読書ノートの263回めは、川上弘美さんの『蛇を踏む』(1996年発表。文庫版は文春文庫)です。電子本での読書。

 川上さんの作品はこれまでも取り上げてきたので、略歴等の紹介は割愛いたします。非日常をまるで日常のように取り入れた、一風変わった作話をされる方です。本作は芥川賞受賞作ですね。おそらく審査員のセンセイ方の評価がうんとこさ割れたんじゃないかと思います。(^^;;





 タイトル作『蛇を踏む』の他に『消える』『惜夜記(あたらよき)』という短編二作が併載されています。

 あらすじ。
 全て短編みたいなものですから、あらすじはちょっと難しいかなあ。
 『蛇を踏む』は、数珠屋の女性店員が蛇を踏んじゃった、という話。
 『消える』は、兄が消えちゃった、という話。
 『惜夜記』は、「わたし」と少女が変な絡み方をする話。

 まあ、ぶっちゃけて言えば、全部変な話です。(笑




(カワラタケ)



 感想を。わたしは楽しく読めました……けど。一般的にはどうかなあ。

 正直、小説と呼ぶにはかなりきついです。なぜか。ストーリーなどあって無きが如し、だからです。一番話として筋が通っているのは受賞作の『蛇を踏む』でしょうね。でも、受賞作にしたって、何がどうなっているのかはちっともわかりません。
 主人公に自分自身を投影する作業がひっじょーに難しい。テーマに沿って登場人物を動かすという舞台回しの労を、最初から放棄しているようなイメージですね。ですから、きちんとテーマが立っていて、さあ彼(彼女)はどうなるんだろうという期待感を抱いて読むものではないんですよ。

 これまでご紹介した小説の中では東直子さんの『薬屋のタバサ』が少しイメージに近いかもしれません。でも、東さんの作品はしっかり登場人物が肉付けされていますし、そこに自分をはめ込むこともできます。本作は……無理です。なにせ主人公自体が輪郭あやふやですから。(^^;;

 わたしが好きなタイプの小説ではないんですが、じゃあなぜ楽しめたか。わたしにとって、川上さんが提示されたものが上等の塗り絵だったからです。それも、輪郭のない塗り絵。
 川上さんご自身があとがきで書かれてるんですよ。これは嘘話だと。小説は元来架空の話ですから、そこに何を書き込んだところで結局は嘘です。でも、できるだけ印象に残るよう嘘にリアリティを持たせるのが保守本流。川上さんは、その真逆をやってるんです。どうせ嘘なんだから、べったりわたしが書いたら面白くないでしょ? 材料並べとくからあなたが彩色して。そういう『オトナの塗り絵』ですね。

 塗り絵は労働です。鑑賞するには自分で手を動かして色を乗せないとなりません。その労働が嫌な人は、本作をなんじゃこりゃと放り出すでしょう。テーマすら塗る色の中に入れ込んでますからね。
 逆に、川上さんの挑戦を受けておもしれえ、やってやるぜと燃える人にとっては、実に塗りがいのある作品じゃないかと思います。

 そういう意味で、一番塗りがいがあったのは『蛇を踏む』ではなく、『惜夜記』でした。塗り絵がジグソーパズルになってましたからねえ。(笑






 テクニカルなところを。
 嘘話ですからなんでもありなんですが、主人公がなんとなくダルでかつ食べ物がいっぱい出てくるのは、川上さんの他作と共通じゃないかな。

 基本一人称ですから主体がはっきりしているはずなんですが、そこをぼやかしているのでとても不思議な印象になります。
 修辞は多彩。文学的ではなく、視覚的、聴覚的ですね。そして、全体に土の匂いがします。民話や伝説、因習、風土……そういう昔話的な要素を細切れにしてあちこちに埋め込んであるんです。その一方で新しいものを無理やり隣合わせに置いて、いひひと笑ってる。おもしろがりのクウキが全体を支配してて、ともすればホラーに落ちそうな話をニュートラルに持ち上げています。
 雰囲気がどこか閉鎖的で息苦しかった東さんの『薬屋のタバサ』とは、正反対の空気感でした。

 先に書きましたが、『惜夜記』だけは小説の形をなしていません。奇妙な記号の絵が描かれたカードで自由にタワーを組み立てる……そういう読み方がいいのかなーと思います。

◇ ◇ ◇

 これだけは言っておかないとなー。『神様』が好きだった人なら楽しめると思います。『センセイの鞄』が好きだった人は、迷わずスルーした方がいいでしょう。(^^;;


 次回の読書ノートは、藤原伊織さんの『ダックスフントのワープ』です。




Okie Dokie Stomp by Cornell Dupree


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