読書ノートの253回めは、中田永一さんの『くちびるに歌を』(2011年発表。文庫版は小学館文庫)と辻村深月さんの『島はぼくらと』(2013年発表。文庫版は講談社文庫)です。

 中田さん、辻村さんともこれまで作品を取り上げてきましたので、略歴等の紹介は省きます。中田さんは、ホラー作家である乙一さんの別名義ですね。辻村さんは、社会問題を取り込んだ温度感のあるミステリーをたくさん手がけられています。

 中田さんの本作は、中学時代の息子が国語教師に読めと押し付けられたもの。息子には合わなかったようです。(笑
 辻村さんの本作は、珍しくミステリー要素が薄いんです。ミステリーを期待すると拍子抜けするかも。わたしは、逆にミステリー抜きを期待して読ませていただきました。文庫本ではなくハードバックスでの読書。







 あらすじの前に。
 実はこの二作、設定にかなり共通点があります。舞台が離島であり、そこで暮らす中高生たちが主人公であるということ。そして、群像劇であること。
 ただ、それ以外の部分はあまりオーバーラップしません。舞台装置と人物群の置き方が類似していても、これだけ違う作品に仕上がるんだなあと、素直に驚きました。

 まず『くちびるに歌を』。舞台は長崎五島列島の一つの島。主人公は置かれておらず、中学校の合唱部が舞台になっています。
 NHK全国学校音楽コンクール(Nコン)を目指して練習を重ねていた女子オンリーの合唱部ですが、顧問の松山先生がおめでたで、代理の鈴木先生という美人教師につられて男子が入部したいと押しかけ大騒ぎに。部員それぞれに抱えている感情や家庭事情で部が揺れる中、刻々と大会の日は近づく……というお話。

 『島はぼくらと』。舞台は瀬戸内の離島、冴島(さえじま)。離島が等しく抱える過疎問題に対処すべく、村長筆頭にがんばってIターン受け入れに邁進している島の四人の高二生(男子二人、女子二人で幼馴染の仲良し)が主人公。島に来るのは観光客、訳あり、Iターンの希望者、島の気風に合わず去る者と様々です。その中に、挙動不審の自称脚本家が。島に残されている幻の脚本を探し出したいと言って、四人に協力を依頼しますが……から始まるお話。




(モチノキ)



 感想を。どちらもよかったんですが、中田さんのがやや甘口、辻村さんのがやや辛口、かな。それは読者層設定の影響を強く受けていると思います。
 中田さんのは登場人物と同じ中学生、辻村さんも同様に高校生を読者対象にしている印象を受けました。テーマや展開もぴったりそこに合わせてあったように思います。

 中田さんの作品。中学生が主人公だと、まだ自我確立に向けた試行錯誤の真っ最中。子供か大人かと言われれば、まだ子供なんですよ。まだ小さい自我の枠を少しずつ広げる……そういう暖かい視点をぶらさずに最後まで描き切ります。今後のステップアップに向けた第一歩という、若干浅めの作り込みになっています。離島という舞台設定も、それほど突っ込んで話に組み入れていないんです。話中に、物理的な距離を確保するためのお膳立てという感じ。
 それに対して辻村さんの作品では、離島ならではの諸事情をこれでもかと柱にしています。村おこしであり、移住者の勧誘であり、地域の慣習の長短であり、医療の問題であり、子供たちの将来選択であり。そこを一ミリもずらすことなくきっちり中心に据え、ぎちぎちに造形してあります。青春ものという余白がなかったら、かなり息苦しく感じるかもしれません。

