第九話 台風一過


(3)

 くそ部長は親と雅美さんを離縁させ、生計面で生殺与奪の権利を握り、大吾という枷をはめることで雅美さんをカネのかからない若い愛人……というより性奴隷としてずっと囲い込むつもりだったのだろう。だが、雅美さんが優と結婚したことによってあてが外れた。雅美さんが独身なら部長の妻子に関係がばれた時雅美さんに全責任をなすりつけられるが、既婚者ならそうはいかないからな。
 優との偽装結婚を活かして部長と完全に縁を切るなら、向こうが付け入ってきそうな弱みを残すわけにはいかない。夫婦として暮らしているという体裁を整えるため、これまで別暮らしだった二人は私の家の近くにある小さな賃貸マンションに転居した。これで、第三者にどこにでもいる若夫婦として認知されるようになるだろう。実質は夫婦というよりシェアハウスの住人同士に近いのかもしれないが、まあそれはそれ。同居によってインカムが増え、住居費負担が減るので、経済的にもいくらか楽になるはずだ。
 
 形式上ではなく実際にごく普通の「家庭人」になった雅美さんは、部長の圧力を押し返せる大きなアドバンテージを得た。何から何まで雅美さんが一人で背負い込む必要がなくなり、優が大吾の父親と記載されたことによって認知を拒まれた不利益も消えた。額が少ないとはいえ優も給料取りだから、部長に干されてもすぐに干上がる心配はない。雅美さんが社にしがみつかなければならない経済的な理由が消えれば、くそ部長が雅美さんを拘束できる手段は威圧や恫喝しかなくなる。そいつを防ぐのは簡単だ。物理的に距離を空ける……つまり社を辞めればいい。
 一刻も早く過去のしがらみを断ち切りたいと思い詰めた雅美さんの行動は早かった。引っ越しが終わってすぐに俺の勤めている社に出向いて面接に臨み、採用を勝ち取った。採用が内定したその日のうちに前社に退職届を提出。部長が手続きを阻害しないよう退職手続き代行業者を噛ませた。これで、くそ部長とは縁が切れたことになる。

「それにしても、さすがだよなあ」

 思わず驚嘆してしまう。面接では人事担当の幹部の方が緊張したそうだ。まあ……名家の一人娘だからなあ。それに一流大学出の折り紙付きの才媛だ。転職動機のアピールも一切ネガ抜きで堂に入ったものだったそうな。あんな優秀な子を事務で使い潰すのはなあと人事部長が嘆いていた。
 うちの社の器には収まりきれないかもしれないが、とりあえずはリセットが先だろう。今後のことは、生活が落ち着いてからゆっくり考えてくれればいい。雅美さんの両親による猛攻撃でどこぞのバカが蜂の巣にされるかもしれないが、俺の知ったことではない。

 くそ部長の影響圏外に逃れ、両親との関係修復も進んで心機一転。ストレスがうんとこさ軽くなった雅美さんは、着任早々溜まっていた書類の山を片っ端からやっつけてくれた。課の牟田さん突然退職ショックはすぐに霧散。会社ってのは本当に酷薄で現金だなあとしみじみ思う。
 雅美さんも、仕事が本当にタイトな建設業界の現状を見てほっとしただろう。みんな忙しそうだし、自分も忙しい。余計なことをうだうだ考えてる暇がないからね。特に今年は天候不順で工期が延びがちになっている。工程管理が厄介で、のんびり屋の俺は頭が痛い。

 運命の台風に巻き込まれ、俺自身もちびっこ台風になって自他をかき回しているうちに、朝夕が涼しくなってきた。残暑はまだ厳しいが、時間を選べば野原でゆっくり話ができそうだ。まだ動けるエネルギーが残っているうちに、一番厄介なやつを片付けないとな。
 そう。究極のちゃっかり娘、由仁に釘を刺さないとならない。俺はあいつが本当に苦手なんだよ……。

◇ ◇ ◇

 由仁は我が家の異端児だ。佐々木家伝来ののんびりまったりあばうと気質を根底から否定する超現実主義者で、度を越したちゃっかり屋の上に口が立つ。章子はすぐに丸め込まれてしまっていたし、優は論外。俺だってあいつと正面切って筋論ぶつけ合ったら、三分で白旗だろう。
 だが、今回ばかりは由仁からの一方的な押し付けを「まあいいか」と認めるわけにはいかない。陽花をうちに引き上げ、有美ちゃんと生活を分けるお試し期間の間は、一切のでしゃばりや一方的要求を遠慮してもらわないとならない。これまでのように由仁をのさばらせると、不安定な関係者の足元をすくって悲劇を生みかねないんだ。

 もちろん、陽花と有美ちゃんとの世帯を分ける話はすでに伝えてある。常識的に考えれば、病児や病後児を預かれる状況ではないことぐらいわかるだろう。そう、由仁がきちんと常識をわきまえてくれれば、な。問題はそこだ。あいつは常識より自己都合を優先させちまう。それは、ちゃっかりのレンジを激しくはみ出している。
 家族の間ですら呆れられ、嫌がられていた由仁のちゃっかりは、家族ほどの理解や許容力のない社会ではもっと敬遠されるだろう。有り体に言えば、敬遠されるどころではなく嫌われる。場合によっては憎まれ、恨みを買う。ちゃっかりってのはする方にメリットがあっても、される方にはデメリットしかないからだ。

 今までちゃっかりの弊害が由仁の歩く道を捻じ曲げなかったのは、単に運がいいだけさ。学校生活はクラス、学年、学校が変わることでリセットされる。やらかしの害がリセットの隙間に落ちて目立たなくなっただけで、やらかしたこと自体が免責されるわけじゃないんだ。あいつもそれがわからないほど馬鹿ではないと思うんだが……。

「由仁だからなあ」

 台風がしっちゃかめっちゃかにかき回したのにも関わらず、破壊の跡がまるっきり残っていない野原を見回して、でかい溜息をぶちかます。そうさ。あいつのちゃっかりも、この野原と同じぐらい頑固で厄介なんだよ。








Eye Of The Storm by Millie Turner


《 ぽ ち 》
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