《ショートショート 1472》
『涙袋』
「朝もはよから何をやっとるんだ、ちみは」
「ほっといてんか」
部活の朝練明け。制服に着替えて教室一番乗りーと踏み込んでみたら。教室のど真ん中の席でみっこが変顔を繰り返してる。指であーがり目、さーがり目、ぐるっと回ってにゃんこの目ってか。ユーレイ相手に笑わしっことか、ヤメテクレヨ。
「いや、マジな話。何やってんの?」
「これよ」
みっこが机の横にかけてあったサブバッグから雑誌の切り抜きみたいのを取り出して、わたしに突きつけた。
「ほよ? なんじゃとて」
「読んでみ」
「えーと、なみだぶくろ、強化?」
「あほー。これは『るいたい』って読むの」
「あんただって読めなかったんでしょ」
「えへへー」
ったく。で、そのるいたいとやらは一体なんぞや。切り抜きは涙袋強化の方法という顔体操の部分だけなので、解説がない。
「てか、なにそれ」
「涙の袋って書いて、涙袋」
「鍛えると伴宙太みたいに爆涙ごうごう流れるとか」
「あんたも古いキャラ知ってるねえ」
「えへん」
「ほめてないって」
「いや、まじで、なにそれ?」
目の真下にぽちぽちと人差し指の先をつけて、みっこがあかんべえをする。
「わりゃ、朝からケンカ売っとんのか?」
「ちゃいますがな。ここんとこがぷよっとしてた方が、目の周りに立体感ができてかあいく見えるらしい」
「ほよ?」
知らんかった。
「で、その涙袋とやらは、ジッサイ涙の袋なわけ?」
「場所的にそれっぽいだけで、実際は筋肉なんだってさ」
「なんだ、つまらん」
「でも、筋肉なら鍛えればいいわけで。あんたの朝練と同じであたしも朝からワークアウトよ!」
「ご苦労さん」
わたしがあっさりスルーしたのが不満だったんだろう。みっこがしょうもないツッコミを入れた。
「あんたはいいよねー、最初っから涙袋ぷっくりで」
「中身は空っぽだけどね」
ぽつんと言葉を転がして、わたしは席に戻った。みっこがなんじゃそりゃって顔でこっちを見てるけど。
……スルーした。
わたしは涙を流せない。涙腺がめっちゃサボってるらしくて、片時も目薬を手放せないんだ。ドライアイにもずっと悩まされていて、空気の乾燥がひどい時期には保湿のためにゴーグル型のメガネをかける。みっこは花粉症対策だと思ってるみたいだけど、それ以前の問題だ。
乾き目の痛みもしんどいけど、もっとしんどいのは感情の揺れに合わせて自然に出るはずの涙が流せないこと。感動したり悲しかったりで、泣けることはしょっちゅうある。でも表情や声が『泣く』という態勢になっても、涙は一滴も出てこない。そういうヘンなわたしを見て、周りの子たちは思うわけ。
「あ、ゆうこったら嘘泣きしてる。ひどいねー」
傷つくよね。手足が欠損してたり、目が見えない、耳が聞こえないとかの重度の障害なら、みんなはハンデをちゃんと考えてくれる。でも、涙が出ないという障害は誰もハンデだとみなさない。それがきついハンデだっていう想像力が働かないみたい。ハンデそのものもしんどいのに、みんなはわたしに「涙を流せないオンナ」っていうネガティブイメージをべったり貼り付けてしまうんだ。
わたしはドライな性格なんかじゃないのに、一方的に正反対のイメージを押し付けられてしまう。息苦しいったらない。
眼科のセンセイにも治療できないのかって聞いてみたけど、目薬で対処するしかないって言われちゃったし。だからさっきの涙袋の話は、わたしにとっては一番傷つくネタなんだ。何も知らないみっこにぶち切れたくなかったから、辛うじてスルーで対処したけどね。
学校の帰りに薬局に寄って、いつもの目薬を出してもらう。店長のおばあちゃんは顔なじみで、わたしの目のしんどさもよくわかってくれる。わたしにとっては、おばあちゃん店長とのやり取りがオアシスみたいなものだ。
「お待たせしました」