 中田さんの方は、男子部員の一人で自閉症の兄を持つ地味な仲村くんが実にいい味を出してました。実質、彼の視点が話の半分くらいを占めています。彼の変化を通して、自立の意味を問う内容になっていたように感じました。
 同様に、辻村さんの方は四人のうち、女の子の朱里を中心に据えています。四人それぞれの心模様を丁寧に描いてはいるものの、最終的に島に帰る決心を固める朱里を通して、遺すべきもの、変えるべきものを考える……そういうトーンになっていました。
 中学生たちは自分自身のことでいっぱいいっぱい。高校生は自他の関わりをある程度こなせます。ですから、中田さんの作品では先生や部長が流れを整えるのに対し、辻村さんの方は四人で何ができるかという部分を模索させます。恋愛も色濃く絡みます。その辺りに設定年齢の差がくっきり出たなあと。

 どちらの話も読後感がとてもいいです。安易なハッピーエンドにしていなかったことも、現実との整合性を持たせる上でよく効いていました。




(カナメモチ)



 テクニカルなところを。
 まず、中田さんの方。短いプロローグ、エピローグ付きの四章立て。三人称ですが、前述したように仲村くんの視点がかなり多いんです。群像劇でありながらとっ散らかった印象にならなかったのは、それが大きかったかなと。視点の多くが中学生なので、修辞はシンプル。会話ももっさり感がなくてとてもテンポがいいです。方言がしっかり生きてますね。
 それと中田さんの他作にも共通するんですが、小ネタとイベントの組み込み方が本当にうまい。かなり重たい設定ながらローに落ちていかないのはすごいなあと、素直に感心しました。

 辻村さんの方。こちらも四章立てで三人称ですが朱里視点がかなり多く、話が散漫になることを防いでいました。あと、中田さんが級友同士のやり取りで進むのに対し、辻村さんの方は島民とのやり取りがメインになり、スケールとしてはずっと大きくなります。その分、中田さんのよりはどうしても重くなりますね。
 トーンとしては明色なんですが、社会問題を組み入れると重心が下がってしまうのはどうしても回避できません。ドラマ性は高くなるものの、青春ものとしては若干重め、黒めかもしれません。
 修辞は人と人とのやり取りの部分にきっちりフォーカスされていますので、読みやすいです。ただ……方言がほとんど出てきません。そこが中田作品との際立った違いで、強い違和感を覚えたところです。
 あ、あと一つ残念な設定が。いくらフィクションだと言っても、瀬戸内の島に噴火影響を組み込むのは激しく無理があります。中国・四国地方に近世噴火した活火山がないことは小学生でも知ってますよ。ましてや瀬戸内には、ね。現実の社会問題をきっちり組み込んで話が編まれているだけに、非現実的な設定が足を引っ張るのはどうかなあと思いました。

◇ ◇ ◇

 舞台背景が似通っていながら、内容的には独立性の高かった二作品。どちらも好作だと思います。子供向けだろうと軽く見ずに、ぜひご一読を。


 さて。ついでに現在の読書状況を少し。

 高里椎奈さんの『なりそこない』。電子本読了。おもしろいタイトルですが、内容もとてもおもしろかったです。

 小路幸也さんの『ホームタウン』。電子本読了。小路さんお得意の、家族の意味を問うミステリーですね。よかったです。

 綾瀬あいりさんの『セーデルホルムの魔女の家』。電子本読了。ど真ん中直球のファンタジーですね。この路線が好きな人にはたまらないでしょう。わたしも気に入りました。

 額賀澪さんの『カナコと加奈子のやり直し』。電子本読了。結構シビアな状況設定なんですが、それを重苦しくせずに読ませる話に仕立てています。変則の再起もの。

 瀧羽麻子さんの『虹に座る』。電子本読了。椅子職人にまつわる、かなり隙間の多いお話。好き嫌いは割れるかもなあ。

 加納朋子さんの『いつかの岸辺に跳ねていく』。電子本読了。加納さんお得意の暖色系ミステリーですが、ちょっと珍しい要素が入ってます。これはこれでおいしい。


 次回の読書ノートは、高里椎奈さんの『なりそこない』です。




Island Song by Edwin McCain


《 ぽ ち 》
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