《ショートショート 1473》


『俯くやつは嫌いだ』


 すぐに俯くやつは嫌いだ。卑屈だとか意気地がないとか決めつけているからじゃない。俯くのはコミュニケーション遮断のためなんだよ。俺はそいつが気にくわないんだ。
 喜怒哀楽を乗せた表情の変化なら、俺にとって好ましくなくても納得する。そいつが立派な意思表示だからだ。だが俯かれると表情がわからない。俯いて意思表示を隠蔽するなんざ、百害あって一利なし。俺は常々そう思っている。




(ヤマボウシ)



 で。俺の前にずっと俯いている生徒がいる。こいつがすぐ俯く癖のあるやつなら、俺はまともに相手をしない。向こうが意思疎通を全く望んでいないのに、俯いた顔を強制的に持ち上げる無粋かつ非生産的なまねなんかしたくないからな。いいよ、好きなだけ俯いてろ。そう言ってぽいっと放り出す。
 だが、俺の前にいるのはおよそ俯きそうにないやつだった。学年首位の優等生。トップを一度も譲ったことがないのに、勉強一筋のガリ勉タイプではない。気さくで話好き。友人も多いし、人から頼られる親分肌だ。もちろん、これまでこいつが俯いているところなど一度も見たことがない。
 だが、俺の呼び出しで指導室の椅子に座った直後から、こいつはじっと俯いたまま。もちろん、俺の質問にも叱責にも一切反応しない。

 これまでの姿と今の有様がまるっきり合致しないんだよ。どうしたもんかな。

◇ ◇ ◇

 俺が米田を呼び出した理由は、カンニングに関する事情聴取だ。模試の最中に視線移動が不自然だったことに気づいた試験監督の先生が、米田の不審な行動を問いただし、米田はその場で不正行為を認めた。現行犯なので言い訳はできない。
 カンニングは学生にとって最悪のルール違反であり、その程度の大小を問わず実行犯には厳しい処分が下される。悪質な場合は退学させられることもある。
 もっとも、そこまでのリスクを冒してまで一点、二点が欲しいなんてやつはほとんどいない。もし最低ラインに届かなくても、補習や追試での救済措置が用意されているから実害はほとんどないんだ。不正行為への処罰の方がずっと重い。

 しかも、今回米田がやらかした試験は記録に残る定期試験ではない。業者がちょくちょく実施する実力テスト……いわゆる模試だ。まあ、受けても受けなくても構わないってやつなんだよ。わざわざカンニングする意味なんざどこにもない。しかもやらかしたのが米田だろ? 目を瞑って回答したって満点叩き出すようなやつが、なぜカンニング? あまりに不自然だった。
 だから、俺が米田を呼び出したのは説教をするためでもどやすためでもなく、純粋に事情を聞くためだ。だがこれまた異例中の異例で、普段は質問にきびきび答える米田が、ぴったり口を閉ざしたまま俯いてしまった。反抗も反省もない。まさにコミュニケーション拒否。これじゃあお手上げだ。

「帰ってよし。日を改めて再聴取する」
「……」

 仕切り直すしかない。米田は最後まで俯いたまま、無言で指導室を出て行った。挨拶を欠かさないあいつらしくなく、最後まで無言で。

◇ ◇ ◇

 職員室に戻ってから、当日試験監督をしていた松永先生に愚痴る。

「取りつく島もないってのはこのことだよ。あそこまで徹底的に俯かれると攻め手がない」
「だんまり、ですか」
「ああ」
「解せないですよね」
「あいつにとっては受ける意味のない模試だろ。なんでまたカンニングなんか」

 と自ら口にして、はっと気づいた。

「そうか、違う!」
「えっ?」

 俺の剣幕に驚いて机に肘をぶつけた松永先生が、激痛で悶絶しながら俺に確かめた。

「いてて、なにが違うんですか?」
「あいつ、今回のレベルの模試はこれまで一回も受けていない。外部模試オンリーなんだよ。おかしいと思わなかったか?」
「そう言えば……」
「松永さんは、米田の視線の動きがおかしいのに気づいたんだろ?」
「あ、はい。一番原始的な方法ですよ。人の答案用紙を盗み見るっていうやつ」
「逆だ。なるほど、それでか」
「え? ぎ、ぎゃくぅ?」
「そう。あいつは人の答案用紙を見ようとしたんじゃない。自分の答えを『誰か』に教えようとした。それなら瞬きの数とかで答えを伝達できる」
「あっ!」