店長さんが、目薬の入ったビニール袋とお薬手帳を手渡してくれた。お、塩飴のおまけつきだ。こういうちょっとした気遣いがほんとにうれしい。
「ゆうこちゃんのは、ドライアイなんていうレベルじゃないものねえ。いい治療法が見つかってくれないかねえ」
「ありがとう。試合とかはメガネで対処できるからいいんだけど、他がなあ……」
柔らかく苦笑した店長さんが、言葉の続きを引き取ってくれた。
「泣けないわけじゃないんでしょ? 涙が出ないだけで」
「うん」
「じゃあ、大丈夫よ。悲しさが限界を突破しちゃうと、本当に涙が涸れてしまうの。そうなっちゃうのはどうしようもなく不幸だからね」
う……。どう答えたらいいかわからなくて、黙っちゃった。ほがらかで穏やかで親切な店長さんだけど、これまでに涙が涸れるほどの悲しさを経験したんだろうか。
ふと、我が身を振り返る。涙が出ないハンデを想像してくれないってぶつくさ文句言ってるわたしは。そんなわたし自身は、どこまで他人のハンデを親身に思いやっているだろうか、と。
涙袋っていういかにもそれっぽい名前なのに、中身は筋肉。涙なんか一滴も入っていない。だからって、血も涙もないと思われるのは嫌だよね。涙腺が干上がってても、涙袋はあるからマシ……そんな風に考えないとダメなんだろう。
もらった飴をさっそく頬張って、店長さんにお礼を言う。
「店長さん、飴ありがとう」
「いいえー、部活がんばってね」
「はあい!」
お店を出てすぐ。買ったばかりの目薬を開けて、両目にさした。しみない目薬なのになぜかすごくしみて……溢れた目薬が涙のように流れていった。
「わたしの涙袋はポータブルの特別仕様、かあ。よっ! 頼むよ、相棒!」
Sky Full Of Tears by Matt Costa
《 ぽ ち 》
ええやんかーと思われた方は、どうぞひとぽちお願いいたしまする。(^^)/
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『涙袋』
「朝もはよから何をやっとるんだ、ちみは」
「ほっといてんか」
部活の朝練明け。制服に着替えて教室一番乗りーと踏み込んでみたら。教室のど真ん中の席でみっこが変顔を繰り返してる。指であーがり目、さーがり目、ぐるっと回ってにゃんこの目ってか。ユーレイ相手に笑わしっことか、ヤメテクレヨ。
「いや、マジな話。何やってんの?」
「これよ」
みっこが机の横にかけてあったサブバッグから雑誌の切り抜きみたいのを取り出して、わたしに突きつけた。
「ほよ? なんじゃとて」
「読んでみ」
「えーと、なみだぶくろ、強化?」
「あほー。これは『るいたい』って読むの」
「あんただって読めなかったんでしょ」
「えへへー」
ったく。で、そのるいたいとやらは一体なんぞや。切り抜きは涙袋強化の方法という顔体操の部分だけなので、解説がない。
「てか、なにそれ」
「涙の袋って書いて、涙袋」
「鍛えると伴宙太みたいに爆涙ごうごう流れるとか」
「あんたも古いキャラ知ってるねえ」
「えへん」
「ほめてないって」
「いや、まじで、なにそれ?」
目の真下にぽちぽちと人差し指の先をつけて、みっこがあかんべえをする。
「わりゃ、朝からケンカ売っとんのか?」
「ちゃいますがな。ここんとこがぷよっとしてた方が、目の周りに立体感ができてかあいく見えるらしい」
「ほよ?」
知らんかった。
「で、その涙袋とやらは、ジッサイ涙の袋なわけ?」
「場所的にそれっぽいだけで、実際は筋肉なんだってさ」
「なんだ、つまらん」
「でも、筋肉なら鍛えればいいわけで。あんたの朝練と同じであたしも朝からワークアウトよ!」
「ご苦労さん」
わたしがあっさりスルーしたのが不満だったんだろう。みっこがしょうもないツッコミを入れた。
「あんたはいいよねー、最初っから涙袋ぷっくりで」
「中身は空っぽだけどね」
