第三話 値踏み


(2)

「ええと。午後一時に祝戸(いわいど)駅のロータリーだったな」

 駅前ロータリーには一般車の乗降スペースが確保されているんだが、今日はなぜかびっしり埋まっていてなかなか順番が回ってこない。俺はとろいから時間には十分な余裕を持たせて出るんだが、結局ぎりぎりになってしまった。

 順番待ちの車列にいる俺をぎっちり睨み続けていたじいさんがいたから、それが牟田さんのおじいさんであることはすぐにわかった。見た目の印象は、電話で応答した時に俺が抱いた印象と寸分違わない。七十後半くらいの年恰好だと思うが、見るからに我が強そうだ。
 その年齢の老人にしては背が高く、背筋がぴしっと伸びている。頬が削げ落ちた痩せ顔で、目尻がぐんと吊り上がり、視線は鋭い。口は真一文字に結ばれたままぴくりとも動かない。漂わせている威圧感が尋常じゃないから、じいさんを無意識に避けて歩く人が多い。不動産鑑定士というより老親分という風情だよ。

 とりあえず車を停車位置に停めてサイドブレーキを引き、エンジンを切らずに運転席を出る。

「お待たせしてすいません。牟田さんですね。佐々木と申します」

 相手が普通の態度であればすぐ助手席のドアを開けるんだが、俺は待った。
 動作だけではなく、俺は受け答えものんびりだ。そのせいで小中高大と、マウントを取りたがる人種からずっと下僕扱いされてきた。この年になってまで、偉そうな人種のご機嫌は伺いたくない。他に選択肢がないならともかく、今回は客の俺に選択権がある。鑑定依頼をこのじいさんにしなければならない義理はどこにもないんだよ。
 じいさんが俺を客と認じていないなら、俺の意向を汲んで動いてくれないなら、どんなやり取りをしたところで互いに不愉快な思いをするだけだ。があがあ頭ごなしにまくしたて、カネだけは踏んだくろうとするじいさんだったら、いかに牟田さんのご推薦とあっても御免こうむる。

 俺の冷ややかな視線を見て激昂するかと思ったが、じいさんはむすっと黙り込んだまま横を向いた。

「牟田だ。孫に頼まれたんで、出向いた」

 礼儀がてんでなってない。いかに士(さむらい)商売と言っても、そんな不遜な態度はいかがなものか。だが、じいさんは俺に文句や苦情をぶつけるつもりはないようだ。ぶっきらぼうだが、一応仕事をこなそうとしてくれているのだろう。気は進まなかったが、助手席のドアを開けて車内に招き入れる。

「お話は、現場を見ていただいてからの方がいいですよね」
「ああ」

 どこかの社長か議員みたいな態度だ。俺は秘書でも専属運転手でもないんだけどな。どっちが客だかわかりゃしない。

◇ ◇ ◇

 車内で俺は一切口を利かなかった。クライアントを立てるアクションを示さない人に、仕事を依頼するつもりはない。ただ、わざわざ出向いてくれたことは間違いないから、依頼を携えた者としての義務は果たすつもりだった。すなわち、現地への案内とこちらの事情の説明だ。まあ……あのでかい態度なら、下手(したで)に出ない俺を見て気分を害し、すぐに帰ると言うだろう。行き来の時間がまるまる無駄になるが、仕方ない。
 それにしても。よく気が回る牟田さんが、どうしてこんな短気で気難しそうなじいさんを俺に引き合わせようとしたんだろう? それが不思議と言えば不思議なんだが……。

 車が市街地を抜け、景色が田畑や緑地とのまだら模様を描くようになると、じいさんの表情はますます険しくなった。まるで戦場の最前線に送り込まれる突撃兵のような悲壮感すら漂わせている。俺を軽視したり、バカにしたりということではないようだが、不機嫌や緊張の原因が全くわからない。

 いつものように国道を左折し、住宅地へ向かう側道に入り込む。じいさんの緊張はますます高まってゆく。俺は、気分が悪いから話しかけたくない……ではなく、怖くて話しかけられなくなっていた。心の重荷を下ろせる伸びやかな野原に、正体不明の緊張を持ち込みたくはないんだが。
 そうこうしているうちに目的地に着いてしまった。とっつきで車を百八十度回してがっちりサイドブレーキを引き、エンジンを止めてじいさんに声をかける。

「牟田さん、こちらです」
「……」

 返事がない。顔が真っ青だ。

「あの、大丈夫ですか? ご気分が悪いとか」
「いや、大丈夫だ」

 もそもそとシートベルトを外したじいさんは、いやいやをするようにゆっくり首を左右に振った。それから、震えている足をどやすようにして助手席から降りた。降りたのはいいんだが。足元を見下ろしたまま立ち尽くしている。目の前の野原を見渡そうとしない。はて?

「こちらです。緩やかですけど上りになっていますので、足元に気をつけてください」
「あ……あ」

 駅で待ち合わせていた時には、かくしゃくというより老人と言う範疇に押し込むのは無理だろうという生気が見られたのに、今はまるっきり萎んでしまっている。全身を覆っているのは強い怯えだ。立っているのもやっとという風情でぶるぶる震えている。うーん、どういうことなんだろう。最初とは別の意味で、依頼の件を切り出しにくくなってしまった。
 そうは言っても、ここまで来て「もう帰りましょう」とも言えない。俺は少し先を行く形でアプローチをゆっくり上った。

 早春の草々が動き出して枯れきった侘しい風情からは脱しつつあるものの、まだまだ一面の枯れ野原だ。目を凝らして探さないと緑は見えない。だが野原に落ちる日差しは真冬の棘を落としつつある。ここから先は眺望の変化が早いだろうなと思いながら、ゆっくりと野原を見渡した。

 俺の背後で、予想もしなかった言葉が響いた。

「信じられん。何も……何も変わっとらんじゃないか」

 え?








Qualified by Dr. John


《 ぽ ち 》
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