桜と幽霊 -レンタル屋の天使3-

後章 幽霊探し


第6話 ご近所さんが増えた(1)


 家の中じゃなく、門の近くでああでもないこうでもないと立ち話をしていたところに、二、三歳くらいの男の子の手を引いた若い女の人が通りかかった。もともと人通りが極端に少ない上にお年寄りしか歩いていないから、親子連れはすごく目立つ。
 特に美人というわけじゃないけど、優しそうなママさんに見える。連れている男の子はすごく眠そうで、ぐだぐだ歩いてる。私たちを無視して通り過ぎると思ったママさんは、私たちの少し手前で足を止めて、佐々山さんをじっと見つめた。
 視線に気付いた佐々山さんが、誰だろうという顔で聞いた。

「わたしに何かご用かしら?」
「あの……失礼ですが、佐々山さんでいらっしゃいますか?」
「そうですけど」
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。そこの角の家に住むことになりました、魚住と言います」

 賃貸の人はみんな無愛想で自分勝手だと聞かされていたから、イメージが違って面食らう。
 佐々山さんは、ちゃんと挨拶をする人だとわかって警戒を緩めたんだろう。にこやかに応じた。

「佐々山です。ここのはす向かいに住んでいます」

 おっと、私たちも挨拶しなきゃ。

「私と彼女はシェアでこの家に住んでます。これからD大に通います。小賀野と言います。よろしくお願いします」
「矢口ですー。よろしくお願いします」
「わ! シェアされてるんですか」

 びっくりというより、嬉しそう。

「わたしも学生の時はシェアだったんですよー。その時のシェアメイトとは今でも友達でー」
「あ、シェアの先輩だあ」

 嬉しそうにめーちゃんが声を弾ませた。佐々山さんも笑いじわを深くした。

「あははっ。幸先がいいわねえ。これまで賃貸の人は非常識な人ばかりでがっかりしてたから」
「あ、それなんですけど……」

 ぐずりだした男の子をひょいと抱き上げた魚住さんが、こそっと周囲を見回してから小声で言った。

「家を借りる時に、不動産屋さんにアドバイスをもらったんです。要注意人物がいるから距離を取れって」
「……わたし?」
「いいえ、奥野さんていう人です。ご存知だったらどんな方か教えていただけると」
「奥野、ねえ」

 心底嫌そうに佐々山さんが吐き捨てた。

「どうしようもないクソおやじなんだよね。歳を重ねるほどダメになっていく典型みたいな人」

 言葉遣いの上品な佐々山さんが悪様(あしざま)に言うくらいだから、相当難ありの人なんだろうな。聞いてみるか。

「揉めたことがあるんですか?」
「ゴミの出し方で何度もね。分別や収集日のルールをきちんと守ってほしいと口が酸っぱくなるまで言ったんだけど、いつもつらっと無視よ。ぐちゃぐちゃうるせえばばあだって憎まれ口叩いてさ」

 ひどいな。

「口も態度も頭も悪い。理屈の通らない人に何を言っても無駄よ。ここのゴミステーションが撤去されてからは、絶対に関わらないようにしてたの」
「その人、ゴミをどうしてたんでしょう」
「他の班のステーションに捨てにいって、門前払いされてたみたいよ。四班も五班も立ち当番は男の人がするから」
「男の人……トラブルメーカー対策ですか?」
「そう。収集されないゴミを置かれると死活問題だからね。不法投棄で揉めて、お巡りさん呼んだこともあったみたい。口頭注意くらいじゃ全然効き目がないけど」

 佐々山さんがぎっと眉を吊り上げた。

「だからと言って、ゴネ得は絶対に許さないわ。正直者がバカを見るようになったらますます寂れてしまう。ここをスラムになんかさせるものですか!」

 筋を通していた自分の方が逆に孤立している……それは佐々山さんにとって、どうしても認めたくない現実だったんだろうな。

「じゃあその人、今はスーパーに捨てに行ってるのかな」

 私の独り言を拾い上げた魚住さんが、こそっと最新情報を教えてくれた。

「大量の家庭ゴミを持ち込んだから、スーパーのブラックリストに乗って入店禁止になったって聞いてます」
「やっぱりねえ。ははっ。そうなるわよね」

 やれやれという顔で、佐々山さんが私たちをぐるっと見渡す。

「備えている常識の基準をあとから緩めることはできるの。でも、備わっていない常識を身につけるのは本当に難しいのよ。好き勝手やってた人が、普通の人なら守れるはずの常識をまじめに考える? 無理よ、そんなの」
「あの、どうしてですか?」

 めーちゃんが真剣な表情で聞いた。佐々山さんが茶化さずにしっかり答える。

「常識っていうのは枠。枠の中にいるのは狭苦しいけれど、中にいる限り無理をしなくても意思疎通できる。でも、ずっと枠の外にいたいっていう人が一定数いるのよ。彼らは常識自体を害悪だと思っているから、そもそも常識を認めない」
「そうか……」
「いいのよ。何からも自由でありたいと願うことはね。そういう願望は大なり小なり誰でも持っている。だけど常識に縛られない自由は、社会に受け入れてもらえないという不自由と必ずセットになってるの」

 まあ……そうだよね。人の迷惑なんか知ったことかってわがまま勝手に振る舞えば、誰からも敬遠されるのなんかアタリマエ。

「あのおっさんは、自分で自分の首を絞めてるのよ。ばかみたい」

 ははっ。佐々山さんがせせら笑った。

「佐々山さんにお伺いしたいんですけど」

 それはそれという感じで、魚住さんが尋ねる。

「はい?」
「わたしたちも、五丁目のステーションまで捨てに行かないとならないんでしょうか」
「現状ではそうなります。あなたにはちゃんと常識が備わっているみたいだけど、ここの人たちは揃って非常識なの。みんな自分勝手。誰も自治会に入ってなくて、もちろんゴミステーションの立ち当番や掃除をする気なんかない。だから、すぐにステーションがゴミの山になってしまう。ルール違反のゴミは収集車が持って行ってくれないの」
「あ……」
「あなたの家のすぐ側がステーションのあったところだから、臭いやら虫やらで大変なことになるわ」




《 ぽ ち 》
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