ぽつんと言葉を転がして、わたしは席に戻った。みっこがなんじゃそりゃって顔でこっちを見てるけど。
……スルーした。
わたしは涙を流せない。涙腺がめっちゃサボってるらしくて、片時も目薬を手放せないんだ。ドライアイにもずっと悩まされていて、空気の乾燥がひどい時期には保湿のためにゴーグル型のメガネをかける。みっこは花粉症対策だと思ってるみたいだけど、それ以前の問題だ。
乾き目の痛みもしんどいけど、もっとしんどいのは感情の揺れに合わせて自然に出るはずの涙が流せないこと。感動したり悲しかったりで、泣けることはしょっちゅうある。でも表情や声が『泣く』という態勢になっても、涙は一滴も出てこない。そういうヘンなわたしを見て、周りの子たちは思うわけ。
「あ、ゆうこったら嘘泣きしてる。ひどいねー」
傷つくよね。手足が欠損してたり、目が見えない、耳が聞こえないとかの重度の障害なら、みんなはハンデをちゃんと考えてくれる。でも、涙が出ないという障害は誰もハンデだとみなさない。それがきついハンデだっていう想像力が働かないみたい。ハンデそのものもしんどいのに、みんなはわたしに「涙を流せないオンナ」っていうネガティブイメージをべったり貼り付けてしまうんだ。
わたしはドライな性格なんかじゃないのに、一方的に正反対のイメージを押し付けられてしまう。息苦しいったらない。
眼科のセンセイにも治療できないのかって聞いてみたけど、目薬で対処するしかないって言われちゃったし。だからさっきの涙袋の話は、わたしにとっては一番傷つくネタなんだ。何も知らないみっこにぶち切れたくなかったから、辛うじてスルーで対処したけどね。
学校の帰りに薬局に寄って、いつもの目薬を出してもらう。店長のおばあちゃんは顔なじみで、わたしの目のしんどさもよくわかってくれる。わたしにとっては、おばあちゃん店長とのやり取りがオアシスみたいなものだ。
「お待たせしました」
店長さんが、目薬の入ったビニール袋とお薬手帳を手渡してくれた。お、塩飴のおまけつきだ。こういうちょっとした気遣いがほんとにうれしい。
「ゆうこちゃんのは、ドライアイなんていうレベルじゃないものねえ。いい治療法が見つかってくれないかねえ」
「ありがとう。試合とかはメガネで対処できるからいいんだけど、他がなあ……」
柔らかく苦笑した店長さんが、言葉の続きを引き取ってくれた。
「泣けないわけじゃないんでしょ? 涙が出ないだけで」
「うん」
「じゃあ、大丈夫よ。悲しさが限界を突破しちゃうと、本当に涙が涸れてしまうの。そうなっちゃうのはどうしようもなく不幸だからね」
う……。どう答えたらいいかわからなくて、黙っちゃった。ほがらかで穏やかで親切な店長さんだけど、これまでに涙が涸れるほどの悲しさを経験したんだろうか。
ふと、我が身を振り返る。涙が出ないハンデを想像してくれないってぶつくさ文句言ってるわたしは。そんなわたし自身は、どこまで他人のハンデを親身に思いやっているだろうか、と。
涙袋っていういかにもそれっぽい名前なのに、中身は筋肉。涙なんか一滴も入っていない。だからって、血も涙もないと思われるのは嫌だよね。涙腺が干上がってても、涙袋はあるからマシ……そんな風に考えないとダメなんだろう。
もらった飴をさっそく頬張って、店長さんにお礼を言う。
「店長さん、飴ありがとう」
「いいえー、部活がんばってね」
「はあい!」
お店を出てすぐ。買ったばかりの目薬を開けて、両目にさした。しみない目薬なのになぜかすごくしみて……溢れた目薬が涙のように流れていった。
「わたしの涙袋はポータブルの特別仕様、かあ。よっ! 頼むよ、相棒!」
Sky Full Of Tears by Matt Costa
《 ぽ ち 》
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