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シーズン8 第七話 鷲羽(1)



 ケッペリアが酷暑に侵される真夏がやってきた。もちろん、暑さが天敵であるソノーの機嫌はずっと悪い。だが、その機嫌の悪さは暑さがもたらしたものではない。国同士の諍いが大きな戦役に拡大したことを嫌気したからであろう。
 どこか遠くの他所の出来事だと割り切れればよいのだが、そうは行かぬ。乱を起こした当事者はボルム南部の諸将であり、ボルム南部はルグレスにべったり面している。いつどのような形でルグレスに騒乱が飛び火するかわからんのだ。そして、ボルムの連中が標的にしているのはサクソニアじゃ。万が一にでもサクソニアがボルムに敗れるようなことがあれば、戦火は一気に諸国に拡大する。屋敷全ての面々が事態を深刻に受け止めたのは当然であろう。
 もちろん、私も警戒を怠ることはできぬ。常ならばシーカーに状況を確認させるのだが、此度は監視範囲が極めて広い。シーカーに任せるには荷が重いので、はるか上空から状況を広域把握できる大鷲(おおわし)の力を借りることにした。

 戦役があろうとなかろうと、それぞれの生活は守らねばならぬ。女たちはいつも以上に職務に集中した。
 そして私、ペテル、オルム、イルガの男衆四人は、鷲が報せてくる最新情報の分析に明け暮れた。戦況次第では我々も行動を起こす必要があるかもしれぬからだ。だが……。

「うーん。ビクセン公は本当に恐ろしい方ですな」

 戦況を書き込んだ地図を見下ろし、オルムとイルガがずっと呻吟している。

「そりゃそうよ。ビクセン公自身が一騎当千の猛者。その上、権謀術数にも長けておる。グルクは力任せの愚か者じゃったが、ビクセン公は鬼神。あれで心まで鬼だと世界が恐怖に覆われる」
「そうか。ビクセン公は人格者としてよく知られていますものね」

 ペテルがうんうんと頷いた。

「その評価自体がビクセン公の作戦という見方もできるがな。されど、決して悪いことではあるまい」
「ええ」

 私も腕を組んでじっと考え込む。ビクセン公はグルクが頓死(とんし)した直後から、今般の事態に至ることを見据えていたに違いない。公の対処はすでに始まっていたのだ。

◇ ◇ ◇

 グルクの国家運営は絶対集権型で非常に強力だったが、あまりに強引であった。ボルムという大国家を打ち立てるために徹底して力を行使したため、ひどく歪んでいた。ボルムは国としてはまだ脆弱だったのだ。
 グルクはその弱点をよく認識していた。だからこそ正面からサクソニアに攻め込まず、くだらん策を弄(ろう)した。自ら大軍を率いて攻め込めば空いた背後を裏切った自国民に襲われるかもしれぬ……グルクは力任せがもたらす危険な反動を心底恐れていたのだろう。

 そして、ボルムでの複雑な力関係は今でも全く変わっておらぬ。グルクのような絶対君主がおらぬ今のボルムで、国の再統一に向けて行動を起こしたのは南部を制した幾人かの大領主だ。彼らは中部出身のグルクに無理やり従わされ、煮え湯を飲まされてきた。されば、権力奪還の意志がもっとも強い。グルクの眷属が残っている中部を力尽くで臣従させようとするであろう。だが、ボルムの根幹でありグルク大公の膝元を自負している中部の諸侯が南部の意向をすんなり飲むはずはない。
 さらに、ボルム北域は政権中枢部からずっと軽視されてきた、山がちで生産力に乏しく、貧乏で役に立たない連中だとバカにされてきたのだ。北部諸侯は表向き臣従の姿勢を保ってきたものの、心中期するところがあったに違いない。
 偵察を怠らぬビクセン公は、ボルムが北部、中部、南部でそれぞれ異なる地域事情を抱えていることを探り当て、地域間の不協和音を聞き逃さずにボルムの切り崩しを始めたのだ。

 サクソニアも北部は山岳地じゃ。サクソニアの東側にある諸国も残らず山がち。山岳民族を多く抱えていることで、互いの親和性が高い。ボルム北部の諸侯には友誼を持ちかけやすいのだ。中・南部の富裕層からずっと貧乏人扱いされてきた北部諸侯は当然ボルムからの離脱を考えるであろう。
 また、南ボルムのサクソニア遠征に中部の諸侯は必ずしも乗り気ではない。グルク死去後に軍が緩んだ上に、ノルデに唆されてグレアム襲撃に精鋭を拠出してしまったからな。その兵が全滅した今は、正直戦どころの話ではないのだ。これ以上の地盤沈下をどう防ぐかが喫緊の課題であるはず。
 ボルム北・中・南部の三軍による総攻撃であれば、いかにサクソニアの軍が屈強といえども押し返すのは難しいかもしれぬ。だが、実際には三分の一しか動かぬ。その程度ならば、ビクセン公の相手にはならん。戦闘経験も兵の錬成度もまるっきり違うからな。

 問題は、ウェグリを併合したのち南下してくるであろうキルヘをどうさばくかじゃ。我々は公の打つ手が読めなかったのだ。しかし、ビクセン公の作戦は極めて緻密だった。我々は集団戦の真髄がいかなるものかを、結果として思い知ることになった。

◇ ◇ ◇

「バスコムが兵を動かしてから、まだ半月も経っておらんのにのう」

 戦神(いくさがみ)は神速を尊ぶ。よく言われることじゃ。進む時も退く時も、ぐずぐずしておっては何も成し得ぬ。当然ボルムもキルヘもそう考え、サクソニアの虚を衝く作戦を立てていたはずじゃ。だが、ボルム南部の動きは公が潜らせた間者から、キルヘの動きはウェグリ守将から、逐一公に報されていた。両者の動きはサクソニアに筒抜けだったのだ。
 真っ先に動くのがキルヘであることは間違いない。ウェグリが障害になったままだとサクソニア軍を挟み撃ちすることができんからな。キルヘのバスコムが動いたタイミングで、ビクセン公は先回りして全ての策を発動させることができる。ボルムの機先を制することができるわけじゃ。

