実(み)という言葉からは容易に瑞々しさが連想される。我々が食用としている実が大きく多汁で甘いことがその連想を生むのだろう。だが、実は必ずしも大きくも、美しくも、甘くも、瑞々しくもない。むしろイメージしている以外の特徴を持つものの方がはるかに多い。
 そして、我々は実と種子とを必ずしも区別しない。例えばどんぐりやクルミは実だろうか? 種子だろうか?

 まあ、いい。そんなことはともかく、寒風に揺らされ続けている頭上の実を首が痛くなるまで鑑賞してみるとしよう。それらの実が、見かけほど単純な存在ではないことがわかるからね。






 マメガキ
 霜に当たる頃には渋が抜けて甘くなり十分食用にできるが、果肉が少なくほとんどタネばかりだ。他に食べられるものがある限り、マメガキにあえて手を出す人はいないだろう。
 しかし、多汁な果肉を持つ実は野生動物にとって貴重な食料だ。職場構内には生えていないマメガキの種子がタヌキの糞から大量に出てくることから、彼らが好んで実を食べに行っていることが推察できる。カラスなども実をくわえて持ち込むようで、あちこちからひょこひょことカキの芽生えが出てくる。樹木と動物の相互扶助がよくわかる教材になっている。






 ニワウルシ(シンジュ)
 光の当たり方によって実の印象が大きく変わる。向陽部では白く輝くので遠目にもそれとわかる。まるで雪が降り積もっているように見えて実に美しい。だが樹下に潜り込んで撮ると、影がぐんと増えてどうにも汚らしくなる。
 実は翼果で、風に舞ってひらひらとあちこちに飛んでいく。先ほどのマメガキと違い、これだけ大量に種子をこさえておきながら芽生えはそれほど出てこない。もっとも、種子が残らず芽を出したらえらいことになるが。






 ユリノキ
 実のように見えるけれど、実際には種子の集合体だ。固く閉ざされていた松かさが開くようにしてささくれが膨らみ、風でちぎれて種子がひらひらと飛んでゆく。集合果の無骨さとは裏腹に、くるくる回りながら四方に散る種子の様子はむしろユーモラスですらある。
 鳥に種子分散を依存するモクレン科樹木の中では珍しい風散布。彼らがなぜ風任せを選んだのかを考えながら、木枯らしに吹き散らされる種子の未来に幸あれと祈る。もっとも一旦芽を出すとものすごい勢いで大きくなるので、用心しなければならないが。






 アオギリ
 葉が大きく茫洋としたイメージの木だが、実も負けず劣らずのおおらかさだ。あまりそれらしい見かけではないものの翼果。翼の部分がやたらに大きく、それにちょこんと豆のような種子がついている。つまりこの図体で風散布なのだ。飛ぶ姿を想像すると、結構笑える。
 種子は炒って食べることができるが、種皮を外して中身を取り出すのが修行のようにしんどいらしく、実際に食べてみたという話はとんと聞かない。






 アカメガシワ
 画像でごさっと固まって見えているのは果穂。裂けた果皮だけが残っていて、ほとんどの種子はすでに鳥の腹に収まっている。
 実に不思議だと思うのだが、こやつの果実も種子も鳥にアピールするという気がまるでない。実はとげとげ、ごちゃごちゃ。実も種子も茶系、黒系で地味だ。だが、鳥にとってはとても魅力的な餌資源のようで、あっという間に食い尽くされる。その後、糞と同時に種子がばら撒かれ、あちこちからうんざりするほど芽吹いてくる。






 カンレンボク
 未熟果が集合したままぽたぽた落ちることが多いのだが、昨年はほとんど落果せず、ご覧のようにしっかりと枝にしがみついている。激しく枝を揺らす強風の日が少なかったということも影響しているのだろう。
 見てくれが星のように見えるので好んでネタにするんだが、冬に落ちたものはすでに褐変していてあまりきれいではない。遠目に造形を楽しむのが一番いい。もっとも木の側からしてみれば、さっさと砕けて風で散ってくれた方が望ましいのだろう。






 アキニレ
 散り残った小さな葉のように見えるものが翼果だ。ニレの仲間は春から初夏にかけて開花し、秋に種子が熟すものが多いのだが、アキニレは秋咲きですぐに種子が熟す。まあ、なんともせわしないことだ。
 翼果は枝から離れて自然に落ちるというよりも、風に引きちぎられて飛ぶというイメージ。北風に頑強に抵抗しているやつがこうして枝に残っている。がんばっているとほめるべきか、いつまでしょうもない意地を張ってるんだと呆れるべきか。はてさて。






 センダン
 寒風に薄黄色の実がいっぱいぶら下がっている光景は、関西以西ではおなじみだと言っていいかもしれない。実は枝から外れて徐々に落下していくが、強い毒を含んでいるため、その毒が抜けるまでは消費されない。
 ヒヨドリのように悪食な鳥と、タヌキのような悪食の動物が、嫌々食べているようだ。実際、タヌキの糞の中から種子が大量に出てくる。果肉部分がほとんどないため、大量に食べないと腹が膨れないということなのだろう。

◇ ◇ ◇

 冬に寒々とした樹上で見かける実には、カラフルな秋の中に溶け込んでしまう豊穣とは異なった味がある。それは、葉を失って沈黙したように見える裸木が、今なお主張する生命の象徴なのだ。




  冬枯れや葉も実も黒く黙しけり





Proof Of Existence by Buzz Gravelle


《 ぽ ち 》
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