 そう。カンニングはするものだと思い込みがちだが、今回はあいつが誰かにカンニングをさせたんだよ。

「じゃあ、共犯者がいるってことなんですね」
「ああ。見当はつく」

◇ ◇ ◇

 人生には何度か「絶対にここはとちれない」という分岐点がある。その分岐点にぶち当たっていたのは米田ではなく、もう一人の生徒、黒野だ。野球部のキャプテン。スカウトも注目している強肩強打の捕手で、弱小もいいところのうちの野球部には正直勿体ない存在だ。うちの野球部じゃ甲子園を目指すなんざ逆立ちしたって無理さ。でも地区予選の一つか二つは勝ち上がりたい……部の連中はみんなそう考えてる。
 うちは平凡な公立校なので試合出場に成績の縛りなんざない。だとすれば、縛っているのは黒野の親だろう。野球にうつつを抜かして勉強ぼろぼろなのは絶対に許さん……そう言い渡されたんじゃないだろうか。最後通牒を突きつけられたのが定期試験のあとだとすれば、模試にクリアすべき点数を設定されてしまったんだろう。そこを上抜け出来なかったら部を辞めさせる、みたいに。

 だが、残念ながら黒野のおつむは特別出来が悪い。特に理数系は壊滅的だ。今まで越せなかったハードルをいきなり跳び越えろというのは無茶を通り越して拷問と同じ。黒野は米田に泣きついたんじゃないかな。どうしたらクリアできるのかって。
 最初っからカンニング前提じゃない。まじめな米田のことだから、短期間で教え込もうと努力はしたんだろう。でも一教科だけ点を上げるならともかく、全部をかさ上げするのはどう考えても無理だ。おそらく……カンニングの件は黒野が言い出したんじゃなく、米田から切り出したんじゃないだろうか。もしバレたら俺が泥を被るからと。
 スポーツマンてのは、ルールを守って正々堂々が旨だろう。いかなる事情があっても、不正に手を染めるのは下の下だ。だが、シャイロックよろしく部活と成績を天秤にかけて脅すってのはそれ以上に趣味が悪い。自分がそうされたらイヤじゃないのかね。

 まあいい。崩すなら米田ではなく黒野の方だな。

◇ ◇ ◇

 黒野は、自分がやらかしたことに相当びびっていたんだろう。俺のかまかけにまんまとひっかかり、あっさりゲロした。模試くらいてめえの力で解きやがれとどやしたついでに、親から変なプレッシャーかけられてないか探りを入れた。黒野はそっちも素直に吐いた。俺の予想通りの事情を。
 それなら話は早い。臨時の三者面談をすると親を呼び出し、勉学をおろそかにするなと叱責するのは至極真っ当だが、タイミングを考えろとがっつりどやした。地区予選一つ勝つのもやっとのチームなんだ。最後のチャレンジくらいのびのびやらせろよ。大会前にろくでもないことするんじゃねえ!

 黒野も決して俯くようなやつじゃないんだが、俺が親に説教している間ずっと俯いて泣いていた。俯かれると表情がわからない。だから俺は俯くやつが嫌いだ。嫌いだが……俯かなければならない時ってのが、どうしてもあるんだろう。

◇ ◇ ◇

「小橋先生、どうしてわかったんですか?」
「あほう。俺が何年教師やってると思ってんだ!」

 むくれている俺の前で、米田が苦笑した。いつものように、視線はまっすぐ俺に向けられている。とりあえず米田の望んでいたオチの範囲内になんとか収まって、ほっとしたんだろう。




(ヤマボウシ)



「いいか、米田。よーく覚えとけ。俺は俯くやつが嫌いだ。俯くってのはコミュニケーションを拒否する姿勢だ。俯かれてしまうと俺は何もできん」
「はい」
「だから、俯かないおまえが俯いた時、遮断することでどうしても守りたいものがある……俺はそう考えたんだよ」
「すげえ」
「すごかないさ。たくさんの生徒を見てりゃあ自然にわかる」

 黒野は、米田と俺のフォローが嬉しかったんだろう。水を得た魚のように試合で躍動し、キャプテンシーを存分に発揮して部の連中をがんがん鼓舞した。その甲斐あってか、弱小部にしては珍しく二つ勝ち上がった。次はさすがに厳しいと思うが、後悔を残さず最後まで実力を出しきるだろう。
 黒野がなぜ泣いたのかはわからない。弱い自分が情けなかったからなのか、親の理不尽なオーダーに反発したからなのか、米田や俺のフォローが嬉しかったからなのか。俯いていて、表情が読めなかったからな。
 それはともあれ、あいつは米田が俯いて守ったものを今最高に輝かせている。それでいいさ。結果オーライだ。

「まあ今回の件は、事情がきちんと明らかになった時点でちゃらだ」
「お咎めなし、ですか?」
「おまえらには、あんな模試なんかなんの意味もないだろ」
「あはは」
「笑い事じゃねえよ。試験監督する俺らの身にもなってくれ」
「うう」

 口をへの字にして、でっかい愚痴をぶつけてやる。

「試験の間、俺らは俯きたくても俯けないんだよ。面倒くさいったらありゃしねえ」





Don't Look Down by Go West


《 ぽ ち 》
 ええやんかーと思われた方は、どうぞひとぽちお願いいたしまする。(^^)/


にほんブログ村 小説ブログ 短編小説へ
にほんブログ村