる。できるうちは、そうするさ。

 いつの間にか野原に入ってきていた雅美さんが、転がっている優の隣に腰を下ろした。少しだけ顔を傾け、優が雅美さんに話しかけた。

「雅……ちゃん」
「え?」

 再び空を見上げて、優がぼそっと言った。

「僕は……ぐずで……何も……できないんだ。だから。結婚……どころか……彼女も……できない。これまでも。これからも」
「……」
「僕は……それでいいと……思ってたから。後悔は……してない」

 ああ。それは優の本音だ。優しさとか思いやりとか、そういう浅い次元から出た言葉じゃない。今はまだ防波堤になっている師匠や俺と死に別れれば、片時も足を止めない世界から取り残されて必ず独りになってしまう。受け入れざるを得ない悲運の淵で佇んでいる優の、偽らざる本音だ。たとえ真似事に過ぎなくとも、一生縁がないと思っていた夫婦や親子を体感できることは、優の人生において何にも換え難い財宝になるのだろう。
 変わってほしくない今がある。変えられたくない運命がある。だが時は俺たちを放置してくれない。俺たちには、永遠の野原のような抵抗はできないんだよ。だから。変わらないのではなく変われない優も、雅美さんと交わって生じた変化をどうにかして受け入れようとしている。そんな優の努力は決して無駄にならないはずだ。

 俺たちが諸々のことを丸呑みしたのを見て、雅美さんは佐々木家の家風ってのが少しわかったんじゃないかな。そうさ。まるっきりぶん投げてしまわない限りなんとかなる。のんびり屋に得られるものは多くないが、その代わり少しでも達成できれば満足なんだ。万事、なんとかなるものなんだよ。親父がよく言っていて、俺もそう思ったし、優も「なんとかなる」の道を自ずと歩いてきた。だから、今回もなんとかなる。
 静かな野原で揃って青空を見上げているうちに、昂(たかぶ)っていた感情が少しだけ落ち着いたんだろう。雅美さんはわずかに微笑んだ。

「ここ、すごく落ち着きます。いいですね」
「まあ、いろいろ訳はあるけどな」
「え?」

 雅美さんにではなく、優に向かってにやっと笑ってみせた。

「ここのことは、おまえからちゃんと説明しろよ。いずれ大吾を遊ばせるようになるんだろうし」
「うん。そう……だね」

 のそのそと上体を起こした優は、でかい溜息をつきながらぶつくさこぼした。

「はあああっ。ここだけが……ずっと……夏休み……なんてさ。ずるいよなー」



【第八話 夏休み 了】









Field Of Summer by James Seymour Brett


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第八話 夏休み


(4)

 感情が落ち着くまで結構時間がかかると思ったんだが。雅美さんはよろよろと立ち上がって膝の土を払った。今日はスーツじゃなく、カジュアルなスタイルだ。白シャツにベージュのスラックス。汗と涙で化粧が流れているものの、最初から薄かったのか崩れたというほどではない。今日はもともとオフ日だったのかもしれない。

「大吾はどこかに預けてきたのかい?」

 聞いて見る。

「……はい。無理を言って、友人のところに」

 あくまでも親には預けない、か。そもそもそれがおかしい。私が顔をしかめたのを見て、雅美さんが辛そうに顔を伏せた。

「軽蔑……してますよね」
「軽蔑もなにも。私は事情を知らないのでねえ」

 紛れもない事実だし、嫌味も混ぜてある。事情があるなら最初から言ってくれれば話くらいは聞くのに、これまでずっと大吾だけ陽花のところに放ってあとはしらんぷりっていう態度だったんだ。それはおかしいだろ。
 おずおずと顔を上げた雅美さんがちらっと優に目をやった。優は黙って野原を見続けている。視線は返さない。だが、先に口を開いたのは雅美さんではなく優だった。

「師匠に……頼まれたんだ」
「は? 仕事のか」
「そう。おまえが……雅ちゃんの……面倒みて……やれって」
「できるわけないだろ。自分自身のことすらまともにこなせないのに」
「うん」

 おいおい肯定するのかよ。呆れてしまう。ろくでもないことを優に頼むお師匠さんも大概だ。そんないい加減な人には見えなかったけどなあ……。だが、まだまるっきり話が見えない。混乱は深まるばかりだ。

