読書ノートの208回めは、柚木麻子さんの『さらさら流る』(2017年発表。文庫版は双葉文庫)です。

 柚木さんについては、『嘆きの美女』を取り上げた時にご紹介しましたので、略歴等は省略いたします。女性視点の、あけすけで直球系の作話が多い作家さんかなーと。本作は、柚木さんにしては抑えめの筆致かもしれません。ただし、モチーフはかなり重たいです。





 あらすじ。
 井出菫(すみれ)は大手コーヒーチェーンの広報部に勤務する二十八歳のOL。独身で、カレシなし。仕事ぶりはまじめですが、どこか抜けてて浮世離れしたところがあります。
 菫が関わっている販促キャンペーンのモデル候補の女性にいかがわしい過去があるんじゃないかと、同僚が卑猥な画像ばかり集まるジャンクサイトをチェックしていたのを見て、菫もなにげにそのサイトを見てしまうんですが。そこにかつての恋人、垂井光晴に撮られた自分の全裸画像があるのを見つけ、目の前が真っ暗になってしまいます。

 誰にも相談できず、仕事にも影響が出るようになってしまった菫は、挙動不審を咎めた友人の百合に画像の件を告白しますが……。

 というお話。






 感想の前に。
 最初に考えていたのとは、全く違うコンテンツでした。デジタルタトゥーに関わる被害の中でもっとも多いのはおそらく盗撮でしょう。その場合、被害者には全く非がありません。撮られているという意識がないわけですから。でも、撮らせたヌードをばらまかれるのは「リベンジポルノ」と呼ばれる悪意の発露。極めて悪質な犯罪ですし、世間の加害者への評価は当然最低になります。

 でも、本作ではその設定が非常に微妙。菫が光晴と付き合っている間にヌードを撮られたことは双方が知っています。「消した」と光晴が嘘を言っただけです。画像を光晴が故意にばらまけば犯罪ですが、光晴は画像が漏れたことを知りません。漏出が光晴の意思に基づいていないんです。
 つまり、撮った側、撮られた側の双方がある意味被害者になる……そういう構図。

 で、本作では、純然たる被害者の菫といきなり加害者の立場になってしまった光晴の双方の始末のつけ方、再起への道筋を追うストーリーになっています。
 単純な善悪対比の物語でもなく、デジタル社会に警鐘を鳴らす社会告発的小説でもありません。極めてプライベート感の強い作品ですね。
 もう一つ。本作では、加害者である光晴と被害者である菫を、事件発覚後一度も会わせていません。されたことのダメージ、したことのダメージから二人がそれぞれどう立ち直っていくかを丁寧に描いていく……そういう流れなんです。

 さて、感想なんですが。微妙。
 なぜ微妙かというと、光晴の意識がずっとぐだぐだなままだからなんです。

 二人のコントラストは明瞭です。まず菫。
 自由人の集まりながら家族の結束が固い菫の家族は、菫を守るために強力なタッグを組みます。菫の親友の百合も菫の再起に全面協力します。弁護士さんや会社の人事部もそうですね。つまり、菫はきっちりガードされるんです。
 でも、守られる息苦しさを菫自身が拒否するんですよ。わたしはそんなに弱くない。されたことも傷も自力で乗り越えるしかない。自分にはネガを差し引いても誇れる部分がいっぱいあるから、そっちをしっかり推したい、と。事件を機に強くなったんじゃなく、強い自分を再認識するんです。
 そう、菫は最初から地が強いんですよ。最初に強烈なショックを受け、メンタルに深い傷を負いますが、そこからのリカバリーが着実。川が蓋をされても、流れが細っても、水はちゃんと海に向かって流れる。流れを押しとどめることは誰にもできない。そう信じて、自力でけりをつけるんです。

