サブテーマ虫干しシリーズ第二弾。(笑

 『かうんたーぱーと』に続いて、『ぱっけーじ』を再臨させます。ぱっけーじ展開時のコンセプトについては、以下のリブログをご覧いただければ幸いです。








 パッケージは容器、容れ物ですから、それがどのような素材、形状、目的のものであってもいいわけです。パッケージツアーなどというように、かちっとセットされたものという概念でも用いられますね。
 前回このサブテーマで話を展開した時には、具体的な容器を意識せずに、むしろ概念の方を前面に押し出した作話を試みました。例えば男と女という人間の性をパッケージとみなし、どちらの容器にも入らない存在であるルイを作り出して『無性(むせい)』を作話。それを長編小説『レンタル屋の天使』シリーズに発展させています。でも概念を最初から押し出すのは、パッケージの使い方としては変則なんですよ。

 そこで、今回は最初に容器を規定してしまいます。先のかうんたーぱーとと同じで、画像は全てゴミ。それも全部ガラス瓶です。容器としてのガラス瓶を起点にしたものを五話ほどお届けします。






 ガラス瓶は陶器ほどではないにせよ古くから容器として使われてきました。陶器と異なり中が見えるガラス瓶は残量が確認しやすく、酸やアルカリ、熱に強いので内容物を選びません。また、経年劣化しにくいので長期間使えます。製造技術の発達とともに色や形の幅が広がり、便利というだけでなく芸術性も加味できるようになりました。破損すれば投棄されることが多い陶磁器と異なり、ガラスは溶融して再利用できるとという特徴もあります。エコなんですよね。
 一方で。重くて割れやすく、割れるとエッジが鋭利になって危ないという欠点もあります。もともとが石のようなものなので、廃棄されるとそのままずっと残ってしまうのも厄介な点です。

 ガラスの短所を補うように軽くて丈夫な合成樹脂容器が普及し、近年はガラス瓶の出番が減りました。軽くて割れにくく、自由に成形でき、焼却処分できる樹脂製品はガラスよりも優れているように見えます。
 しかし、樹脂製品の原料は石油です。資源が有限ですし、温暖化防止の観点からも手放しでのプラス評価はできません。廃棄されると、劣化する過程でよからぬ環境影響を及ぼし続けるリスクもあります。ゴミとして見た場合は、石ころ同等に扱えるガラス瓶よりむしろ厄介なんです。

 古来から連綿と使われ続けていることにはちゃんと意味があります。ガラス瓶にはガラス瓶にしかない特性と長所があり、全てを樹脂製品で置き換えることはできないのです。






 とか。ちょっとだけガラス瓶のことを見直しつつ。ゴミとなっても瓶としての矜持を保ち続ける彼らに、おしゃべりをさせてみたいと思います。




  春花を歪めて光るガラス瓶





Glass Bottle Universe by Les Nouvelles


《 ぽ ち 》
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