《ショートショート 1460》


『上納と下賜』


「のう、源太。同じものだよなあ」
「そうじゃ。同じじゃ」

 二人の百姓が、真新しい酒樽を神輿のように担いで畦道を歩いている。白木の樽には注連縄が張られ、一見して上納品であることがわかる。とても上等な酒なのだ。その酒を村に運べば、村人たちは大喜びするだろうか。
 否。今酒樽を担いでとぼとぼ歩いている二人と同じように、どうしようもなく落胆するに違いない。






 源太や惣介のいる村は貧しかった。
 土地ばかりはこれでもかと広いものの、寒冷で米どころか雑穀すらなかなか穫れず、大飢饉の時にはしばしば餓死者を出した。農民たちは常に食うや食わず。それでも生きていられるだけましじゃ……彼らはそう達観するしかなかった。逃れて行ける場所もなく、田畑を耕す他にできることもなかったからだ。

 変わらぬ村とは対照的に、世の中は大きく動きつつあった。長く続いた戦乱が収まり、天下泰平の時代が始まったのだ。しかし戦国時代の余波はまだ残っていた。将軍様は論功行賞と称して有力大名の大規模な国替えを行い、将軍家に敵対しうる大名を生産力の低い土地に追いやることで牙を抜きにかかった。時には、各地の大名を支えてきた地侍までもが主君とともに生地を追われた。長く固定していた領民と領主との関係が、否応なしに変化していた。
 源太や惣介らの村が在する藩においても、藩主が外様大名に代わった。もっとも、新しい藩主が着任したとて源太らはその事実を知る由もない。年貢が少しでもましになってくれぬかのうと、ひたすら嘆くしかなかった。

 そんなある日のこと。村役人の重盛からとんでもないお触れが村人に下された。

「此度、藩主則重公より各村で酒を醸して貢納するようにとのお達しがあった。出来の良かった酒は、藩の特産品として将軍様にも献上するとのこと。醸すには時を要するゆえ刻限は定めぬが、能うる限り速やかに取りかかるように」

 村人たちの驚きと嘆きが深かったのは言うまでもない。酒を醸すには米が要る。年貢を収めれば翌年に蒔く種籾しか残らぬというのに、何と無体なことを!
 困り果てた農民は、名主である宗純の元に集まってどうしたものかと協議したのだが……。宗純は開口一番きっぱりと言い放った。

「己の食う米すらないのに、酒など醸せるものか!」

 名主とて他の百姓同様貧乏なのは変わらなかった。無い袖は振れない。ならば知恵を絞らねばならぬ。宗純はつらつら考えた。
 藩主のお触れは「酒を醸して貢納しろ」というだけ。どのような酒かを明言しておらぬ。ならば、猿(ましら)の酒でも差し支えあるまい。米で作らねばいい酒ができぬということでもなかろう。

 宗純は、若い頃木の又に溜まっていた猿酒を飲み、その旨さに驚いたことを思い出したのだ。

「皆の衆。秋まで待たれよ。儂に策がある」

 村人たちは、ただ宗純の言葉を信じるしかなかった。

◇ ◇ ◇

 稲刈りが済んだ頃、宗純は村人たちを屋敷に集めて酒造の手順を説いた。山に入り、出来るだけ甘い山葡萄や海老蔓の実を集めてくれ。その皮を剥き、実の汁を絞って甕(かめ)に入れておくと、風味絶佳の猿酒ができるはず。米も麹も一切使わぬゆえ、実を集めて仕込む手間だけで済む。

 そんなことで酒ができるのかと半信半疑だった村人たちだが、米はすでに年貢として納めてしまったので他に酒を醸す手立てはない。村人総出で野山の葡萄の実を集めて回った。それらを絞ると大甕三つほどの果汁が取れ、ほどなく発酵が始まって実に芳しい匂いが漂い始めた。

