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シーズン6 第七話 百合(2)




 目を合わせようとしないネレイスの前に屈み、名を確かめる。

「お主、名はなんという?」

 本人の口から名が出る前に、大勢のネレイスたちが一斉にがやがやと名を連呼した。まったく騒々しいやつらじゃ。苦笑しながら呪文を唱える。

「シレンザ。静まれ」

 少しの間だけ、強制的に声を取り去らせてもらうぞ。やかましくてかなわん。静寂が満ちるのを待って、改めて尋ねる。

「もう一度聞く。お主、名はなんという?」
「……」

 しばらくの沈黙があって。やっと聞き取れるくらいのか細い声が床にこぼれた。

「リリア」
「ふむ。リリアか。どうじゃ。お主は私の提案を飲めるか? 私は無理強いも詰問もせぬ。お主の意思で決めてほしい。言葉にせんでいい。首を縦か横に振るだけでいい」

 ゆっくり顔を上げたリリアが、泣きそうな顔で小さく頷いた。

「よし。では、しばし人形(ひとがた)を与えるゆえ、屋敷で過ごすが良い。その間に己のことをゆっくり考えてくれ」
「う……ん」

 漠然とではあるが、リリアの窮状が見えて来た。決して反抗しているわけでも、交情を拒んでいるわけでもない。だが地合いが他のネレイスたちと合わぬ。徹底的に合わぬ。
 合わぬからと群れを出ればあっという間に往(い)んでしまうが、生きるために群れの中に留まり続ければ今度は心が潰れる。何処にも己の置き場がなければひたすら黙り込むしかないのだ。

 口を塞がれて目を白黒させているネレイスたちに、もう一度説明する。

「リリアをしばし預かるゆえ、何かあれば気兼ねなく申し出てくれ。デ・シレンザ!」

 緘口(かんこう)を解除した途端、広間が抗議と歓迎と単なる雑談の騒音でみっちり埋め尽くされた。騒擾を嫌うペテルはぎゃっと一声叫ぶなり書庫に逃げ戻り、代わりに怒り狂ったアラウスカが顔を真っ赤にしてどかどか走り込んできた。

「やかましいいいいっ!」

◇ ◇ ◇

 津波が引くように川に戻っていった大勢のネレイスたちから、ぽつりと取り残された小石のようなリリア。
 たくさんの女たちを世話してきたアラウスカには、リリアの抱えている難題がすぐにわかったのであろう。顔をしかめたアラウスカに対応を問われた。

「どうするんだい?」
「そうさな。今後の対応も含め、少し時間をかけよう。急がぬ」

 所在無く床にへたり込んでいたリリアに術をかけ、人形を整える。

「オルモ! 半身を補え!」

 人形を与えられた時、チルプは己を観察するような乾いた態度を示したが、リリアの表情は違った。困惑と気後れがむき出しになっている。

「お主にとってはちと落ち着かぬ姿態かもしれんな。じゃが、ここには人の出入りがあるゆえ、お主の地の姿を晒すと騒ぎになってしまう。しばらく我慢してくれぬか」

 小さな吐息とともに、うんというか細い返事が聞こえた。

 これまで家政婦として雇い入れた使い魔にしても妖魔にしても、私は契約という形で互いに授受するもののバランスを取ったが、リリアに対しては報酬を求めず客として扱うことにした。それには確たる理由がある。

 私は気ままに暮らす偏屈爺ゆえ、干渉をしたくもされたくもない。その方針は、屋敷に住まう面々にも等しく敷衍(ふえん)している。誰もが時の刻みを自身で選びながら暮らしておるゆえ、強制を伴う制限は最小限であろう。
 されど家政婦と執事だけはそうはいかぬ。衣食住を保証する代わりに労働という形で対価を支払えと契約に明記してあるからじゃ。助力を報酬の伴う契約にすれば、リリアは契約履行のために己を曲げねばならぬ。それではネレイスの群れから離した意味がなくなる。

 今のリリアは心身ともに極限まで追い込まれておるゆえ、落ち着いた環境での静養を何より優先すべきであろう。

◇ ◇ ◇

 リリアを客室で休ませたのち屋敷の面々に事情を説明し、決してリリアを急かしたり責めたりしないようにと言い聞かせた。変わった客人が同居するのは私の屋敷ではよくあることゆえ、命(めい)に難色を示した者は誰もおらなんだ。

 夕食までの間死んだように眠り呆けていたリリアは、起こしに行ったアラウスカに付き添われてよろよろと広間に現れた。
 まあ、なんというか。一挙一動がとにかくとろい。外見的にはグレタの愚鈍、ラインの緩慢と似ているが、元の生物の性(しょう)によるとろさとは質が違う。とろさの裏に用心深さが透けて見えた。

「え……と。なにを食べてもいいの?」
「もちろんじゃ。好きなものを好きなだけ食してかまわん」
「わかったー」

 ずっと空腹だったのであろう。これまで怯えと気後れしか浮かんでいなかったリリアの顔にさっと赤みがさした。いつもならば各々の皿に料理を分けて盛り付けるんじゃが、リリアの食の好みがわからぬゆえ、今夕は料理を大皿にまとめて各自で取りわけるようにしてある。席を立ったリリアはふわふわ踊るように料理を見て回ると、野菜ばかりを皿に取って戻ってきた。

