「変わらない」と「分からない」。
どちらもよく使う言葉ですが、アナグラムになっていますね。なんか、示唆的だなあと思います。
「変わらない」と「分からない」をそれぞれ別個に使えば、二者の間に特別の関係は生じません。たとえば。
「状況は変わらないんだろ?」
「ああ。原因がまだ分からないからな」
文脈の中で使われていても、二つの言葉は独立しています。前者だけでも後者だけでも成り立つんです。でも、二つを直接「と」でつなぐと、二者の関係が変化します。
「我々は変わらないと分からないんだよ」
「なにが、ですか?」
「自他の意味に、さ。ずっと同じだと思っている間は価値も瑕疵もそのままだ。進歩も改善もない」
ね?
で、この場合「変わる」が能動、受動の両方で想定できることに注目を。
能動なら「意図して変えないと意味を理解できない」。
受動なら「運命に変えられてしまうまで意味に気づかない」。
うーん、言葉ってのは本当に奥が深いですね。
さて。これから二組の画像をご覧いただこうと思います。
変化の前後を対比させたもの、です。
初秋と冬に撮ったものの対比なので、単なる季節変化です。あなたはこの変化から、何か分かりましたか?
最初のエノキ。こんもり茂った大木の画像にはどっしりした安定感がありますね。二枚目の画像は同じ木の落葉後になるんですが……。何かおかしいと思われませんか? 十二月下旬の画像なので、エノキはすでに落葉しているはず。それなのに、緑の葉がかなり残っていますよね。
そう。実はエノキにものすごく太いフジが巻きついていて、樹冠を這い回っているんです。フジの方が黄葉、落葉が遅いので、こういう奇異な絵柄になるんですよ。一枚目の活力溢れる緑の球。その中身は、エノキとフジのバトルシーンそのものなんです。そして、このままならエノキが負けるでしょう。フジが木の全面を覆い尽くしてしまえば、エノキは枯れるしかありませんから。
次の組のコナラ。一枚目の木立ちは薄暗くて、ひどく貧相に見えます。でも、実際は青々としているんです。逆光で葉のシルエットが強調され、緑が前に出ないので痩せて見えるだけ。
逆に二枚目は休眠期近く(落葉寸前)なんですが、順光で紅葉が映えて元気に明るく見えます。こちらの方が活力あるように感じてしまうんです。
生物としての変化は、セオリー通りで盛から衰です。でも、ちょっとした光のいたずらで印象がひっくり返ってしまう。わたしたちの意識が変わらないと、そういう印象操作が分からないんですよ。
◇ ◇ ◇
ブログネタを拾いに歩き回っている場所も、十年ちょっとの間に大きく変化しました。台風等によって枯れたり切り倒された木も少なくありません。それらが失われた直後は、変化がいろいろなことを教えてくれます。ただ……厄介なことに、変化したあとは意識がまた定常状態に戻ってしまうんですよ。
変化の前後を見比べながら。
自身の変化……してしまったもの、させたこと。
その変化によって分かったことを。
しばし考えるこの頃です。
「お変わりありませんか」と文で問う
己の変化を知らせるために
Changes by The Bonsai
《 ぽ ち 》
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