第十三話 夢の懸濁



(6)

 耐えられるかどうか。俺は耐えられなかったよ。自分自身のしでかしたことにね。今でも、だ。耐えられないからこそ、もう三十年以上も前のことを、まるで昨日のことのように夢に見る。

 俺は今でもろくでなしだが、三十年以上前は極め付けのろくでなし……いや人でなしだった。まじめに働いて稼ぐつもりなどさらさらなく、人様のものをちょろまかすことになんの罪悪感も覚えなかった。カネがなくなりゃ、どこかでかっぱらえばいい。侵入盗を再々繰り返していたんだ。

 あの日もそうだった。寝ぐら代わりに使っていた古社(ふるやしろ)の賽銭がなくなったところで、どっかで銭を調達しようと思って夜陰に紛れた。
 社の近くにしゃれた別荘があって、そこに銭がありそうな気がしたんだ。別荘は村の集落からかなり離れた山林の中に建っていた。使っていたのは若い女。そして村の連中は、お高くとまりやがってとその女を毛嫌いしていた。人目に付かない場所。人付き合いの薄さ。俺には全て好都合だった。

 女はその家にたまにしかこない。灯りが点いていなけりゃ留守だろう。リビングのガラス戸を切って鍵をあけ、靴を脱いで家に上がり込んだ。だが予想に反して、金目のものが何もない。がっかりしてキッチンに行き、飯でも食って引き上げるかと思ったその時。誰かがリビングに入ってきたんだ。家主の女だった。
 俺は焦った。ここで見つかって騒がれたらただじゃ済まない。シンクに置かれていた包丁を逆手に持って飛び出し、灯りを点けようと背を向けた女を背後から一突きにした。女は声を上げることなく絶命した。そのまま逃げようと思った俺の背後で声がしたんだ。

「ままあ?」

 振り返った俺の目に、まっすぐに俺を見つめる五歳くらいの女の子の顔が映った。
 顔を見られた! 俺は躊躇しなかった。素早く引き返し、さっきの女と同じように背中を一突きにした。

 どこをどうやってそこを引き上げたのか、覚えていない。隠れ家の社に逃げ帰り、返り血を浴びた服を全部まとめて土の中に埋めた。見つからないうちにできるだけ遠くに逃げよう。俺は自転車をかっぱらい、川沿いの道を一目散に走り下った。都市の喧騒の中に紛れるために。

◇ ◇ ◇

 信じられないことだが、二人の死体が見つかったのは俺がコロシをしでかした三年後だった。真っ先に疑われたのは俺ではなく、女を毛嫌いしていた村人たちであり、相当厳しい取り調べが行われたらしい。だが死体発見が遅れたことで物証も目撃証言も乏しかったらしく、事件は結局迷宮入りになった。
 俺はというと、それだけの悪事をしでかしていながら懲りもせずに窃盗を繰り返し、とうとう捕まって懲役五年の実刑判決を受けてしまった。そして収監されてから……あの夢を見るようになったんだよ。

 真っ暗闇の中に、女の子の二つの目だけがきらりと光って俺を見通す。

『わたしは見たよ。ママを殺したあんたのことは、絶対に忘れないからね』

 すでにこの世にいないはずの女の子が、毎夜夢に現れて俺の意識を情け容赦なく食い荒らした。俺には、しでかしたことへの罪の意識はなかったよ。これっぽっちも、微塵もなかった。だが、目が覚めている間に何でどう気を紛らわせようと、夢に現れる女の子の心臓を突き通すような冷たい視線はどうしても消えてくれなかったんだ。

 俺は……その夢を見続けることに耐えられなくなってしまった。どうしてもあの夢を消し去りたい一心で、出所したあと出家して坊主になり、田舎のぼろ寺に隠れてずっと経を読んできた。俺のしでかしたことが取り消せない以上、あの母娘の菩提を弔うことでしか女の子の刃のような視線を和らげることはできないのだろうと。

 爾来三十余年。偏屈で愛想が悪かったはずの俺は、飄々とした風変わりな坊さんとして村で認知されるようになり。法事の仕切りを頼まれたり、相談事に乗ったりという機会が増えた。大概暇だったので古文書を読むことを覚え、それに没頭した。俺が生まれるずっと前のことなら、俺の行状を一切考えなくても済むから気楽だったんだ。少しばかり学が付き、泥棒根性が薄れるにつれて、俺は徐々に丸くなった。
 畑を耕し、古文書を読み、時々寄り合いで村の古参連中と酒を飲む。カネなんざほとんどなかったが、それでも暮らしていける坊主っていう稼業にすっかり馴染んだ。坊主としての生活に慣れるにつれて、あの夢を見る頻度は徐々に下がった。それでも……。

 夢は突如再現される。昨日もそうだったんだよ。くっきりと焼印を押されたかのように、闇の中にぽかりと二つの瞳が浮かび上がり、じっと俺を見据える。俺の中で徐々に風化しつつあった凶行の記憶が、瞳によって鮮烈に蘇る。そして、俺はその夢に何もできないんだよ。悪態をつくことも、謝罪を繰り返すことも、なにも。それは責め苦だ。地獄の……責め苦だ。

 三十年経っても全く色褪せない残酷な夢。それを夢乃さんに視られた日には、俺は何もかも失ってしまう。いや……現実を失うだけならいいさ。それは俺の悪行に課せられた相応の罰だ。黙って受け入れるしかない。ただ。

 全て失った果てに残るものがあの夢だけだということに……俺は耐えられそうにないんだ。









Heavy Dreams by Totemo


《 ぽ ち 》
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