《ショートショート 1397》


『円環と螺旋』


「一日の始まりと終わりをちょいとつなぐ。それは輪っかになる」
「ええ」
「輪っかを縦に積んでいくと、管になる」
「そうですね」
「輪っかでできた管。あんたは、その管を人生だと思ってないか?」

 ドクターの話はいつも唐突に始まる。聞き流していた私は、ドクターがさっき何を言ったのかを思い出せなかった。

「すみません、ドクター。もう一度ゆっくり話してくれませんか? 私は頭の回転が遅いので」
「ちっ!」

 鋭い舌打ちの音が脳天に突き刺さる。だが、ドクターは渋々ながら話の内容をもう一度充実に再現してくれた。一日の始めと終わりをつないで輪にし、それを縦に積めば管。その管を人生だと思ってないかってことね。相変わらず、もったいぶった哲学的言い回しだ。

「なにかにたとえておられるんですよね。でも私には全くわかりません」
「そうだろうな」

 理解できるまで噛み砕いて説明するつもりはないらしい。だが、理解できないという程度の切り返しでは、ドクターの口を塞ぐことができない。私の脆弱な防波堤は、あっという間に言葉の大波に飲み込まれる。

「人生は同じことの繰り返しだと考える阿呆がいっぱいいるんだよ。あんたもそうだ」
「そうですか?」
「違うのか?」
「……」

 毎日ここへ来て、ドクターに話を聞いてもらう。いや、違うな。ドクターの話を聞かされる。同じことが毎日ずっと繰り返されている。
 ドクターの話に大きな変化があるわけではない。私の受け答えもほぼ同じレンジに収束してしまうのだろう。そう考えれば。一日が円環になっているというたとえは納得できる。いつまでも理解できないのはそのあとの展開だ。
 ドクターは黙り込んだ私に頓着せず、すぐに話を続けた。

「同じなんてことはないよ。毎日、きっかり同じ行動、同じ発言、同じ応答をしていてもね」
「同じにはならないんですか?」
「ならないね。当たり前だろ。時はちゃんと歩を進める。我々の思考がずっと足を止めていても、時だけは律儀に前に進むんだ。それこそ、一日単位でね」
「ええ」
「だから、一日ってのは円環じゃない。螺旋だ。今日の始点は昨日の終点。今日の終点は明日の始点」

 ドクターが、白衣のポケットから何かを取り出し、ウッドデスクの上にぽんと乗せた。何? あ、かたつむりか。中身はない。殻だけだ。




(ナミマイマイ?)



「こいつは螺旋さ」

 ドクターが、頼りなげなかたつむりの殻を爪で弾く。からっという乾いた音が木板の上に見えない波紋を描いた。それは……螺旋じゃない。円環だ。ドクターの言葉に絡め取られないようにしようと、肩に力が入った。

「螺旋だから始点と終点は違う。広い方が始点で、殻の頂点が終点。その場合、森羅万象は一点に集約され、そこで消失する。もちろん」

 つまみ上げられた殻がひっくり返される。

「こうしたところで同じことだ。小さな始点から始まった螺旋は、吹き鳴らされる音のように解き放たれて発散し、そして終わる。ピリオドであっても無限遠であっても、終点は終点さ」

 ぴん! ドクターの太い指が殻をどこかに弾き飛ばした。

「螺旋の終点が、同じ螺旋の始点につながることはないんだよ。つながれば円環だけどね。そうはならない。ならないからこその螺旋だ」

◇ ◇ ◇

 何もかもが円環の上にある。私の意識はずっと変わっていない。ドクターに指摘されるまでもない。私が会社勤めしている間も。そこから逃れている今も、だ。
 円環の上に何が並んでいても、それは一周して閉じる。次につながることはない。一日という円環は、必ず同一点で閉じる。

 ドクターに円環説を主張したことはない。人に力説するほどの価値などないんだ。だが、ドクターには私の執着がくっきりと見えているんだろう。必ずと言っていいほど、同じ指摘をされる。円環なんてものはない。それは螺旋だと。

 意見の食い違いは解消することはないが、諍いにまで深化することもない。私の円環とドクターの螺旋は、並立しながらそのままだらだら続くのだろうと。私は何の根拠もなく思い込んでいた。だが、円環が積まれることはなくなった。螺旋の終点が突然目の前に現れたのだ。

「ドクターが来ない?」

 ドクターと待ち合わせていたことなど一度もなかったが、私が行く日に、ドクターは必ず姿を現した。きっちりと白衣を着込み、不機嫌そうな顔をして、公園のベンチの端に私と距離を置いて座る。そして、いつものように同じ話を切り出す。

