読書ノートの277回めは、梨木香歩さんの『f植物園の巣穴』(2009年発表。文庫版は朝日文庫)です。

 梨木さんについてはこれまでも作品を取り上げてきましたので、略歴等のご紹介は割愛いたします。ファンタジー作家さんですが、一般のきらきら系ファンタジーとは一線を画す重めのものが多いかな。本作もその例に漏れません。





 あらすじ。佐田豊彦という中年男が主人公です。といっても、作中で自分から名乗ることは一度もありません。彼は植物園の園丁をしているんですが、ある日突然耐え難い歯痛に襲われ、どこでもいいと評判も知らない歯医者に駆け込みます。でも……その医者の奥さんが犬にしか見えないんですよ。
 治療を受けてからというもの、どうも何もかもが常ならざる様子でうごめいているようで、彼は勝手が違うことに戸惑ったまま、いつもとは違う時空間を漂うことになります……というお話。






 感想を。まあ、なんとも形容のし難い世界観であり、展開です。なにせ、まともなものが何一つ出て来やしません。序盤はまだ研究者の端くれという風情の解説的な言い回しが出てくるものの、彼の周辺人物は全員例外なく変。しかも、話が進行するに従ってどんどんその変さ加減がひどくなっていきます。
 以前ご紹介した川上弘美さんの『蛇を踏む』に通ずる怪異と現実の間をゆらゆら行ったり来たりする感覚が最後までつきまといますが。川上さんの作品と違い、梨木さんの描き出す世界には主人公が癌として崩したがらない理の世界が最後までずっとついて回ります。ですから、読んでいて主人公の戸惑いに付き添っているという平衡感覚がずっとついて回ります。どんなにファンタジーの荒唐無稽さが剥き出しになっても、現実に根差した理性や感覚はずっと保たれている……だからこそ、読んでいてものすごくむずむずします。人によって、気持ち悪いとも、おもしろいともとれるかと。

 でも、川上さんの作品がどちらかといえばテーマ性を削ぎ落とした塗り絵に近かったのに対し、本作で梨木さんが最後まで一貫してぶらさなかったのは喪失と後悔というテーマ。主人公が幼少時に突然行方不明になったねえやの千代。若くして妊娠したまま死んでしまった若妻の千代。二人の千代の喪失と、それに対する主人公の後悔が、この話の駆動力になっていて、最後にちょっとした驚きをつれてきてくれます。
 喪失と再生を描くという構図は、以前ご紹介した『裏庭』もそうでした。梨木さんは、そこに創作の根幹を据えておられるのでしょう。

 裏庭が中高生向けだとすれば、本作は完全に大人向け。とてもごつい作品なので読みこなすにはエネルギーを要しますが、とても示唆的な作品なので得られるものは多いかと。そして本作……間違いなく男性向けに描かれたものでしょう。かなりアイロニーの色が濃いです。(^^;;






 テクニカルなところを。
 最初にお断りしておきますね。本作、ものすごく読みにくいです。時代が古めに設定されているせいか、一人称なのに地の文章が擬古文に近く、言い回しもとても特殊。ルビを振ってあっても意味がわからない単語が頻発しますし、科学者の端くれとして園丁を描いていますので、植物の専門知識がないとなかなか光景が描けません。特に前半は内容がすんなり飲み込めず、古い文体の本をあまり苦にしないわたしでも難儀しました。
 それに加え、とにかく筋を追いにくいんです。歯医者と植物園、下宿。その三ヶ所が主な舞台になるんですが、いずれもどんどん変容してしまいます。その変容は主人公の心象に連動しているのでしょうけれど、書き振りはそんなにストレートではありません。最後まで脳内に絵柄が浮かびにくい難しい情景描写が続き、読んでいてとても疲れました。再読必須の作品かもしれません。

 内容的にはかなりユーモラスな登場人物や場面が多く、決して四角四面のこちこちな世界ではないんですが。ついてこいと言われてもそうしきれない独特の雰囲気が最後まで途切れないのでねえ。はあ。
 ナンセンスなイベントや情景という意味ではルイス・キャロルのアリスの世界にちょっと似たところがありますが、それよりずっと湿っていてつかみどころがありません。

 修辞は推して知るべし。かっちかちです。使われているモチーフも硬派ですし、時代設定やジェンダー観もとても微妙。だからこそ、大人向けだろうと書いたわけで。

 ですからあえてお勧めはしません。わたしはおもしろいと思いましたが、テーマをきちんと読み取れたとはとても言えませんし、梨木さんが盛り込もうとしたテーマを読者に体現させるには、作り込みがいささか凝りすぎているように感じられたからです。
 ただ、ずっしり歯応えがあります。作中、主人公が歯医者にかかっていますから、みなさんも一緒に歯を食いしばってみてください。(笑

◇ ◇ ◇

 いやあ、ファンタジーってのは本当に奥が深いです。とりあえず、そんなところで勘弁してください。(^^;;


 次回の読書ノートは、逸木裕さんの『電気じかけのクジラは歌う』です。




Holes in the Ground by Sim Redmond Band


《 ぽ ち 》
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