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シーズン7 第十話 普遍(1)



 猛暑の名残が消え去り、朝晩は涼しさを通り越してむしろ寒く感じられるようになってきた。ソノーの制服も小麦色を基調にした秋用の長袖になり、帽子の色も緋色に変わった。
 やはり女の子じゃのう。夏服がどちらかと言えば凛々しい印象だったのに対し、長袖の秋服はしっとりした大人らしさを匂わせるものになっておる。此度の制服の意匠決めにはソノーも加わっておったからな。ははは。

 家政婦制服の色も濃茶(こいちゃ)と燕脂の組み合わせに変わり、夏服に比べずっと落ち着いた色合いになった。見習いの服も濃茶が基調色。モルナは、いろいろな服が着られるのは嬉しいと喜んでおる。なによりじゃ。
 見習い期間終了後のモルナの落ち着き先も決まりそうじゃ。予想通り、ブレザが赤子の世話に手間取るようになったからな。
 かなりの難産だったが、ブレザとリンドが望んでいたように、生まれたのは男の子じゃった。リンドは目の中に入れても痛くないという溺愛ぶりで、さしものブレザも若干引いておったらしい。息子はワイルと名付けられ、工房の針子たちの愛玩物と化しておる。ただしその分仕事がおろそかになりがちで、ブレザがやきもきしていた。なかなか八方丸く収まるとはいかぬのう。

 モルナは制服の仕立てを見学して裁縫に興味を持ったようで、契約通り冬に見習いを切り上げてブレザの工房に住み込むことになりそうじゃ。親にもそう伝えたようで、私に謝意を伝えたいと両親が山のような野菜を携えて訪ねてきた。とても実直な夫婦であることを確かめられ、私もソノーもほっと一安心じゃ。

 そのように、誰もが大過なく新たな一歩を踏み出せればよいのだが。世の中には様々な災いが無秩序に溢れかえっており、それらは必死に振り払わぬ限り遠ざけられぬ。
 女性陣が概ね穏やかな秋の日々を過ごしているのに対し、我々男性陣は総員臨戦態勢に突入していた。もうすぐ収穫祭も始まろうというのになんとも無粋なことじゃ。

 これからオルムが挑む荒事は、まさに己の全てを懸けての一か八かじゃ。すでに軍がヨアンに牛耳られている状況では、単騎で乗り込んでも絶対に勝ち目がない。どこかに付け入る隙を見出さねばならんのだが、これが存外に難しい。
 王に密書を送って連携する策がもっとも望ましいものの、王がすでに駒にされているのであれば全くあてにできぬ。通じようとしたことを逆手に取られ、オルムが国賊にされてしまう恐れすらある。実権がすでにヨアンに奪われている限り、道理を尽くして蛮行を糺(ただ)す機会は皆無と言っていい。

 されど、ヨアンはまだ王位を奪っていない。諸外国は急に成り上がったヨアンのことを知らぬが、国賓の前で好戦的な馬鹿の姿を晒せばすぐに警戒の要ありとして早馬が飛ぶであろう。防御が強化されれば遠征しても勝ち目はない。持久戦になれば兵馬、食料が尽きて自滅するだけじゃからな。サクソニア奇襲の目論みをひた隠すには、形だけでも現王を立てておかねばならぬ。
 つまり我々がヨアンの隙を突けるとすれば、その一点しかないのじゃ。王には法の決裁権があり、万臣の前で王が許認可をすれば他のいかなる者にも覆す権限がない。ヨアンが諸事を牛耳っている以上王の権限はあくまでも表向きのものにすぎぬが、その表で片が付くのならば必要十分であろう。

 彫像状態を脱し一心不乱に武技を研ぎ直すオルムの姿を見て、シアスはどう思ったであろうな。とまれ、シアスは静観を決め込んだ。いかに患者であるとはいえ一つの事象として離して見る……そういう己の原則をしっかり貫いたのじゃ。これからオルムが挑むことはあくまでもオルムの尊厳の問題であり、医師として関わるべき領域ではないと考えたのであろう。

