第六話 涙雨


(1)

「まいったなあ……」

 土建屋殺すに刃物は要らぬ。雨の十日も降ればいい。そこまでではないにしても、毎週末が判子で押したように雨だと野原周辺の整備作業が出来ない。連休の時には滝村さんがバイトで手伝ってくれたから想定以上に捗ったんだが、さすがに雨の日に呼び出すわけにもいかないからなあ。
 それでも、見回りだけはしておくか。たちの悪いヤンキーや悪質産廃業者がゴミを散らかしていくことはそうそうないと思うが、ちょっと目を離している間に牧柵の外がゴミだらけになるのは変わっていない。日本人のモラルは一体どこに行ったんだとぶつくさぼやいたところで、ゴミは自主退去してくれないからなあ。

 傘とレインコートを軽に放り込み、雨の中を走れば洗車しなくても済むかもなどとものぐさ魂を存分に爆裂させながら運転席に乗り込む。車の外が雨音で埋まると、かえって車内の静けさが癪に触る。やけっぱちでカーラジオのボリュームを上げ、音楽で気を紛らわそうと思ったんだが。

「いよいよ梅雨シーズンが始まりました。しばらくすっきりとしない空模様が続くでしょう。傘を持ってお出かけください」

 よりにもよって天気予報。それもむさ苦しい男の声だ。

「言われなくてもわかっとるわい」

 少ないやる気にじわじわとカビが生えてきた。さっさと行こう。蹴飛ばすようにアクセルを踏んで車を出す。おっと、安全運転、安全運転。

◇ ◇ ◇

 雨のせいか街中の車も少なく、いつもより早く野原に着いた。見回りだけさっさと済ませて、今日は早上がりしよう。豊島さんも、さすがに雨の日までは散歩に出ないだろう。車内で完全防備して長靴に履き替え、やっこらせと車を降りる。

「おわっ」

 滑ってこけそうになり、慌ててバランスを取り直す。今は小雨だが、昨日の夜はしっかり降った。その影響か、アプローチの上り坂がどろどろだ。そういや……。

「親父が言ってたなあ。すぐ苔が生えて滑るって」

 考えてみれば、俺は子供の頃も優や由似を連れてきてた頃も晴れた日にしか野原に来ていない。雨が降った日に来たのはこれが初めてかもしれない。
 丘のてっぺんだから水の抜けは悪くないと思うが、土が粘土質で雨を吸い込みにくいんだろう。すぐに土が流れてずるずるになる……か。面倒臭いけど、砂を入れた方がいいかもなあ。ずっこけて泥まみれになると、いたずらに洗濯物を増やしてしまう。それでなくともなかなか乾かない洗濯物の垂れ下がった旗が、どんどん増えるのは困る。

 泥を避けてよろけながら牧柵のところまで上がり、野原を一望する。晴れた日にはさやぐ草の音が気持ちいいんだが、今日はだめ。草がまだ柔らかいから、雨粒に押しつぶされてぺしゃんこだ。年寄りの薄毛が、濡れるとますますみすぼらしくなるのとよく似ている。無意識に自分の頭に手をやった。
 情けない話だが、俺の中ではまだ自分が年を重ねてくたびれた姿になり切っていない。もともと鈍だったから学生の頃から年寄りじみていて、今は雰囲気に実年齢がマッチしただけ……そんな感覚なんだよな。だから滝村さんに言われたみたいに「おじさん」呼ばわりされると、自分が本当は相応に年を食ったんだと思い知らされてガクゼンとするんだ。章子が生きていたら、少しはわきまえなさいよと呆れられたかもしれない。

「生きていたら……か」

 そうなんだよな。俺も章子も余裕がなかった。いつも周囲から置いて行かれそうになる自分の尻を叩き続け、子育てが完了したところでやれやれこれで一段落という一服感があったんだが……。そこから親の介護や孫の世話まで降ってくるとは思わなかったんだ。いや、違うか。わかっていたけど、ちょっとだけ休ませてほしい。そんな感じだったかもしれない。
 でも、現実は俺らを容赦なく追い立てた。お袋を施設に預ける段取りをし、老老介護でくたびれ果てた挙句に体調を崩した親父の入退院に何度となく付き合い、子育てを祖父母にまで分担させようとする子供らを押し返し……休む間なんかこれっぽっちもなかったよ。
 俺は仕事との両立を果たさなければならなかったが、章子はPTAと自治会で苦労した。共働きの多い地区だと、役員が専業主婦に押し付けられることが多いからな。頼まれると断れないあいつが潰れないようにと俺なりに配慮したが、親の世話とかぶったことでどうしてもかばい切れなかった。人前に出ると自我がすり減るあいつにとっては、とんでもなくきつかっただろうなあと思う。その頃から俺だけでなく、あいつもトシを取ったなあという風貌に変わったんだ。

「ふう……」

 体力が落ち、贅肉だけが増える。無理が利かなくなり、気力が衰えてくる。俺のようにもともとスローモーだと、人生でここがピークだったという絶頂感がない。その分じわじわと自分が縮んでいく感覚が常時どこかに潜んでいて、もともと乏しい気力体力をますます減退させる。

「おっと」

 ライトグレイの叢雲(むらくも)とそぼ降る雨に穢されて、若草の緑がくすんで見える。減退、沈鬱、後悔……そんなものに絡め取られないようにしないと、生きる気力すらなくなる。さて、さっさと見回ろう。
 とんとんと小さく飛び上がって雨合羽にへばりついた水滴を剥ぎ落とし、視線を巡らせる。野原の内周を回るか。草が寝ていて歩きやすいし、外周だと泥だらけになりそうだ。









All Day Rain by Greg Brown


《 ぽ ち 》
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