《ショートショート 1440》


『土台と屋根』 (へりてーじ 11)


「親父、けりぃついたんか?」

 事務所に戻ったら、息子が心配そうに駆け寄ってきた。皺首を窮屈に締め付けていたタイを緩め、鞄をソファーに放り投げて、溜息混じりに首尾を知らせる。

「まあな。やあっと縁が切れた」
「長かったよなあ」
「はあ……勘弁してほしいわ」

 誰もが羨む弁護士という輝かしい仕事。もちろん、私も憧れ、努力し、資格を得て、この年までずっとこの稼業をしてきた。八十数年のこれまでの人生、その四分の三近くを弁護士として過ごしてきたことになる。
 だが私は、今の今まで弁護士としての業績を誰にも誇ることができなかった。虐げられている人、不遇をかこっている人、本人のせいではないのに追い詰められている人……様々な社会弱者に手を差し伸べるという守護者(ガーディアン)としての気高い理想はどこへやら。相続を補助するという、堅実だが地味で目立たない仕事しかしてこなかったからな。そして私の人生をくすませたのが、他ならぬ有動家の遺産管理だった。

◇ ◇ ◇

 弁護士になったばかりのぺえぺえだった私は、弁護士事務所の所長に連れられて当主に面会した。その時当主はもう八十過ぎの高齢だったが、見るからにうるさ型の頑固じいさんで、面倒臭がりの所長は「あとはよろしく」と私に相手を押し付けてさっさと帰ってしまったんだ。
 途方に暮れたものの仕事は仕事。当主から依頼内容を聞き出したんだが。実に奇妙な依頼だった。

◇ ◇ ◇

「遺産相続、ですか」
「まあな。ただ相続人が問題なんだ」
「息子さんがおられますよね」
「いる。ただし、今どこにいるのかわからん」
「はあ?」

 私の驚きなど微塵も顧みず、当主が怒涛のように一人息子をこき下ろした。
 男手一つで苦労して育てたのに、息子は箸にも棒にもかからない軽薄な根無し草に成り果ててしまい、今どこで何をしているのか全くわからない。親の恩を土足で踏んづけるような息子にはビタ一文残すつもりはないんだが……。

「ああいうだらしない生き方をするやつのとばっちりを食う者が、必ず出ちまうんだよ」
「……誰ですか?」
「あいつの子供。私にとっては孫だ」
「なるほど」
「息子がどこで野垂れ死しようと知ったことか。だが、何の罪もない子孫にまで息子のとばっちりを背負わせるのは忍びないんだ」
「あの、息子さんは結婚されているんですか?」
「知らん」
「そんなあ……」

 どうしようもなく無茶な依頼だ。所長なら即座に断っただろう。だが、当主は所長にではなく、私個人に依頼を持ちかけた。

「事務所との有期契約だと更新できなくなる。私は高齢だからな。君と無期限の契約を結びたい。息子の縁者に私の所有する土地、家屋敷、現金と預貯金全てを相続させる。それが叶った時点で契約満了とする」
「あの……預託契約の報酬はどうなるのでしょう」

 当主は、がっと目を見開いて私を凝視した。

「預ける資産の中から必要経費を差し引いてくれ。弁護士というのは信用商売だろう? 君の良心を信じることにするよ」
「そんな無体な……」
「まあ、あれだ。私の死後は必ず全てが宙に浮く。死体に集まる蝿のように自称親族がわらわらと湧いて、何もかもむしり取ろうとするだろう。息子以上にそいつらは人でなしだよ。国に没収される方がまだましだ!」

 私には、額に青筋を立てて吠えるじいさんの方がよほど人でなしに見えた。だって、そうだろう? 当主は私をえげつなく値踏みしているんだ。
 断れば、度量がないと馬鹿にするだろう。それで済めばいいが、所長に「あいつは使えん」と文句を言われれば最悪クビになってしまう。
 引き受ければ引き受けたで、曰く付きの遺産とずっと付き合わねばならない。当主は息子に財産を受け渡すつもりはないのだ。私の方で息子を探し、動向を長い間確かめ続ける必要がある。しかも預かった資産のうちどれくらいを預託費用として使えるのか、全く見当がつかない。

