読書ノートの272回めは、榎田ユウリさんの『猫とメガネ −蔦屋敷の不可解な遺言−』(2022年発表。文庫版は文春文庫)です。電子本での読書。

 榎田(えだ)さんは初読みの作家さん。活動ジャンルはライトノベル畑になるんですかねえ。『魚住くん』シリーズ、『カブキブ!』シリーズなど著書多数。別名義でBL系の作品も出されてます。本作は変形のバディ系ということになるのかな。先入観なしに、さらっと読んでみました。
 前回ご紹介した村山さんの作品と同じで、本作もシリーズものの発話、そして舞台がシェアハウスという設定も共通ですね。






 あらすじ。幾ツ谷理(いくつやさとる)という、もうすぐ四十になる公認会計士の男が主人公です。幾ツ谷の両親はすでに他界していて、理は祖父母に育てられてきましたが、高齢の祖父母は揃って施設に。妻の杏樹とマンションでハイソな暮らしをしていたはずが、ある日突然妻から離婚を切り出されてしまいます。「もうついていけない」と。
 完璧な夫であると自負していた理は大混乱。ですが、いくら説得しようとしても聞く耳持たずで、たまたま近くにいた同年代の知らないおっさんに「別れたくなるはずだわ」と容赦なく突っ込まれる始末。
 住んでいたマンションをロックアウトされ、途方に暮れていた理のところに蓮田という弁護士が現れ、とんでもないことを切り出します。あなたの遠縁の親族が亡くなられ、あなたは相続権をお持ちかもしれません……と。
 取らぬ狸の皮算用。遺産を相続できれば、妻を取り戻せるかもしれないと、話し合いのため蔦の絡まる古びたシェアハウスに乗り込んだ理でしたが、妻から離婚を切り出された時に居合わせた嫌味な男がなぜかその場にいて。いきなりどんぱちが始まってしまいます。
 ……という話。




(ヤグルマギク)



 感想を。いやあ、おもしろいです。コメディなんですが、どたばた劇ではありません。それぞれの登場人物の背景をしっかり書き込みながらの展開なので、味は濃いめ。安易に人情ものに持って行く流れではないので、先行きに対するわくわく感もしっかり確保されています。うまいですね。

 でも、構成の妙以上に感心したのは主人公である幾ツ谷の造形。いわゆる「いいやつ」ではない男が主人公の話をこれほど魅力的に仕立てるとは!
 あ、いいやつの対義語は「悪いやつ」ではありません。いいやつという表現は、自分で使うことはないからです。「あいつ、いいやつだよ」という外部評価は、例えば親切だったり優しかったり誠実だったり思いやりに満ちていたり等々、「してもらってうれしかった」ことへの評価。「してもらえなかった」場合はころっと逆の評価になるんです。幾ツ谷は「してもらう」ことに慣れ、「してあげる」という自発的発想が欠落しているガリ勉おぼっちゃま系。合理主義者でクソ真面目ですぐに理屈を振り回す癖がべったり張り付いているんです。間違ってもお友達になりたくないタイプですが、決して悪人ではありません。ぶっちゃけ、めんどくさい人。(笑
 先回りして人の感情を慮(おもんぱか)る努力をしませんので、妻に愛想を尽かされて当然……なんですが、本人は自分がなぜそうされたかちっともわからないんですよ。で、妻のことは本当に愛してるわけで。根は悪いやつではないものの、コミュニケーションツールがお粗末な上に、論理を振りかざす弊害に気づかない幾ツ谷の抜け作加減が、本作の笑いのネタであり、話の推進力になっています。

 もちろん、準主役のもうひとりのあらふぉ大学准教授の神鳴(男です)、離島出身のとっぽい美大生弓削(男です)、ゲイのカップル、作家のおばさん英(はなぶさ)など、蔦屋敷に集っているサブキャラたちも実に充実してて、主人公のぎくしゃく感との化学反応が実に楽しいです。
 タイトルにあるように、幾ツ谷と神鳴はそろってメガネ男子。幾ツ谷が拾った子猫の麦茶は、二人にとっての共通接点でもあり、まさにタイトルに偽りなし。

 で。おもしろいんですが、先にも述べたようにどたばた劇ではありません。逆ですね。実はずっしり重いんです。その重さで読後感が歪まないように、黒いあんこを甘い笑いの皮で包んであるというひねった作りになっています。
 自己再生にまでは至りませんが、衝突と喪失の中から気づきを得る……そういうかなり切ない話だったんだなあと。最後の最後に思わされるんです。

 村山さんの作品は発話でもういいかなと思ったんですが、本作の続きは読んでみたいなあと思いました。あんこの味は濃い方が好みなんです。(笑




(ヤグルマギク)



 テクニカルなところを。わたしの大好きな主人公一人称。しかも幾ツ谷の性格がアレですから、実に読んでいて楽しいです。感情や感覚の変化もわかりやすいので、とても好みの書き振りでした。
 感想のところでも述べましたが、サブキャラの作り込みがとても緻密でしかも甘くはありません。絶対者を置かないところもわたしの好みに合いました。
 どのキャラもどこか壊れていて楽しいんですが、蔦屋敷の相続人になる弓削洋(ひろし)の、お人好しに見えて実は一段彫りが深いという造形がツボ。準主役の神鳴は主人公とほぼ同じタイプなので想定内だったんですが、それでも対比が鮮やかでとてもおもしろかったです。

 修辞はかなり偏っていますが、主人公が偏っていますので、さもありなん。ぴったりですね。メガネへのこだわりや子猫の描写などはフェチの琴線をくすぐるでしょう。うまいです。
 ただ。幾ツ谷も神鳴も癖が強いキャラです。そこに違和感や嫌悪感を抱いてしまうと、読み通すのが難しくなります。あまり深掘りしないで、いひいひ笑いながら速読した方が、後半のどす黒さをクリアできると思います。

 閑話休題。

 幾ツ谷も神鳴も、商売柄弁が立ちます。びしっと論理立てて物事をこなそうとするところは似通っているんですよ。神鳴の方が若干暖色系ですけどね。でも、論理っていうのは実はあまりいい形では使われません。自己弁護であったり、他者の折伏であったり。論理は感情で曲がりませんので、感情を切り立つ剣(つるぎ)として使われることがものすごく多いんです。

 度を越して理屈っぽいのは、感情の編み物が苦手な人です。編み間違えたところまで解いて編み直したり編み上がりを想像しながら手を動かすというのが苦手で、鋏でじょきじょき切ったり接着剤で切れ端をくっつけようとしたり。論理行使の結末が不恰好な編み物にしかならないのがわかっていても、つい……。そういうところがあるんじゃないかなあ。
 なので、わたしは幾ツ谷にも神鳴にも多分に共感できるところがありました。

 わたしは論理をふりかざすタイプじゃないと思うんですが、距離を空けたり関係を断ちたい場合には容赦なく論理を使います。でもね、そうすることによって感情のぶつけ合い以上に互いに深傷(ふかで)を負うということもしっかり実体験しているんです。なかなか……人間の心っていうのは難しいですね。(^^;;

◇ ◇ ◇

 主人公に難あり、訳あり、猫ありの話ですが、キャラがとても魅力的なので続編も読んでみたいです。


 次回の読書ノートは、藤岡陽子さんの『波風』です。




The Logical Song by Pomplamoose

 オリジナルはスーパートランプですね。


《 ぽ ち 》
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