 それに対し、光晴はどうにもぐだぐだです。父の再婚相手の母親とうまくコミュニケートできなくて深刻な愛情飢餓を抱えているのに、不安や不満を抑え込んでしまってる。鬱屈した気持ちが酒を飲んだ時だけ歪んだ形で漏れる。
 理知的で優しい部分と投げやりな衝動が隣り合わせになっていて、自我がむき出しになった時にどちらが吹き出すかわからない。そりゃあ菫が逃げ出すのも当然です。しょうもないネガが、別れて八年経ってもちっとも変わっていない。物語の最後までずーっと続くんですよ。
 もちろん、光晴は自分がやらかしたことの重大さは認識していますし、自分のスマホからいつ画像が漏れたのかも探ります。謝罪も補償もするつもりではいます。まがりなりにも続けていた塾講師を辞めることで、社会的制裁を受けることになりましたし。
 でも……足りない自分を他者で充当しようという意識がしつこくへばりついているんです。だから自分よりしっかりしている菫を羨み、蔑み、突き放している。同時に、困った時に菫の強さに倒れこもうと、寄り掛かろうとする。心が幼いままの自分をずっと放置している。なんだかなあ、でしょ?

 だからすっきりしないんですよ。ヌード画像流出というとんでもない出来事を、菫はこなしたのに、やらかした光晴は弱い自分を認識しただけで終わりなの? ……って。
 わたしは、そこに柚木さんの毒が潜んでいるように思えて鼻白んでしまったのでした。オトコなんかしょせんそんなもんよっていう冷めた視線を、最後まで払いのけられなかったんです。

 小説としては極めてプライベートな書き方になっていますが、中身は隠れ社会派。渦中の二人にすっかり情を預けて読める話ではなかったです。






 テクニカルなところを。
 菫と光晴それぞれの視点による一人称記載で、現況と過去の出来事の間を言ったり来たりします。頻繁に視点が動きますので、あまり読みやすい構造ではありません。
 東京の河川や暗渠を辿るシーンが多いので、物語のいっちゃん最初にマップが載っています。そこらへんの配慮はとてもありがたかったです。
 都市部ですからあまり川らしくない川なんですが、どんな形であっても川には違いありません。菫と光晴が出会った時の川のエピソードが、時を経て同じ、もしくは違う形で認識されるという組み立ては、雰囲気があってとても良かったです。

 修辞は過不足なしのぴったり。『嘆きの美女」がちょっとごてついた感じだったのに対し、きれいにまとまっていました。特に、心理描写と行動とがきちんとセットになっていたところがよかったです。
 ただ。描写が菫にはポジに、光晴にはネガに寄るんです。周囲の人脈がわかりやすかったかな。人に恵まれている菫に対し、光晴の方は問題を抱えた寸足らずばかりなんですよ。もともと光晴を「ダメなやつ」認定してそう書くならわかるんですが、光晴の再起まで踏み込むなら、もうちょっと別の書き方があったんじゃないかなあと。そこが気になりました。

 菫の家族と光晴の家族の対比は、ちょっとしんどかったですね。どちらも外見的には互いに深く踏み込まないドライな家庭なんですが、菫側は全員に芯と余裕があり、光晴側は誰にも芯と余裕がありません。それが光晴の愛情飢餓や「だから俺がぐだぐだになるのは仕方ないんだ」という甘え意識に結びついてしまうという構図は、ちょっと切なかったです。

 菫の親友で高校美術教師の百合は、実にいい味を出してました。自他の弱さを曇りなく見つめ、その克服策を全力で探る。百合あっての本作でしょう。こういう友人を持ちたいものです。

◇ ◇ ◇

 いろいろあるのをこなすお話ですから、読後感が悪いはずはありません。菫に肩入れして読めば、すごく勇気と元気をもらえます。ただ、光晴に対して同じ心情になれるかというと、それはノー。
 そのアンバランスをあえて解消しなかった柚木さんの毒をすんなり飲めるかどうか。本作の印象は、それで変わるだろうなあと思いました。

 え? わたしですか? 毒を飲む趣味はありません。(^^;;


 次回の読書ノートは、松尾由美さんの『ピピネラ』です。





Watching The River Run by Loggins And Messina


《 ぽ ち 》
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