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シーズン4 第十一話 犬歯(1)




「えいっ! えいっ! えいっ!」

今日も朝から、庭いっぱいにレクトの元気な掛け声が響き
渡っている。

すっかり熱を失った庭は藁色に変わり、レクトの吐く息も
白く見えるようになってきた。
もう少しすると一面に霜が降り、程なく雪が降り始める
じゃろう。
雪に閉ざされるとスカラに行けなくなるゆえ、少しでも腕
を上げておきたいレクトの練習熱は今頂点に達しておる。

スカラの学長が王都に要請したケッペリアへの棒術師範派
遣は、来春に叶いそうだと連絡があった。
レクトは、今からその日を指折り数えておる。
十歳を越して、身体も徐々に大きく剛健になってきた。
これからますます腕を上げることじゃろう。

それにしても、すっかり大人びたのう。
屋敷に来たばかりの頃のどうしようもなくひねこびた気性
はすっかり影を潜め、我の強さが屈託のなさに変わった。
積極的にではないにせよ家事の手伝いもきちんとこなす
し、渋々ではあるがエルスの面倒も見る。
鼠穴に引っ込んだが最後、呼び出さぬ限り出てこなかった
テオとは大違いじゃ。はははっ!

スカラにも休まず通っておるし、気の置けぬ友人もいくら
かできたようじゃ。
良い意味で安定したんじゃろう。

今はむしろ、相変わらずわがまま言い放題のエルスの方が
問題じゃろうて。
ネレイスに放置されて懲りたのか、前よりはいくらかまし
になったがな。

「メシだよーっ!」

マルタの大きな声が広間に響き渡って、屋敷の住人たちが
わたわたと食卓につく。
最後に、全身から汗を湯気のように吹き出しながらレクト
がぽんと座った。

「腹減ったー」

「スカラで寝るんじゃないよっ!」

アラウスカから釘を刺されて首をすくめたレクトは、山盛
りの朝飯を平らげるやいなや、意気揚々とスカラへ行く準
備を済ませた。

「今日はぼく、演武をするんだ!」

「おお、それは楽しみじゃな」

「先生に、冬休み明けから全体指導の補助をしてくれって
言われてるんだ。いいとこ見せないとさ」

「ふふふ。お主は普段からしっかり練習しておる。大丈夫
じゃろう」

「うんっ!」

マルタがおる間は馬車を使える。
ソノーとレクトを乗せた二頭立ての馬車は、軽快な蹄(ひ
づめ)の音を響かせながら、賑やかに屋敷を発った。

ついこの前まで一緒にスカラに通っていたメイにとって
は、一番辛い時間じゃろうな。
だが、その喪失感はどこかで克服せねばなるまい。
メイの年になれば、そろそろ子供とはみなされなくなって
くるからの。

「行儀見習いをどうするか、じゃの」

さすがに、スカラを卒業してすぐに屋敷から出すのはメイ
にとって酷じゃろう。
来春までの間に、メイとも話し合ってゆるゆる考えるとす
るか。

「と」

振り向けば。
テーブルに張り付いたペテルが、まだもそもそと朝飯を食
べ続けていた。

「ぬう。お主も相変わらずのんびりじゃのう」

「済みません。僕は急かされるのが大嫌いなので……」

「まあ、構わんが。マルタを怒らすなよ」

「あはは」

メイは決して急かさぬと思うが、マルタはなんでもずけず
け口にするからな。
のんびり食事をしているペテルを見下ろしているうちに、
マルタがもう帰ってきた。
案の定、だらだら食事をしていたペテルを見てでかい声を
張り上げる。

「ちょっと、ペテル! あんた、まあだメシ食ってんの? 
すぐに昼になっちゃうよ?」

「済みません」

「あたしが盛り過ぎたかなあ」

「あ、もう少し減らしてくれるとうれしいかも」

「はいよ。今度はすぐ言ってね。調整すっから」

ペテルはずけずけとものを言うマルタを苦手にしている
が、細かいことにこだわらないからっとした性格だという
ことはよく認識しておる。
そのうちマルタの物言いにも馴染むじゃろう。
馴染んだ頃には、マルタがまたどこぞに出奔するじゃろう
がな。