「あの……」
「うん?」

 足元に視線を落とした雅美さんが、小声で俺に聞いた。

「優さんから……何も聞いてないんですか?」

 思わず、全力で苦笑してしまう。そんなの無理だって。

「あのねえ、雅美さん。あなたも優の妻なら、スローモーなこいつと会話するのがどれだけめんどくさいかくらいわかるでしょうに」
「う……」

 うろたえた、か。少しだけ見えた。この二人には夫婦の実態がない。偽装だろう。同衾どころか同居すらしていないのかもしれない。お互いのことをよく知らないんじゃないだろうか。だが、優からは婚姻届も入籍後の戸籍もちゃんと見せてもらった。偽装と言っても口裏合わせのなんちゃってではない。書類上は紛れもなく夫婦なんだよ。と、いうことは……本当の父親が認知に応じてくれなかったとかか。優が言う「俺の子じゃない」とつじつまを合わせるなら、それくらいしか思いつかない。
 書類上正式の夫である優よりも親密な関係にあるオトコが他にいて。できちゃったの後始末がうまくいかなかったのかな。詳しいことはわからないが、陽花や有美ちゃんのケースに近いのかもしれない。で、親を頼れないってことは……彼女の両親がぶち切れたんだろう。いいとこらしいし。

 だが、実際どうなのかはこの際後回しだ。俺が危惧していることは託児所代わりに陽花や俺の家を使われること。陽花を有美ちゃんから引き離す以上、いくら実子でも優や由仁を特別扱いすることはできない。つまり雅美さんにどんな事情があっても、大吾は預かれない。俺のオーダーは優にしたのと変わらないんだ。
 しょうがない。少し突っ込んだ聞き方になってしまうが、いくつか確かめておこう。対処は確認のあとに考えよう。

「済みません、雅美さん。いくつか不躾な質問をさせてください。イエスかノーかだけでいいので、教えてください」
「……はい」

 項垂れたまま、雅美さんが小さく頷いた。

「さっき優から、大吾が優とあなたとの子供ではないと聞いて仰天したんですが、それは事実ですね」
「……」

 言葉にはできなかったのだろう。小さく頷いた。

「大吾の本当の父親は、あなたの職場にいる。そして、彼は既婚者である。どうですか?」
「……はい」

 なんだよ。有美ちゃんと同じパターンかい。うんざりするわ。

「彼は大吾の認知には応じない。あなたが認知を迫ると、あなたは職場にいられなくなる。そういうポジションにカレシがいる。違いますか?」

 さっきまで止まっていた涙が再び溢れ、返事ができなくなったようだ。まあ……図星なんだろう。

「最後の質問です。あなたのご両親はこれまでの経緯を知って激怒した。有り体に言えば、あなたは勘当された。二度と家の敷居をまたぐなと家を追い出された。どうです?」

 大吾を陽花に預けていたくらいだから、間違いないだろう。案の定、涙混じりの小さな震え声で「はい」と答えた。大体予想通りだったか。

「優の働いている工房には、あなたのご両親が絵の修復を依頼なさっていたんですよね。そして、あなたも絵の預け入れや受け取りで工房に出入りしたことがある」
「……はい」
「事情が事情だけに、あなたは友人や親戚のところには逃げ込めなかった。仕事での付き合いしかない工房に身の振り方を相談するしかなかった。どうですか?」
「その……通りです」

 やれやれだ。苦笑がどんどん深く、苦くなる。金持ちってのは本当にめんどくさいもんだな。

「あのねえ、雅美さん。いくら優のお師匠さんが人格者でも、あなたのような事情のある人をいきなり丸抱えなんかしてくれないですよ。ご両親が、プライベートでの付き合いがない工房のオーナーに娘の受け皿を有償で務めてくれないかと持ちかけた。私にはそれしか思いつきません」
「……」
「夫婦の偽装って言っても、書類上は正式な婚姻なんです。そんな非常識な対応をあのしっかりもののお師匠さんが推めるとは思えません。ご両親が懇願したのでしょう。違うか。優?」
「うん」