「ほう」

 本能に任せてあるだけ肉を貪るネレイスたちとは全く異なる。それに、食欲がないから野菜しか食べられぬという風情ではない。この上なく幸せそうな顔で、ついばむように野菜を食べ続けている。

「なるほどのう」
「ゾディ、何かわかったのかい?」
「まあな。それはリリアが落ち着いてから追い追い説明しよう」

◇ ◇ ◇

 夜半。屋敷の面々が眠りにつくのを待って執務室にリリアを呼んだ。おどおどと執務室を見回していたリリアに着席を促す。椅子にぎごちなく腰を落としたリリアが、私の視線を遮るように顔を伏せた。

「のう、リリア。お主が地下泉で抱き続けていた違和感は、思い込みなどではなく紛れもない事実じゃ」
「……」
「お主自身は間違いなくネレイスじゃが、他の者とは出自が異なる。地下泉におったほとんどの小魚は肉食魚。光のない洞内には草が生えぬゆえ、魚は主に虫を食らう。例外なく肉食ばかりじゃ。されど、お主は増水した川水が洞に流れ込んだ時、その水に運ばれた迷魚。しかも草食じゃ。その性(しょう)を保ったまま竜の瘴気でネレイスと化した」
「あ……」

 視線だけがきょろっと上がった。それに苦笑を合わせる。

「合わぬはずよ。お主らの種族は群れを作らず、小さいが縄張りを持ち、藻の陰でひっそり暮らす小魚じゃからのう。お主にとってはとんだ災難じゃな。されどガタレの竜の力は、竜の意図せぬところにも及んでしまう。決して竜自身に悪気があるわけではない。それだけは心得てくれぬか」
「うん」

 小さく頷いたものの顔は上がらぬ。ひどく思い詰めたような表情じゃ。

「あたし……どうすれば」

 煩悶(はんもん)が手に取るようにわかった。己の出自が判明したところで、生き方を変える決め手にはならぬ。地下泉で暮らす限り、ネレイスとしての制限は厳然とかかるゆえな。されど自ら糧を得る手段さえ見出せば、無理に群れにとどまる要はないのだ。
 そして生き方というのは不定形じゃ。瞬時に変えられることもあれば徐々にしか変えられぬこともある。これからどうするかはゆっくり考えればよかろう。

「そうさな。いろいろな方法がある。私から提供できるものもあれば、己の手で掴まねばならぬものもある」
「うん」
「されど今後を案ずるより先に、体調を戻した方が良いぞ。いかにネレイスとは言え、今は往ぬる寸前じゃ。寝たいだけ寝て好きなものを好きなだけ食し、まずは心身をしっかり整えるんじゃな」

 ほっとしたのであろう。リリアの顔が少しだけ上がった。その目を見ながら話しかける。

「のう、リリア」
「うん」
「百合という花があるのじゃ。お主の名は、百合を意味する」
「知らん……かった」
「まあな。中でも細く長い白百合は下を向いて咲く。花が上を向くことはない」
「ふうん」
「お主もそうじゃ。無理に顔を上げんでもいい。それでも花を探し、愛でるものはおるからの」
「どうやって、あたしを探すの?」
「百合は香るんじゃよ。とてもいい匂いを振りまく」
「……そっか」

 強い緊張がほぐれたのか、リリアがうっすら笑みを浮かべた。

「それでな」
「うん」
「私は無報酬で魔術を行使せぬ。そして、助力も魔術行使に準ずる。例外はない」
「あたし……何もできないよ」

 怯えで再び身を固くしたリリアに、報酬の話を切り出す。

「少ししたら、お主と同じように居場所を間違えた親子がここに来る」
「ふうん」
「その親子に寄り添うてやってほしい。何かしてやる要はない。同じ立場の者として、彼らの心細い心情を汲んでやるだけでいい」
「あ、それならあたしにできるかも」
「頼むな」
「うん」

 小さな欠伸を漏らしたリリアに退出を促す。

「暑いと思うが、しばらく堪えてくれ。暑さに悩まされるのはお主だけではない。誰しもが同じじゃからの」
「わかったー」

 まだ人形に慣れないのであろう。よろけながら、リリアが寝室に向かって歩いていった。その後ろ姿を見ながら思う。
 誰もが花を咲かせ、その大小美醜を問わず己の香りを放つ。香りもまた、貴賤の違いを持たぬ。リリアも己の姿を覚り、己の香りを使えば、きっとこれまでとは異なる生き方を探れるはずじゃ。

 腕で額の汗を拭い、ぐるりを見渡した。変化には自ずと来るものと、自ら作り出すものがあり、それらは必ずしも別個ではない。変化に応ずるのみならず、それを利用する……新たな変化を作り出すのも変化の醍醐味じゃ。さて。

「リリア、か。瓢箪(ひょうたん)から思わぬ駒が出た。この機を逃さず、策を動かすとしよう。オストレクの抑えが外れれば、極めて厄介なことになるゆえな」


【第七話 百合 了】





(タカサゴユリ)





Lilywhite  by Cat Stevens


《 ぽ ち 》
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