お? やっと食べ終わったか。
ペテルが席を離れるのを今か今かと待っていたマルタが、
さっと皿をかっさらって言った。
ははははは。

「ん?」

いつもならすぐ書庫にこもろうとするペテルが、珍しく戸
口をじっと見つめている。

「どうした? ペテル」

「どなたかお見えになったんじゃないでしょうか」

む。そんな気配はついぞ感じなかったが。
だが、ペテルの指摘は当たっていた。
どんどんと乱暴に扉が叩かれ、大きな声が聞こえた。

「頼み申す!」

また、ずいぶんと時代がかった御仁じゃのう。
悪人ではなさそうじゃが、歓待したい人物でもなさそう
じゃ。

やれやれという気分で、扉を解錠していっぱいに開く。
そこにぬっと立っておったのは、いかつい大男だった。
旅装はくたびれ切っていたが、体躯が大きいせいでとても
押し出しが強い。
男は絵姿を手にしていて、そこにはマルタらしき娘が描か
れている。

それにしても奇異な顔貌じゃのう。
ぼさぼさと伸ばされた灰青色の髪。
同色の髭が顔中を覆い、まっことむさ苦しい。
伸ばされた髭のせいで顔が丸く見えるが、輪郭はむしろ
整っている。

しかし唇が分厚く、その唇の間から四本の太い犬歯が突き
出ていた。
目はそれほど大きくないが、眼光は鋭い。

口からはみ出している犬歯のせいで、見てくれが非常に凶
暴に見える。
だが、身体から常に闘気を垂れ流している感じではない。

「どなたじゃな」

「それがし、リンドと申す者。こちらにマルタという女が
いるはず。ぜひ会わせてもらいたい」

リンドとしては丁寧にお願いしているつもりなんじゃろ
う。
だが、屋敷の主人である私に礼を尽くすという感じではな
く、言葉つきも態度も尊大でがさつじゃのう。
まともに相手をせず門前払いしようと思ったが、私の背後
からでかい声が響き渡った。

「ちょっと、あんたっ! どういうことっ?」

猛然と突進してきたマルタが、私を突き飛ばすようにし
て、リンドの顔の前に指を突きつけた。

「付いてくるなって言ったでしょっ!」

「あねさんっ! この通りだっ! どうしても俺を弟子に
してくれっ!」

そう言って、大男がいきなりマルタの足元に這いつくばっ
た。
騒ぎを聞きつけてやってきたアラウスカやメイともども、
戸口でずっこける。

「なんじゃと? 弟子ぃ?」

◇ ◇ ◇

まあ、なんと言うか。
おもしろいと言っては語弊があるが、いかにもマルタが引
き寄せやすい縁じゃのう。
心底迷惑そうなマルタが、リンドとの関わりをぶつくさ話
し始めた。

サクソニアを離れて北路をのんびり帰ろうとした矢先、ク
レスカ領内に入った途端にリンドに絡まれたそうな。

なんでもこの男。
その辺りではよく知られていた乱暴者で、住所不定無職。
道行く人々に難癖をつけ、小金をせびりとって暮らしてい
たらしい。

追い剥ぎほど悪質ではないものの、いわゆるごろつき。
しかも女に目がなく、女連れに絡んではよく騒動を起こし
ていた。
それが騒動だけで済んでいたということは、どこぞに無理
やり連れ込んで手篭めにするというほど悪質でもなかった
ということじゃな。

村の人々はリンドをひどく嫌っていて、その動向を常に見
張り、絡まれないよう忌避していた。
ゆえに、リンドに絡まれるのは旅人だけ。
そこにまんまと獲物が来たわけじゃな。一人きりの旅の
女……マルタが。

マルタが並みの女であれば、決して歓迎できない事態に
陥っておったじゃろう。
されど、マルタの戦闘力は騎士一個師団を楽に上回るほど
強力じゃ。

マルタは、リンドをこてんぱんにぶちのめした。
ノルデのいた黒い谷を抜ける時以外はほとんど無風の旅
で、どうにも暴れ足りなかったマルタは、嬉々としてこや
つをいじり倒したんじゃろう。

ところが、それだけでは終わらなかったわけだな。
普通は、ほうほうの体で男が逃げ出して終いじゃ。
だがマルタはリンドに懐かれてしまったらしい。
俺を弟子にしてくれ、と。

マルタは人に束縛されることも、人を縛り付けることもひ
どく嫌う。根っからの自由人じゃ。
この男の願いを聞き入れることなど、未来永劫ありえん
じゃろう。

で、リンドを振り切ろうとしてずっと逃げ回っていた、
と。
リンドの執念も相当なもので、あちこちで聞き込みをしな
がらマルタを追いかけ続け、とうとうここまでたどり着い
たということじゃな。なるほどなるほど。









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《 ぽ ち 》
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