《ショートショート 1219》


『影の向こう』 (夏の影 3)


「逃げてる? わたしが?」

「そう」

三日間ラインにもメールにも返信しなかったから、いらい
らが募ったたんだろう。
直電でわたしをいつもの待ち合わせ場所に呼び出した敦史
は、返答を催促しないで予想外の文句を言った。

でも、わたしはあの時敦史に言ったはずだ。
しばらく考えさせてと。

そりゃそうでしょ。
「そろそろ」の一言でプロポーズを終わらせられた日に
は、百年の恋も冷める。

「敦史がそう言うんなら、わたしも言わせてもらう」

「……」

「敦史も逃げてるじゃん。人のことなんか言えないよ。二
人して逃げてたら、前にこけた時と何も変わらない。だか
らわたしはオッケー出せない」

こんなえげつないことは、絶対に言いたくなかったな。
わたしは顔を逸らし、真横に落ちていた黒く短い二つの影
を見下ろした。




(ケヤキの樹皮)



真夏の日差しが、叩きつけるようにわたしたちの言葉と行
動を押さえつける。
その圧力に耐えきれなくなって、わたしはかんかん照りの
路上を駆け出した。

「あつー……」

◇ ◇ ◇

自分でも、もやっとした性格だっていうのはわかってる。
どんどん自己主張するよりも、相手の感情や考えを先取り
して、自分の態度や言動を調整する癖がついちゃったんだ。

そういうわたしの姿勢は、仕事をうまくこなしたり、友人
関係を良好に保つことにはとても役に立った。
でも、こと恋愛に関しては一度もうまく行ったことがな
かったんだ。

押しの強い男には一方的に搾取され、慎重な男には「真意
がわからない」と放り出される。
敦史と出会ったのは、なんとかうまく行きそうだと勝手に
思い込んでいた付き合いをばさっとひっくり返された直後
だった。

「ふうっ」

容赦無く照りつける真夏の陽光を見上げ、目を開けられな
くて顔をしかめる。
それからバス停の庇の下に駆け込んで、大きく息をついた。

あの時。
敦史も付き合いの長かった女の子に振られだばかりで、
がっくり落ち込んでいた。
何がきっかけで愚痴のこぼし合いになったのか、よく覚え
ていない。
ただ、わたしと似たタイプだということは強く印象に残っ
たんだ。

振られ者同士で残念会しよう……そんなしょうもない理由
で盛り上がらない飲み会をし、酔った勢いでホテルになだ
れこんだ。
でも……わたしたちはそこでセックスをせずに泣いた。

失った恋に泣いたのか、それとも優柔不断な自分自身に呆
れたのか。わからない。
でも、いっときの勢いで体を合わせ、それで全てちゃらに
出来るほどわたしと敦史の傷は浅くなかったんだ。

そこから。
敦史との付き合いが始まった。
先回りする同士の、穏やかで華のない、でも今度こそ確か
な……はずの恋愛が。

◇ ◇ ◇

敦史は、わたしがいつものように先回りして意を汲んでく
れると思ったんだろう。
すぐに「おっけー」と言ってくれると思ったんだろう。
でも、それはわたしが一番見たくない、わたし自身の姿
だった。

恋愛なら、時間はかかってもリセットはできる。
でも、自分の人生を懸けた結婚に踏み切るには覚悟が要る。
わたしにその覚悟をさせたいなら、先に敦史の覚悟を示し
てほしかった。はっきりと。言葉と態度で。

まるで、昼ごはんをどこで食べるか聞くみたいにして「そ
ろそろ」と一言で済まされるとは思わなかった。
それにとことん腹を立てていたのに、「逃げてる」と言わ
れるのはもっと心外……いや、とんでもなく大きなショッ
クだったんだ。






これまでで一番ダメージの大きな失恋になるだろう。
敦史と重ねてきた時間は心地よすぎたんだ。
でも、その心地よさには自己愛がたっぷり紛れ込んでいた。

わたしが見下ろしていた敦史の影。
それは影になった途端に、わたしの影をも飲み込んでいた。
色も形も失い、正体が何かわからないものに……なってい
たんだ。

夏らしい、濃くてくっきりした影。
でも、それが何の影だったのかを。
影の向こうにあるものの姿を。

わたしはちゃんと確かめようとしていただろうか。

目の中の影が。
不規則に歪み始めた。

「……っく」





Shadows by CHPTRS


《 ぽ ち 》
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