「君は、一日を円環だと思ってはいないか?」

 判で押したように飽きもせず繰り返される話。ドクターが私の過誤を指摘し、私が沈黙によってやんわりと螺旋説を拒否する。それ以上は何も起こらない。やれやれ困ったもんだと言いたげにドクターが席を立ち、私は一人で取り残される。
 だが翌日私がベンチに座れば、ドクターは現れる。昨日話していたことに触れもせず、呆れ顔で私の思い込み違いをばっさり切り捨てるのだ。円環なんてものはない、と。

 ドクターに、私を翻意させるつもりはなかったはずだ。いつも話は中途半端に切り上げられ、ドクターは来た時と同じように不機嫌な顔のまま立ち去る。ドクターの来訪と辞去は私の円環の中に置かれたパーツであり、彼がいようがいまいが私の円環が変化することはない……はずだった。

 だが、ドクターが来ない。

 何かあったのだろうかと不安を覚えたものの、私は白衣の老人を勝手にドクターと呼んでいただけで、彼の本名も住処も知らないのだ。とりあえず、数日待ってみよう。風邪でも引いたのかもしれない。

◇ ◇ ◇

 数日待ったが、ドクターは来なかった。さらに一ヶ月が経って、私は悟るしかなかった。彼が永劫にもうやってこないことを。
 そして、私が公園のベンチで無為な時を過ごせる日の終わりが近づいてきていた。

 私が円環だと思い込んでいた日々は、やはりドクターの主張通り螺旋だったのかもしれない。
 会社を辞めて二年。わずかな退職金と貯金がとうとう底をつき、どれほど出費を切り詰めても生活を維持できなくなってしまったのだ。
 どのような形であれなんとかカネを手にしないと、当たり前のようにあった円環を維持できなくなる。どんなに粗末な、みっともない円環であっても、だ。

「螺旋か。ドクター、確かにそうだ。明日につなげようとするなら、積まなければならない円環だと徒労感が大き過ぎる。勝手につながる螺旋の方がずっと楽だ。そういうことだったんだな」

 ハローワークで求人票に目を通した帰り、市立図書館の新聞閲覧コーナーで地方新聞の一ヶ月分の記事に目を通した。その中に、老人の交通事故死の報を見つけた。確かに事故ではあったが、車に撥ねられる前すでに病死していたらしい。生前はかなりの大物医師だったらしく、だからこそ記事になったのだろう。
 認知症を患い、家人が止めるのも聞かず往診に行くと言って毎日出かけていたと書かれていた。行き先がいつも同じ公園なので、うろついている彼を家人が迎えに行っていたらしい。

「……」

 認知症? 本当にそうだろうか。彼の話は確かにいつも同じだった。だが、刷り込まれた同じセリフを飽きもせず繰り返す風ではなかった。最後に会った時のように、説得の切り口を新たに作ろうと試みていた。そんな高度なことが、脳を患った人にできるのだろうか。

 いや、今更彼の事情を掘り起こしてもしょうがない。ドクターの螺旋は終点で途切れ、その先は無になった。そして、私は……。




(ススキ)



 もう二度と着るまいと心に決めていたはずのスーツに袖を通し、春とは名ばかりの寒気と薄い日差しに痩せこけた顔を晒す。

 ドクターの螺旋が切れてしまったように。努力せずともつながり続ける螺旋は、突然切れて終わりになってしまうという恐怖を伴う。
 円環は違う。勝手に明日につながることはないが、新たな円環を積もうとする限り管として伸びていく。ただ……積むべき意味と重さを持った円環にするには相応の腕力がいる。

 ドクターが嫌悪した円環。私が忌避した螺旋。どちらも比喩としての意味しか持たない。だが確定されていない未来に向かって顔を上げない限り、明日はやってこないのだ。それだけは紛れもなく事実であり、円環にも螺旋にも肩代わりできない。

 眩しさを我慢して、日差しに目を向ける。
 眩暈とともに、ドクターのしわがれた声が聞こえたような気がした。答えるともなく、言い返す。

「螺旋、か。なあ、ドクター。私に今見えている日輪は、螺旋だろうか円環だろうか。教えてくれないか」

 もちろん、ドクターが答えてくれるはずもなく。私はゆっくりと足元に目を下ろす。

 私が裏切り、私を裏切った今日。二度と見たくなかったはずの、明日につなげるための新たな今日が。

 今、始まる。





Ring / Spiral by Kenmochi Hidefumi


《 ぽ ち 》
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