運がいいとか悪いとか。
 人はよく運勢のことを口にする。
 だが、それはある時点での判断に過ぎない。

 運がいいと判断しても悪いと判断しても、運の影響は一点に定まらず変化し続ける。その趨勢は、必ずしも我々の望み通りには動かない。

 そして。運の評価はその時にではなく、過ぎ去ったあとのこととして、結果として評価される。当然、それは絶対値にはならない。









 硬い切り株の隙間に芽を出したスギ。
 柔らかい苔に抱かれて芽を出したスギ。

 わたしたちは前者を不運、後者を幸運と位置づけがちだ。
 だが、それは単なるイメージに過ぎない。

 幾千万の種子の中からたまたま発芽できたということなら、両者とも幸運だ。
 だが、いずれも一年保たずに枯死するだろう。順調な生育を保証されないという点ではどちらも不運なのである。









 これも先ほどのスギと同様である。
 土の上で芽を出せたマツの種子は幸運で、倒木の上で芽を出したマツの種子は不運か?

 わからない。いや、運勢は定まらない。
 運がいいかもしれないし、そうでないかもしれないのだ。
 彼らの得た幸運は、現時点だけに限定されている。

 芽を出せた場所がどれくらい明るいか、安定しているか、虫や病気の影響を受けないか、等々。今後の運勢は恐ろしく多くの要因に左右されるのだ。

◇ ◇ ◇

 運に一喜一憂しても意味はない。いや、ないかもしれない。
 だが、わたしたちの人生は数多くの幸運と不運の積み重ねが層をなすことで形作られている。事実、そうなのだ。幸運を喜び、不運を嘆く、その果てしない積み重ねそのものなのだ。




  お守りは何を守っているのかを知らない





The Lucky One by Laura Branigan

 彼女は幸運だったのでしょうか。不運だったのでしょうか。


《 ぽ ち 》
 ええやんかーと思われた方は、どうぞひとぽちお願いいたしまする。(^^)/


にほんブログ村 小説ブログ 短編小説へ
にほんブログ村