 短いが確かな返事だった。

「師匠から……そう聞いた」

 娘が非常識なら親も非常識。ばっさり切って捨てるのは簡単だ。だが、今は評論家を気取ってはいられない。俺は自身の生活をきちんと維持しなければならないんだ。お袋のことも陽花のこともある。まず、俺の筋論をきちんと理解してもらう方が先だ。

「雅美さん。あなたに複雑な事情があることはわかりました。だけど、私は妻を亡くして今は一人暮らしです。日中は仕事で不在。そして、これまで大吾を預かってくれた妹のところも、じきに姪の有美ちゃん親子だけになる。大吾を預かることは物理的にもう無理なんですよ」
「……はい」
「それなら、裏でこそこそ動いているあなたのご両親をきちんと表に引っ張り出した方がいい」

 本当に親が体面しか考えていないのなら、きっちり縁を切るだろう。雅美さんに何があろうが絶対にアクションを起こさないはず。しかし実態は逆だ。娘のことを案じているからこそ、歪んだ形ではあってもサポートに動いている。優を隠れ蓑にして自分たちに火の粉が降りかからないようにしているのは気にくわないけどな。
 雅美さんはご両親に頼りたくないかもしれないが、うちがサポートできなくなれば干上がってしまう。それなら俺が動くしかない。

「あなたがご両親と直接再交渉するのは難しいでしょう。そこは私の方でやります」
「えっ?」

 素っ頓狂な声をあげた雅美さんがさっと顔を上げて俺を凝視した。

「人様の大事な息子にとんでもない汚れ仕事を押し付けるなんざ、いくら立派なご身分でも許されることじゃありません。きっちり引導を渡します」
「だ、だいじょうぶ……ですか?」

 雅美さんは親に全く歯が立たないんだろうな。牟田さんと同じパターンだ。親に対してだけでなく、孕ませたオトコにも逆らえないんだろう。いいとこ出の切れ者という見かけによらないね。

「あのね、私は施工監理っていう仕事をしています。手抜きをチェックする商売ですから、穴は見逃しませんよ」
「は……あ」
「いかなる事情があっても、大吾はあなたの子供。つまりご両親にとっては孫なんです。まあ、なんとかなるでしょ」

 俺の宣言を聞いて、優が表情を緩めた。おおむね、優の期待した範囲内に落ち着いたということだろう。まったく、困ったやつだ。








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第八話 夏休み


(3)

 優の暴露は、大ショックなんていう生易しいものじゃなかった。天地がひっくり返るかと思ったわ。よくマンガで見かける驚きの表現。両目が飛び出し、大口が開き、髪が総毛立ち、顔に縦線が入り、周囲に雷が落ちる……とか。そういうのはあくまでも極端なデフォルメに過ぎないと思っていたが、今の俺を誰かが見ればきっとマンガのような表情をしていただろう。

「おまえの子じゃないって? ど、どういうことだ?」

 陽花がいろいろやらかしてきたし、この野原も怪異満載だから、俺は大抵の出来事には免疫があり、なんとかこなせる。だが世の中ってのは奇妙なこと、ありえないことばかりで埋まっているわけじゃない。99.9パーセントはまともなんだよ。だからこそ俺は真っ当に生きていられるし、イレギュラーな出来事にも対処できる。俺は、極端なスローモーな優も人としてはごくまともな感覚の持ち主だと思い込んでいたんだ。
 その優の口から飛び出したとんでもない一言は、俺の平常心を木っ端微塵に吹き飛ばしてしまった。胸ぐらを掴んでがんがん揺さぶりながら問い詰めたかったが、衝動的な行動は優の天岩戸を閉めてしまうだけだろう。すんでのところで思い止まった。かといって、このままお互いだんまりでは埒が明かない。

 逆立ってしまった神経をなだめようと思って深く深呼吸をし、それから野原に背を向けた。眼下の家並みはお盆だというのに人影が少なく、しんと静まり返っている。

 俺が子供だった頃はまだ若かった町。五十年弱の間にすっかり年を取り、地区の雰囲気はひどくくすんだ。開発直後に居を構えた若い住人たちは、年齢を重ねていく間にここよりもっと便利で暮らしやすい街中に住み換えたのだろう。住民の淡い仲間意識は人の入れ替わりに伴って薄れていき、他に行き場のない先住老人と後から流れ着いた移住者たちの間の溝はくっきり穿たれたまま。そして……次代を担うはずの子供たちの姿がほとんどない。
 夏休み、しかもお盆だっていうのにな。ここに住んでいる子もここに住む祖父母を訪ねてくる子も少ないってことだ。

