《ショートショート 1137》


『水を汲む夢』 (わんだりんぐまいんど 2)


最近、同じ夢を何度も見るようになった。

夢まで何かに拘束されるような精神状態ではなく、むしろ
些事から解放された境地にあると思っているのに。
どうにも釈然としない。

もっとも、無意識下にあるものまで自分の思うように操れ
るようになれば、それが見せるものはもはや夢ではないん
だろう。
きれいに片付いているはずの思考や感情の四隅には、小さ
な綿埃のような意識がひっそり潜んでいるということか。

買い換えたばかりの軽い羽毛布団を足元に押しやり、暗闇
の中で上体を起こす。

身体がまだ意識の制御に従わず、感覚だけが鋭敏になって
いる。
夢だけでなく、現実までもが統合されずに破片のまま転がっ
ている、極めて不快な感覚。
痺れるような不一致に耐えられず、大きく首を振ってみる。

「う」

その途端に、覚醒時に霧散消滅したはずの夢が闇の中にくっ
きり浮かんできて、私は慌てて身体を横たえた。

そう……私はひたすら水を汲んでいたのだ。




(ツリージャーマンダー)



非現実である夢は、本来色も音も持たない。
夢に色や音を付与しているのは、私たち自身の意識という
ことになる。

毎回見る同じ夢。
シーンには変異がなく、私はどこかの水辺に屈んで柄杓で
水を汲んでいる。

淡い淡い水色。
水であるということが分かる、ぎりぎりの淡さだ。
それでも、私はその色をひどく意識している。
意識しているからこそ、何度夢を見て何度そこから覚めて
も、色が脳裏にこびりついている。

音もそうだ。
水を汲むという動作だけならば、それに音が伴っている必
要などどこにもないはず。
だが、私はいつも水の音を通奏低音のように聴き続けてい
る。

すぐ目の前で水を汲んでいるのに、集中して耳を澄まさな
ければ聞き取れないほど小さい音だ。
まるで遠く遠くから響いてくる水車の音のよう。
一定の間隔で、途切れずにずっと鳴っている。

そう、聞こえるというよりも、鳴っている。

水を汲む動作と音が一致していないことに軽い苛立ちを覚
えながら。そして、淡すぎる水の色に失望を重ねながら。
私は黙々と水を汲み続ける。




(ウエストリンギア)



同じ夢を見続けていることを、なぜ鮮明に覚えているのか。
不思議と言えば不思議だ。

ただ、一つだけ明らかなことがある。

夢の中の私は、水を汲み続けているわけをずっと考え続け
ていて。
いつまでもその解を得られていないのだ。

合理性を欠く夢の世界では、解など出しようがない。
いくら考えて解に近づけていても、覚醒の時に全てご破算
になってしまうのだから。

それでも私は考えることを止めようとしない。
水を汲み続けることがどんなに無駄かを自身に説得しなが
らも、その一方で水を汲み続ける行為だけは決して止めよ
うとしない。

股裂きになっている思考と行動。
その裂け目から湧き出る水をどこかに捨て去ろうとして、
水を汲む夢が延々と続く。それに倦むと、目を覚ます。

目が覚めるのではない。目を覚ます。
水汲みを中座するためだけに。




(エミューブッシュ)



夢の無限思考に陥る前。
まだ意識があるうちに、少しだけ『なぜか』を考えてみる。
その思考の狭苦しさに耐えられなくなり、ごろりと寝返り
を打つ。

ああ、そうだ。
狭苦しくなったのは思考ではなく、現実の空間だ。

ベッドは寝返りを打って投げ出した腕を受け止めてくれな
くなり、空間は地平から虚無に変わった。

かつて実在した空間はいつの間にか削り落とされ、私はそ
れを是としたはずだ。
その空間を占めていたものは、すでに失われているのだか
ら。

だが、捨て去ったはずの空間は何ものかと入れ替わり、そ
れが水としてひたひたと押し寄せている。

現実では無視できる水も、夢の中ではどうにもできない。

「ふうっ」

そうだな。
きっと私は、なぜ水を汲み続けているのかを考えているの
ではなく、どうやったら水を汲み尽くせるのかを鬱々と考
え続けているのだ。

現実ですら汲み尽くせないものは、夢ではもっと汲み尽く
せない。
だから私は……また同じ夢を見るだろう。
水を汲む夢を。

「おやすみ」





Across The Water by Vashti Bunyan


《 ぽ ち 》
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