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シーズン5 第十二話 瑠璃(2)




 そのままペテルと二人で書を読んでおったら、繁く庭で響いていた剣戟の音が突然止んだ。

「ん?」

 テオとマルタは室内に戻っただけでなく、その足で執務室に来た。二人とも表情が硬い。

「おっさん。ジョシュアたち、帰りが遅くないか?」
「む……確かに」
「昼飯までには戻ってくるはずなのに、ずっと行きっぱなしだよ。それに……」
「何か視えたのか?」
「そう」
「アラウスカ!」

 執務室を飛び出し、アラウスカを呼ぶ。広間の暖炉のそばで縮こまっていたアラウスカが、のそっと椅子から降りた。

「なんだい?」
「ペテルと女児たちを見ていてくれ。念のため、護陣を張った方がよいかもしれぬ」

 アラウスカの顔に緊張が走った。

「なにかあったのかい?」
「わからん。だが、マルタの先視はよく当たる。ジョシュアたちがまだ帰ってこんのだ」
「あ……」
「引き止められて向こうで馳走になっておるならそれでいいんじゃが」
「あたしも行くかい?」
「いや、そうすると屋敷が無防備になる」
「……そうだね」
「護りを頼む」
「わかった」

 アラウスカは武力だけでなく魔術を操れるゆえ、有事の時には頼りになる。じゃが、あやつは寒さをひどく苦手にしておるのだ。万一雪中で敵とやり合うはめになると、その短所が致命傷になりかねん。

 馬を三頭仕立て、テオとマルタを従えてブレザの工房に急いだ。何もなければいいんじゃが……。

◇ ◇ ◇

「な、なんじゃ、これは!」

 工房に着いた時。工房の周りにはおびただしい甲冑が転がっていた。棒ではなく槍を構えたジョシュアとリンドがぜいぜいと荒い息を吐いている。レクトは中じゃな。

「雪が血で汚れておらん。ということは」

 私が状況を把握しようとする間もなく、馬を飛び降りたテオとマルタが工房に向かって雪を蹴立てながら走った。

「大丈夫か!」
「はあ、はあ、はあっ。こ、こい……つら」

 あえぎながらジョシュアが叫んだ。

「不死身だ!」

 そうか。以前屋敷を襲った黒騎士と同じ、木偶(でく)じゃな。術師がおるということか。甲冑の数から見て、相当数を操っている。どれほどジョシュアとリンドの腕が立つとて、工房の中に兵が雪崩れ込むのを防ぐことはできぬはず。だが、兵はむしろ二人だけを執拗に狙っておるようじゃ。

 なぜ?

「まず、術師を除くか。腐れ術師めが」

 常人の扱えぬ力を持つと、必ずやそれを悪用しようとする者が現れる。その最たるものが腐れ術師じゃ。半端な術しか使えぬくせに、すぐに良からぬことを企む。

「だから魔術は嫌いじゃ!」

 加勢したテオとマルタは、木偶を斬り散らすだけでなく他に何者かが潜んでいないかを探っているが気配を突き止められない。なるほど……これは厄介じゃな。どれ、一度術師の属性を試すか。

「フランメ! 炎で包め!」

 復活しようとしていた木偶を炎で包む。それはあっさりと蒸発するように消え、中からころころと瑠璃(るり)が転がり出た。

「水性じゃな。ということは」

 工房の裏手に走り、井戸を探す。案の定、井戸からぼうぼうと瘴気が吹き上がっていた。こいつ、術師ではないな。

「こそこそ隠れておらんと出て来い!」

 掌に火球を出して、井戸に叩き込む。ぎゃっという叫び声とともに、痩せぎすの奇妙な男が水柱に乗って飛び出した。

「海竜か……ジェルマイアではないな。なぜここに?」

 男が人型を解いて竜形に戻った。

「お……のれ、人間の分際で!」
「その人間以下の腐れ竜じゃな」
「ケルプ!」
「むっ!」

 竜の手から紐のようなものが飛び出し、私を巻き取ろうとした。それは長く黒い海藻。水ではない。鬱陶しいので炎で焼き落とす。

「く……」
「つまらん術じゃな」

 なるほど。こやつ、どこぞの術師に魔術を習ったのであろう。竜の癖に小賢しい術を使いよる。木偶を操っているのもこやつじゃな。
 私が貧相な竜と対峙している間に、井戸から一段と強い気が吹き上がった。青藍の美しい甲冑を装備した若武者が、三叉戟(さんさげき)を手に水柱の上に立ち、賊の竜を睥睨(へいげい)している。

「おお、オルデンどの!」
「ゾディアスさま、お騒がせして申し訳ない。王からそやつの討伐を命じられ、ずっと行方を追っておりました」

 水柱からさっと飛び降りたオルデンが、三叉戟を竜に突きつけた。

「ワクテル。神妙に縛につけ。さもなくばこの場で滅する」
「くっくっく。青二才が。レギオンの腰巾着に何ができる」

 怒りでざっと青ざめたオルデンをなだめる。

「オルデンどの。ここで竜同士が争うと、民に被害が及びまする。魔術で闘技場を整えますゆえ、しばしお待ちを」
「……ありがとうございます」

 怒りを静かな闘気に変えたオルデンが薄く笑った。桁違いの怒気にたじろいだワクテルがなおも挑発を続けようとしたのを見て、術で口を塞ぐ。

「ガレ! 黙らんか」
「う……むがが」
「ろくでもないことしか言わんのう。どうせ口にするなら、お主の魂胆を吐け」

 心を操るのは禁忌じゃが、くだらん企みを吐き出させることは禁忌に抵触せぬ。

「エベル。吐け」
「が……は」

 腹蔵が膨れ上がって抑えきれなくなったワクテルは、だらしなく舌を垂らしながら何から何までべらべら白状した。

「なるほどな」

◇ ◇ ◇

 工房から少し離れた荒地に結界を張り、ワクテルとオルデンの闘技場をしつらえる。一方的な成敗ではなく、血闘の形にすること。それはワクテルよりむしろオルデンの望みだった。誇り高きオルデンは、ワクテルの侮辱をどうしても許せなかったのであろう。