 その際、ウェグリの王がキルヘとサクソニアにどう対処するかで作戦が変化する。同盟国のサクソニアに操を立てればイルミン妃率いる防衛軍が救援に向かい、キルヘの軍勢を遮断することになる。ボルムの東進軍だけならばサクソニア正規軍で十分戦えるからな。
 されどビクセン公は、ウェグリの王族を全く信用していなかった。無理もあるまい。同盟締結後、ウェグリはサクソニアに一度も家臣を派遣せず、イルミン妃のことも軽視したままで結婚式にも参列しなかったそうじゃ。ウェグリ王は、悪い意味で広い世界を知らぬ田舎の小物だったのであろう。
 その小物が大国ボルムの威圧に耐えられるはずはない。必ずや寝返る。ビクセン公の読みは当たった。軍議において、ウェグリ王がボルムに無条件降伏すると宣言したのだ。

 宣言の直後、王の守護を担ってきた砂竜使いの一族が示し合わせて一斉にウェグリを離脱した。イルミン妃にとって彼らは苦楽を共にした同僚もしくは部下じゃ。血族も多い。敵対していたキルヘやボルムの捨て駒にされることなど決して受け入れんじゃろう。
 騎乗した砂竜使いの一族は変装したサクソニアの警護兵に守られて速やかにウェグリを抜けると、ボルム北辺の山道を通って全員無事にサクソニアへの脱出を果たした。イルミン妃は心底ほっとしたであろう。

 守備兵に見捨てられたウェグリの王族は、キルヘのバスコムに一人残らず切り捨てられてあっけなく全滅した。節を通さぬ者の末路は哀れじゃのう。
 されどボルムとキルヘも目論見が外れてがっかりしたはず。何の価値もないウェグリを併合しただけで、最大の戦果であるはずの砂竜使いを得ることに失敗したのだから。グレアムが鳩で急を報せてきた時には、すでに事態が大きく動いていたということじゃな。

「そこからが、まさに神速でしたな」

 イルガが、地図の街路を凝視している。

「ボルムの王都エンデアと王宮はグルクの死去後廃墟になりましたが、本来は交通と物流の要所なんですよね」

 ペテルがエンデアの位置を指差す。中部の要都はエンデアのかなり北に位置するバレンという街に移っていたが、バレンは水利に恵まれず、道の整備もおざなりだった。要都というにはあまりにお粗末だったのだ。
 つまり、一見無価値に見えるエンデアを南ボルムとサクソニアのどちらが先に押さえるかで戦況が変わる。百戦錬磨のビクセン公がへまなどするはずがない。同盟国ウェグリを救援するという名目でボルムに電撃出兵し、真っ先に廃都エンデアを占領。エンデアを拠点にして中部の要所を瞬く間に陥落させて行った。中部は水と穀物に恵まれている。武装解除をしつつ糧道を押さえてしまえば、南ボルムは動けなくなる。

 されど、南ボルムの将はまだ楽観していたはずじゃ。南ボルムの軍だけではなく、北ボルム及びキルヘの軍勢と示し合わせて挟撃する作戦だったからな。
 もちろん、ビクセン公はきちんと備えておった。サクソニア側に寝返ったボルム北部諸侯の連合軍が、北西からサクソニア軍の背後に回り込もうとしたキルヘ軍を足止めしたのじゃ。砂漠ならともかく、不慣れな山岳地ではキルヘの軍勢が思うように動けぬ。キルヘも南ボルムも、北ボルムの諸侯がすでにサクソニアと密約を結んでいたことを何も知らなかったわけじゃな。兵力で劣る上に諜報戦で遅れを取るようではどうにもならぬ。

 要衝を先にサクソニアに押さえられ、背後を衝くはずの友軍が待っても待っても来ない。南ボルムの軍勢は、合流するはずだった北・中ボルムとキルヘの兵だけでなく、現地調達をあてにしていた水と食料も得られなくなった。糧道が伸び切ってしまった南ボルムの軍は本拠地まで撤退して態勢を立て直すしかなくなった。
 状況の急変に慌てたのは、北部諸侯連合軍に足止めされていたキルヘの軍も同じじゃ。中・南ボルムとの連携でサクソニア軍を挟み撃ちにするはずが、逆に北部諸侯軍とグレアム率いるサクソニア別働隊に挟まれてしまった。バスコムらは慣れぬ山岳戦で兵の大半を失い、血路を開いて命からがら西域まで逃げ帰ったものの、やっと帰り着いた砂漠で待ち構えていたのはイルミン妃率いる砂竜部隊。あえなく全滅と相なった。捨て駒扱いされたイルミンと砂竜使いの女たちは、大いに溜飲を下げたことであろう。

 西域全てと中部の要地をサクソニアに押さえられてしまった南ボルムの軍勢はじりじりと押し込まれ、応戦の間に将を何人も失って支配地域を大幅に減じた。その後南ボルムの主要な領主が各々の領地に逃げ帰ったことにより、ボルム国軍は空中分解。戦は自ずと終息した。
 そして、ビクセン公は深追いをしなかった。散開していた自軍の兵をまとめるや否や、さっとサクソニアに引き返した。戦が始まってから趨勢が定まるまで一ヶ月も経っておらぬ。いかにビクセン公の備えが周到だったかがよくわかる。





(地衣類)





Unforgiven by Two Steps From Hell


《 ぽ ち 》
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