$いまじなりぃ*ふぁーむ-tle




第三部 最終話 真実とへっぽこ


(2)



「さて。じゃあ前半戦をさっさと済ませて、少し気持ちに余裕を作ろう。今のままじゃ、腰に節操がない連中に振り回されて気持ちがすさむだけだからな」
「そうですね」

 キーボードからぽんと手を離した夏ちゃんが、席を立ってコートを羽織った。

「じゃあ、草野さんから聞き取りしてきます」
「頼む。年末年始を挟むから、調査開始は年明け以降になるけどいいかと確認を取っておいてくれ」
「わかりました」

 やれやれという顔をしていた沢本さんも、新聞をぱしっと畳んで小林さんを促した。

「じゃあ、俺らも行こうか。面倒なことはさっさと終わらせるに限る」
「はーい」

 地味メークをするためにさっと化粧室に行った小林さんから目を離し、窓外の曇り空に目を移した沢本さんがぼそりと呟いた。

「今夜は雪になるかもな」
「冷えてきましたね」
「張り込みにはきつい。俺も、大概トシだからな」
「しんどいと思ったら遠慮なく言ってくださいね。私が出ますので」
「助かる」
「いいえー、助かっているのは私です」
「はははっ」

 明るく笑い飛ばした沢本さんが、小林さんを引き連れて素行調査に出た。

 今日はオフ日で今野さんは不在。鬼沢さんも、依頼者の手続き関係のことで法務局に出かけている。事務所の中が俺一人になって、ほっと息をつく。
 俺は、この探偵事務所を十年以上ずっと一人でやってきた。今のように賑やかになったのはほんの少し前からなのに、長かった一人探偵時代のことが思い出せないくらい人がいて当たり前の雰囲気に馴染んでいる。

「不思議なものだな」

 組織の中に埋もれている限り、依頼人との心の交流が十分に得られない。そう思ったから、沖竹エージェンシーを辞めて独立したんだ。独立のきっかけは俺が自由にやりたいからではない。より幅広く、深く、強い交流の機会を作りたい……そういう目的があったから。

 だが調査業っていう商売は、必ずしも望ましい出会いを得ることには向いていない。人の隠している弱みや秘密、真実を暴き出すという行為は、いつも俺たちの精神を荒廃させようとする。俺は、ともすれば闇堕ちしそうになる心を必死に磨き続けるだけで精一杯だった。希望に満ちて新たな人脈を作ろうとする余裕など、これっぽっちもなかった。

 賑やかな事務所の雰囲気に当然のように浸っている今の自分は、本当の自分なんだろうかと強い不安を覚える。誰もいない事務所で、来るはずのない電話をしんねりむっつりと待ち続けている……あの頃の自分の方がずっと自分らしくなかったか、と。

「いかんいかん」

 外気との温度差で曇り始めた窓ガラスに目を向け、顔をしかめる。人恋しさと人間不信。俺の中にずっと同居している相反した二つの感情が、脳内をいつまでもふらふら揺らし続けている。その揺れが感情の中だけにとどまってくれればいいんだが、傾いちまった天秤の片方の荷が、生き方まで支配しようとごそごそうごめくことがあるんだ。

 ひろのようなこれでもかと原則を貫く生き方に憧れるものの、実際にそうするのは難しいよ。正平さんちをこれからリフォームするように、傾いて不恰好になってしまった心をどうにかこうにかやり繰りして、よろめきながら歩いていくしかないんだろう。

「ふう……」

 尻ポケットから手帳を引き抜いて、その白紙ページを開く。かつての俺は、そこによく『初志貫徹』と書き込んでいた。探偵としての基本理念を常に意識するための儀式だったが、隼人の誕生を機にそのモットーの白紙撤回を決めた。

 若い頃ブンさんに叩き込まれた魂の遺訓は、俺が曲がらずに前進するための大事なよすがだった。ただ、ブンさんの教えはとても抽象的なんだ。そいつを型通りに解釈してしまうと、自分が恐ろしく狭苦しくなる。どこかで遺訓のフルリフォーム、もしくは再構築をすることがどうしても必要だった。

 だが俺は白紙撤回した自戒を高次の目標に作り替えることができず、空白を放置したまま事務所をチーム制に切り替えた。理念構築より現実対応を先行させてしまったんだ。俺は……すごく大事なことを見落としてるんじゃないだろうか。それが何かは、わからないんだが。

 俺が感じた漠然とした不安や焦燥。そいつが、すぐ依頼に形を変えて顕在化した。小さな、しかし生涯忘れることのできない依頼として。





(カクレミノの未熟果)





Truth Be Told by Matthew West


《 ぽ ち 》
 ええやんかーと思われた方は、どうぞひとぽちお願いいたしまする。(^^)/


にほんブログ村 小説ブログ 短編小説へ
にほんブログ村