 引くも地獄、進むも地獄。

 だが私は当主の依頼を承けることにした。きっと生涯に渡る苦役になるだろう。苦役の報酬として多額の手数料を受け取れるのであれば悪くないかもしれない。己の人生を金に換えるのかと笑わば笑え。私は腹を括った。

◇ ◇ ◇

 当主と契約を結んですぐ、所属していた事務所を辞めて独立した。預かった資産の一部を俸給代わりに使わせてもらい、場末の法律事務所として最低限の仕事をしながら今まで暮らしてきた。

 出奔した当主の息子の居場所はすぐに判明した。息子にはびた一文くれてやらんというのが当主の遺志だったが、もう当主はこの世にいない。そして、法的に正当な相続人は息子しかいないのだ。当主の息子を訪ねて遺産の話をしたが、俺の知ったこっちゃねえ、興味ねえからあんたらで勝手にしろととりつく島もなかった。当主の息子がいつか翻意するかもしれない。一縷の望みを抱いて、自分の弁護士稼業に専念することにした。

 淡々と時が流れ行く間に私は結婚し、男の子を授かり、その子が成人して司法試験を突破し、私の法律事務所を継いだ。息子に事務所を継げと言ったことは一度もない。一度も、だ。だが、息子は私が若かった頃そうだったように、弁護士という職に憧れを抱き、自ら夢を叶えた。息子の選択には、私が口を挟む必要も余地もなかったのだ。

 息子に事務所の切り盛りを任せて楽隠居になったはずなのに、喉に刺さった棘のような有動家の遺産相続のことが頭から離れなくなった。良心の呵責に苛まれて、気が狂いそうだった。
 預かった資産の大半はすでに経費として失われ、当時は莫大だったはずの資産も金銭価値の変化に伴って車一台買えるか買えないかの額にまで減っていたのだ。

 こんな負の資産を心に抱えたままあの世に行きたくない。私は息子に過去の経緯を洗いざらい白状し、当主の息子に子孫がいるかどうかを必死に確かめた。恐れていた通り、当主の息子は生前一人の男の子をもうけていた。私は厳しく断罪されるのを覚悟し、当主の孫に会いに行った。祖父君からあなたに受け渡されるべき遺産があります、と。

 当主のとんでもない依頼が私の人生において最悪の不運だとすれば。当主の孫が当主ともその息子とも違う真っ当な人物だったのは最大の幸運だった。
 彼は私の使い込みに一切意識を向けず、当主のむごい依頼に本気で腹を立てていた。それだけで、私は抱え続けてきたしんどい依頼をちゃらにできたと……本気で思ったんだよ。

 律儀な彼は、遺されていた土地家屋の処理も全部済ませ、その報告まで私に届けてくれた。ありがたいことだ。私の心の負債はだいぶ軽くなった。すっかりなくなることは……決してないが。






「親父、何を見てるんだ?」
「ああ、取り壊し前の屋敷だよ。土台のしっかりしたいい家だ。当主は、土台が傷まない限り家は何度でも再興できると考えていたんだろうな」
「だから、孫……ってことか」
「さあ、そこまではうかがい知れん。ただな」
「うん」






「土台だけあっても家にはならない。雨風を避けられる屋根を葺かない限り、それは家にはなりえないんだ」
「……」
「動かない土台が当主、替えが利く屋根が息子。だが、家はなくなったよ。建物も資産も血統も。何一つ引き継がれなかった」

 手にしていた写真をテーブルの上にそっと置き。手のひらで覆った。
 継がそうとしてはね除けられ、失われてしまった有動の家。継がせるつもりなどなかったのに、ひとりでに繋がった我が家……か。

「遺すってのは……どういうことなんだろうな。今まで相続に絡んだ仕事ばかり引き受けてきたが、この年になってもさっぱりわからん」





Father To Son by Phil Collins


《 ぽ ち 》
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