 戦いはすぐに決着がついた。レギオンの側近に取り立てられるためには、信義にあついだけではなく高い戦闘力を備えておらねばならぬ。そして、レギオンの右腕(うわん)という尊称は決して誇張ではない。
 オルデンは一切魔術を使えぬ。されどワクテルが繰り出し続ける魔術を苦もなくあしらうと、あっという間にワクテルとの間合いを詰めた。強い護術が使えるならともかく、目眩しのへなちょこ魔術しか繰り出せぬのでは話にならない。オルデンは素手でワクテルの胸を突き抜くと、掴み出した心臓を無造作に握り潰した。瞬時のことで、ワクテルは何が起こったかわからなかったであろう。叫び声一つ残せず霧散した。

 オルデンの握られた手には、瑠璃が一粒残されていた。それを懐に納めたオルデンが、私に向かって深く拝礼する。

「ゾディアスさま。沙汰を王に急ぎ報告せねばなりませぬゆえ、これにて」
「レギオンどのに宜しくお伝えくだされ」
「はっ!」

 王命を果たしたオルデンは、さっと井戸の奥に消えた。

「チルプと睦み合っているのと同じ御仁とは思えぬ。あな恐ろし」

◇ ◇ ◇

 木偶を操っていた竜が果てたことにより、木偶は全てただのがらくたになった。

「ふう……やれやれだね」

 マルタが、がらんどうの甲冑をがんと蹴る。

「工房の中は大丈夫だろうな」
「レクトが戸口にいて、棒を構えたまま待ち構えてる。その場から動いてないから、中は大丈夫だと思う」

 室内の気配を探ったマルタが、ぐるっと戸外を見渡す。

「それよりリンドを見てやった方がいいよ。相当深傷(ふかで)を負ってる」
「ジョシュアは?」
「無傷。つまり、連中の標的はジョシュア一人だったってことね。ジョシュアを拉致するつもりだったんでしょ」
「やっぱりか……」
「やっぱりって?」
「まずリンドを手当てするのが先じゃ」
「ああ」

◇ ◇ ◇

 リンドは気力だけで戦い続けていたんじゃろう。いくら相手が木偶とはいえ、数が多い上に倒しても倒しても蘇る。加勢が少しでも遅れていたら、助からなかったかもしれぬ。
 工房の中に担ぎ込まれ、ベッドに横たわった血塗れのリンドはうわごとのように呟き続けた。

「俺は……まだ……倒れるわけにはいかねえ。守らなければ……守らなければ……守らなければ」

 リンドに取り縋って泣き続けるブレザを慰める。

「ブレザどの。私はリンドに約したことがありまする。以前こやつの報酬を先受けしておりますゆえ、こやつの願いを一つ叶えることにしてあります」
「は……い」
「こやつの願いが貴女(あなた)を守るということならば、それは叶えねばなりますまい」

 リンドの身体の上に両手をかざし、呪を唱える。

「シュヒテ! 整えよ」

 失われた命を取り戻すことはできぬ。されど生命の炎が消えていないのならば、炎に油を足すことはできる。リンド、お主の生命力は強い。これくらいの傷で斃(たお)れることなど決してあるまい。
 術が効いて、リンドの血色がよくなった。傍(かたわ)らにブレザがいることを確かめて安心したかのように、寝所に静かな寝息が響き始めた。

「リンドのことじゃ。すぐに回復するでしょう。それまで付き添ってやってくだされ」
「はい!」

 ブレザが、涙ながらにリンドの頬に唇を寄せた。

◇ ◇ ◇

 前の賊の時と違い、此度の襲撃は背景がわからぬ。工房の誰にとってもショックだったはずじゃ。されどリンドが命がけでブレザを守ろうとしたことは二人の距離を一気に縮める。あの二人は……きっと契り、夫婦(めおと)になるじゃろう。それが、せめてもの救いじゃな。

 悄然としていたジョシュアに声をかけた。

「のう、ジョシュア」
「はい」
「お主の心が少し落ち着いてから、大事な話をしたい」
「……わかりました」

 切なそうに工房に視線を送ったジョシュアが、馬上でうなだれた。雪の上に無数に散らばっていた瑠璃を術で集め、皮袋に入れる。

「ゾディアスさま。それは?」

 テオも、瑠璃の存在には気づいておったはずじゃ。

「依代(よりしろ)のもとになった瑠璃よ。つまり、瑠璃を作りだせる者と、それを騎士に象った者、黒幕が複数おるということじゃな」
「なるほど」

 工房を振り返り、それを吐息で白く隠す。

「一方は滅した。他方は……」

 ジョシュアを指差して言を足す。

「あやつの心がもう少し落ち着いてから説明する」
「はい」

 日が大きく傾き、冷たい雪が再びちらつき始めた。間もなく空が無数の瑠璃で塞がれる。それが心まで冷やさなければいいんじゃがな。

「人の世は、誰の思うようにもならぬ。全く難儀なことじゃ」


【第十二話 瑠璃 了】

** シーズン5 終了 **






(クサギの果実)





Sapphire by Alcest


《 ぽ ち 》
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