 急ごしらえとはいえオルムがヨアンと戦える心身を整えたのを見定め、すぐに行動を起こすことにする。猶予はそれほどない。

「さて、オルムどの。参ろうか」
「よろしくお願いいたします」
「シアスどの。アラウスカ、リリアとともに留守中の護りをお願いいたしまする」
「心得ました」

 転移の魔術は使わず、鷹(ホーク)でガレリアに向かうことにする。二日ほどの旅程じゃな。遠征には、私とオルムの他にレクトを伴うことにした。騎士を単なる憧れの存在としてむやみに奉るのではなく、騎士の尊厳を保つ厳しさ、難しさをどうしても直接見てもらいたかったからじゃ。

 鷹に乗る前に、オルムと短い会話を交わした。

「我々はよく、普遍的という言い方をいたしまする。全てにあまねく共通するもの、あてはまるもの。それが普遍ですが、実におかしな観念じゃ。それがどういうものかを誰も説明できませんからな」
「さようですね」
「普遍というものは存在しない。私はそう思うておりまする。されば、普遍的な王、騎士、賊というくくりのしようがありませぬ」
「よくわかります」
「なのに。なぜ多くの者が万事に普遍を望もうとするのでしょう」
「……」
「我々は、此度のことで普遍の意味を再考することになりましょう」

 頷いたオルムが、ふっと小さく息をついた。

「ヨアンのことがなくとも。そろそろ潮時だったのかもしれません」

 レクトが、なんの話だろうときょとんとしている。いや、お主もじきにわかる。普遍という観念の持つ毒にな。

◇ ◇ ◇

 ガレリアの王都エルマンの郊外に鷹を下ろした我々は、体を休める間もなく王宮に忍び込んで議場の物陰に隠れ、王が群臣を集めて閣議を行う時を待った。
 やがて重苦しい雰囲気の漂う中、王と側近の重臣たちが入場した。なるほどのう。顔中毛だらけのどうにもむさ苦しい大男が、偉そうに王の真横の席でふんぞり返っており、王にはただ書面を読み上げさせているだけ、か。オルムに小声で告げる。

「さて。始めましょうかの」
「はい」

 これで懸案の審議を終わりにすると王が立ち上がろうとした時、魔術で王の前にオルムを動かした。ひざまずいたオルムがすぐに奏上を始める。

「王、しばしお待ちくだされ」
「む、そなた……」
「職を辞しましたゆえ、今はただの一国民でございます。ですが、当国の民として一つだけお願いの儀がございます」
「申してみよ」

 横に座っているヨアンはすぐにでも王やオルムを切り捨てそうな怒りようじゃが、今は衆人環視。この場で狼藉を働けば、いかなヨアンでも一巻の終わりじゃ。オルムはヨアンを一瞥もせず、淡々と嘆願した。

「そこな奸賊ヨアンに、真に国を思う友垣を幾人も奪われました。彼らの無念は推して知るべしでしょう。私はかつての騎士団長として、私自らと同胞(はらから)の誇りを懸け、決闘を申し込むものです」
「ふむ」
「もちろん決闘を承けるも拒むもヨアンの自由であり、承ける由がないと言うのであれば仕方ありませぬ。ヨアンは、ただ図体がでかいだけの見かけ倒しの腰抜けだと遍(あまね)く喧伝するだけのこと」

 オルムは、団長の時ヨアンに散々ぶっかけられた侮辱と挑発の科白をそのまま叩き返した。諸臣の面前で大恥をかかされたヨアンが申し出を拒むはずがない。吠えながら席を蹴った。

「おのれ、八つ裂きにしてくれるわ!」
「ほう?」

 動じず、オルムが静かに笑った。

「お主は真に強き者と戦ったことがあるまい。なんと気の毒な。戦えぬまま往ぬるとはのう」

 激昂してその場でオルムに斬りかかろうとしたヨアンを、近衛兵が総がかりで押さえつけ、武闘場へと連れ出した。あくまでも決闘なのじゃ。双方がきちんと装備を整え、礼を尽くした上での仕合いにせぬと、双方の関係者が納得せんからの。

◇ ◇ ◇

 オルムは平服に一振りの剣のみじゃ。ヨアンは甲冑で身を固め、両手に巨大な戦斧を握りしめている。装備の差がありすぎるものの、巨体のヨアンをいつまでも押さえてはおけぬ。
 近衛兵と群臣が立ち合い人として見守る中、観覧席の玉座についた王が冷ややかにヨアンを見下ろしながら決闘開始を告げた。