 宗純は三つの仕込み甕のうち、もっとも出来の良かった酒を木綿布で濾し、柿渋で締めた樽に詰めた。

「宗純どん、これで役人は納得してくれるかのう」
「わからん。だが儂らには今これしかできんでのう」
「そうじゃな」

 村人の誰もが不安でしかなかったが、若い源太と惣介に村役人の屋敷へ上納品を運ばせた。村役人の重盛はこやつら米もないのにどのように酒を醸したのかと驚いていたが、酒樽の蓋を外して中身を改め、柄杓で酒を汲んで小さな盃に注ぎ、味を確かめた。重盛は雷に打たれたように驚いたのち、すぐさま鬼のような形相を見せた。
 これまで威張りちらすことがなかった重盛が忿怒の形相になったのを見て、源太と惣介は切り捨てられるかも知れぬと縮み上がった。だが重盛は二人を労い、樽を受け取った。

「大儀であった。加土村の酒、確かに受け取った。殿に上納するゆえ、沙汰を待たれい」

 酒を受け取ってもらえたことに安堵した二人は、這いつくばって重盛を拝んだ。

「よろしゅうおたんもうしますだ」
「うむ」

 それからしばらくして。重盛からの使者が名主に書状を届けに来た。

『殿から、これは好みに合わぬと沙汰があった。儂らには法度(はっと)があって酒が飲めぬ。下賜するゆえ受け取りに出向くように」

 村総出で醸した酒がむげに突き返されると思っていなかった宗純はがっかりしたが、義務は果たせたのだからそれで満足するしかない。再び源太と惣介に下賜された酒を受け取りに行かせたのだ。

 行きと帰りで酒が変わったわけではない。上納の時は高級品だったものが、「こんなもの」と突き返された途端に馬の小便扱いになる。その理不尽に打ちのめされ、源太と惣介の足取りが重かったのは言うまでもない。






 一方、村役人の重盛もひどく憂鬱だった。上司から聞かされた話によれば、新しい藩主は昼夜を問わず呑んだくれているらしい。国替えで生地を追われて貧相な藩に押し込められたという憂さはわかるが、その憂さ晴らしのとばっちりは下々にしか飛んでこない。
 これまでとは異なり、僻地の貧乏藩で良質の酒を確保するのは財政的に難しかった。藩主側近の重臣が「藩士に禄を払うのもままならぬのに、酒への出費などまかりなりませぬ」と直言したものの、買えなければ作らせればいいの一言であのお触れと相成った。無理難題に困り果てた村長たちからお触れ撤回の嘆願が相次いでおり、それをもとに重臣が藩主を諌める予定だったとのこと。食うや食わずの百姓に酒など醸せぬという事実を束ね、藩主を説得する腹づもりだったのであろう。

 ところが。加土村だけではなく、ぽつぽつと酒の上納が始まっていた。おそらく種籾にまで手を付けた村があったのだろう。それはすぐさま飢饉に繋がる由々しき事態なのだが、殿様には百姓の困窮が全くわかっていない。儂の言った通り酒が集まったであろうと、血涙に等しい酒を鯨飲するに違いない。万が一、加土村の酒が美味かったということになれば、米の他に酒の貢納まで求められるようになる。そうなればまさに生き地獄。

 加土村の酒は重盛の配慮で藩主に上納されず、屋敷に留められたのだ。しかし、村人が手間暇かけた旨い酒を「こんなもの」とただ突き返すのはさすがに気が引けた。それゆえ重盛は『下賜』という言葉を使った。上納と下賜、どちらの言葉にもひどく違和感を覚えたのは源太や惣介と同じだった。

◇ ◇ ◇

 ほどなくして。藩主は酒浸りがもとで体を壊し、身罷った。藩主には継嗣が誰もおらず、藩は結局お取り潰しとなった。酒を醸して供出しろというお触れも無効になり、百姓たちは安堵したのだが……。

 結局その誰一人として、藩主というのがどのような人となりなのかを知らなかった。無理もあるまい。彼らは、村役人の重盛すらよく知らなかったのだから。





Bitter by Dylan Conrique


《 ぽ ち 》
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