 俺の家も陽花のマンションもここよりは街中だから住人の入れ替わりが頻繁にある。それが都市域における正常な新陳代謝なのだろう。だが、ここでは住人の入れ替わりが地区の若返りに結びついていない。地域全体がふすふすと老い、想像以上の速度で地域活性が地盤沈下していることを実感させられる。
 俺が今背にしている野原は、我々の愚かしい変遷を見届けながら、どこかで冷笑しているのだろうか。

「ふうっ」

 優のことから意識が逸れたからか、いくらか頭が冷えた。俺以上にスローモーな優の口が端的な事情説明を紡げるとは思えない。口頭ではなく文章で説明してもらうか。それならたっぷり時間を使える。文章を編む優だけでなく、そいつを読む覚悟をする俺もな。
 黙りこくってしまった優にそれを伝えようとしたら、優がゆっくりと坂の下を指差した。黒い箱バンが派手に土埃を巻きたてながら、こちらに向かって突進してくる。

「雅(まさ)ちゃんが……来た」
「え?」

 とんでもなくうろたえてしまう。優がここに呼びつけたということか? そんな感じには見えないが。

「どうしてここに来れるんだ?」
「書き置き……してきた」

 ああ、なるほどな。口下手な優なら、確かに会話よりむしろ筆談の方が向いている。言い負かされないためには黙り込んで会話を遮断するしかないが、それでは意思疎通できないからな。書くことによって言いたいことは相手に確実に伝わるし、反論も提案も可能になる。優なりに知恵を絞ったんだろう。俺が文章化の提案を切り出すまでもなかったか。

 俺の軽の隣に頭を突っ込んだ箱バンが、まるで気絶したかのように突然動きを止めた。運転席のドアが蹴破られる勢いで開き、転がるようにして雅美さんが飛び出した。鬼の形相で、髪を振り乱している。これまでのどこか取り澄ましたような振る舞いは欠片(かけら)も見られない。まるでぶち切れている時の有美ちゃんにそっくりで、思わず防御姿勢を取ってしまった。
 いきなり食ってかかられると思ったんだが、息を切らしながら俺らのところまで駆け上がってきた雅美さんは、足元にへたり込むなり号泣しながら「ごめんなさい」を連呼した。まるっきり……わけがわからん。

◇ ◇ ◇

 佐々木の男系は、タイプはそれぞれ違うものの総じてのんびりだ。親父が牛で、俺がナマケモノ、優はハシビロコウってとこか。急かされるのが大嫌いだから、誰かを急かすこともない。
 俺も優も牧柵に寄りかかり、草を揺らして吹き寄せる向かい風に顔を向け、無言のまま目を細めていた。雅美さんが落ち着くまではひたすら待つしかないし、待つことには慣れている。

 激しく泣き崩れている雅美さんが落ち着いてから何か白状しても黙り込んでも、俺は気にしない。俺にとってそっちは本筋じゃないんだ。優を呼び出した目的は一つ。大吾の面倒くらい自分たちできちんと見ろ。陽花や親に面倒をかけるな。それだけだ。
 優にはすでに俺たちの置かれている状況をきちんと伝えたし、優もこれまでのようには大吾を陽花や俺のところには預けられないとわかっただろう。雅美さんにも俺たちの事情をきちんと理解してもらえれば、それ以上含むところはない。
 今回の呼び出しは、頻繁な託児はもう受け入れられないとしっかり釘を刺すのが目的だ。それ以外はどんな面倒なことであってもオプションに過ぎない。優の「俺の子じゃない」発言には大いに驚かされたが、だからと言ってこの場ですぐ事細かに説明しろなんて雅美さんに強要するつもりはない。それはあくまでも夫婦間の問題だろう。親が出しゃばる筋合いではない。








Summer Daze by Some Sprouts


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