「では、これより国軍司令官ヨアン・デクスとオルム・オリクセンとの仕合いを始める。双方合意の決闘ゆえ、いかなる結末となっても既存の法の縛りを受けぬ。よろしいか!」

 オルムが「応」と承ける前に、咆哮を発しながら暴れ牛の如くヨアンが突っ込んでいった。真っ青になって見下ろしていたレクトにこそっと言い置く。

「のう、レクト」
「うん」
「どれほど綺麗事を並べたところで、生き残るのは強い者じゃ。あの牛男が生き残るとこの国はどうなる?」

 考えたくないのであろう。レクトが固く目を瞑った。

「騎士の世界とて何も変わらぬ。弱い騎士は去り、強い騎士は残る。されど、強い騎士が良い騎士とは限らぬ。修身を旨とする騎士であってもじゃ」
「う……ん」
「お主は力を持った。強くなった。されば、自身の力の使い方をそろそろ真剣に考えよ」

 世の多くの人々は、騎士が強き者であると無批判に信じておるじゃろう。もちろんほとんどの騎士は修行に励み、心身をきちんと磨き抜いておる。されど、それは必ずしも強さには結び付かぬ。強き者が騎士であるとも、騎士が残らず強いわけでもないのだ。普遍という観念が恐ろしいのは、実在し得ぬ理想像が勝手に一人歩きするからじゃ。
 オルムが心を病んだのも、ヨアンが馬鹿げた勘違いを垂れ流しておるのも、普遍的な強さの観念に己を押し込んでしもうたから。そして、レクト。お主も今のままでは同じ轍を踏んでしまう恐れがある。

「レクト、よおく見ておけ。勝負は一瞬で決まる」

 ヨアンは、鷲掴みにした二丁の戦斧を風車のように振り回しながら闇雲に突っ込んでいく。その攻めをわずかな足送りだけで躱していたオルムは、右手(めで)に持っていた剣の柄を両手で握るなり戦斧の隙間を掻い潜り、頭上に掲げた剣を躊躇なく振り下ろした。一連の動きは目にも止まらぬ速さ。まさに神速であった。
 オルムが手にしている剣は薄く軽い。切り結ぶとすぐに折れたり刃がこぼれたりするものの、軽い分剣速が異常に早い。戦場で多くの敵を斬り倒すのではなく、目標とする敵のみを一瞬で除くための剣と技じゃ。集団戦で敵軍の大将だけを狙い、確実に軍の士気と指揮系を打ち砕くための暗殺剣に近い。
 華奢であっても剣は剣。鋭く研ぎ澄まされた剣を高速で振り抜けば、何物をも切り裂く。オルムの鋭い一斬は、ヨアンを甲冑ごと真っ二つに断ち割っていた。

 ヨアンの動きがぴたりと止まり、両手に握られていた巨大な戦斧が音を立てて地に落ちた。

「あやつは、両断されたことを感じ取れなかったであろうのう」
「ええええっ?」

 レクトが慌ててヨアンを見下ろす。ゆっくりと前のめりに傾いていったヨアンは地面に倒れ伏すなり左右に割れ、その間がすぐ血溜まりになっていった。じゃが、オルムの剣には血痕一つ付いていない。
 すでに物体(もの)と化したヨアンを一顧だにせず、オルムが静かに玉座の前にひざまずいた。

「王よ。力及ばず狼藉者の跋扈(ばっこ)を許してしまったことを、非才の騎士として心よりお詫び申し上げます」
「オルム……」
「願わくば。騎士団を再編して立て直すとともに、彼らを近隣諸国に遣わし、友誼を再度しっかりと確かめられますよう」
「忠義の臣の進言じゃ。必ずや応えよう」
「身に余るお言葉。では、これにて」
「オルム!」

 玉座から降りた王が、オルムに駆け寄った。

「お主は騎士団に戻らんのか」

 所在無げに天を仰いだオルムが、後悔をそのまま口にした。

「私は友を救えませんでした。生き残った私が団を束ねれば、逝った友は決して私を許しますまい。幸い、部下であった団員は有能な者ばかりでございます。彼らにこの国の守護を託そうと思います」
「そうか」

 絞り出すようにして、最後の言葉が王に渡された。

「どうか。今後はヨアンのような奸賊にくれぐれも御用心くださいますよう」
「わかった」









Rise And Never Fall by Arcania


《 ぽ ち 》
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