第三部 最終話 真実とへっぽこ
(8)
「でもね、依頼人が見つけ出してくれと言っている人物はすでに見つかっているわけです。当事務所としては、すぐ依頼人に報告ができるイージーな案件のはず」
「違うのかい?」
沢本さんが、ぐんと身を乗り出した。
「イージーだったら、こんな報告なんかしませんよ。茶飲み話で終わらせます。でも……」
俺は、開いた手帳の一文をずっと見据えていた。
『午前九時三十八分。死亡』
「依頼者の逆城信安さんは、臨終間際の重病人でした。ここに自力で来れたことが奇跡だと思えるくらいのね」
室内が、水を打ったように静まり返った。
「私は……信安さんの最期を看取ったんですよ」
俺は彼の命綱になりたかったよ。でも、それはどうしても叶わなかった。俺の手は彼を此岸に引っ張り戻すことができなかったんだ。もちろん、病(やまい)が冷徹な大鎌を振り下ろすことは防げなかったさ。それでも……それでも。
一度口にしようとした言葉を引き取り、心の中で苦味と共に噛み直す。それから、ゆっくり提言に変える。
「これからみなさんにいくつか宿題を出します。この宿題には正答がありません。そして先ほど言ったように、私も生涯この宿題に取り組もうと思っています。出題の前に、背景説明をいたします」
静まり返ったままの室内に、かさかさと紙をめくる音が響き始めた。
「信安さんは、犯罪被害者ではなく加害者の家族です。息子が悪事をやらかすたびに周囲の白眼視がひどくなり、奥様と離婚されて、家も職も失っています。経済的にひどく困窮して、病院にもまともにかかれていませんでした」
「ああ……それで……か」
「癌が全身に転移しても、入院するどころか病院にもまともに行けていません」
事件を起こしてしまった夏ちゃんにとっては辛い状況説明だろう。書き取りの手が止まっている。だが、現実を直視しないことには始まらない。
「最初の問題です。死期を悟った信安さんは、なぜ息子を探し当てようとしたのでしょう。二問目。信安さんは息子の現状を知っていたでしょうか、知らなかったでしょうか。三問目。息子の消息がわかったとして、信安さんはそのあとどうなさるつもりだったのでしょう」
全員の書き取りの手が止まった。
「う……」
歯を食いしばるようにして、小林さんが書き取った問題を睨みつけている。
「先ほども申しましたが、この宿題には答えがありません。もちろん私も答えを知りませんので、私がどう考えたかをみなさんにお示しすることもありません。各人で、よく考えてみてください」
「こらあ……」
沢本さんが、ぐりぐりと首を振りながら弱音を漏らした。
「ごっつい宿題だわ」
「はい」
みんなのつく溜息が、室内を徐々に曇らせ始めた。いや、さっきのはまだ小物なんだ。その上に、もっとでかくて難しいやつが控えている。それを予告しておく。
「宿題はこれで終わりじゃないですよ。もう一つ、とてつもなく大きな宿題があるんです。それが何かは、ここではお示ししません。四つ目の大問は、夏ちゃんの結婚祝賀会の時に披露することにします」
「ええー? おめでたい席なのにぃ!」
「あはは。そうなんだけどね。本件に限らず、全ての案件に共通の大事なこと。そして、仕事とは関係なくプライベートでも大事になることだからさ」
机の上に開いてあった手帳を拾い上げ、ぱたっと音を立てて閉じる。
「本案件は、依頼内容から見ればとても小さくてイージーな案件でした。でも」
握りしめた信安さんの手。最後に残されていた温もりと失われていった熱を思い返しながら。俺は話を終えた。
「どうしても解決することができない案件でもあるんです。そのことを。どうか心に留めておいてください
逆城さんの案件は、泥棒犬の一件同様俺の心に深い傷を残すことになった。それを傷のままにしておけば、俺はせっかく貯めて来た心の蓄えを全部吐き出してしまうことになる。
あの日、故人の枕頭(ちんとう)に座って松沢さんと語り合った時にもらえたヒント。それをこれからの人生や事務所の運営に活かしていくことでしか、逆城さんの菩提を弔うすべはないのだろう。
Tell The Truth by Jude Cole
《 ぽ ち 》
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