外殻が残っているのに 中身がない


(クヌギの葉)




本体を失っているのに 生きている


(ソメイヨシノ)





 最初の姿を最後まで全うする。それは、生物である限りありえないことです。たとえ長寿命の樹木であっても、木は成長して大きくなっていく反面、いろいろな要因によってその身体を失ってもいます。常に中身が変化しているんですよね。

 わたしたちがそれになかなか気付けないのは、変化のパターンがある程度決まっているからでしょう。芽吹いて、花が咲き、枝葉を茂らせ、実をつけて、葉を落とし、芽で春を待つ。生物季節に基づいて粛々と動いていくものは、その変化が定常的に感じられるのです。

 でも、何か大きな出来事が生物そのものを大きく揺らした場合、わたしたちはそこに大きな変化が存在していることを認めざるをえなくなります。

◇ ◇ ◇

 今年は猛暑のせいか食葉性の害虫の発生が多かったようで、クヌギの葉が透け透けに食われていました。葉脈を残して柔らかいところだけをきれいに食べるなんて、器用な虫ですね。アウトラインはしっかり残っているので、葉の形は崩れません。でも、中身はほとんどないんですよ。そんな葉を見上げて、一つ溜息をつきます。こんな心になっている人が結構いるんじゃないかなあと。わたしも一時期そうでしたし。

 心の悲鳴が見える人は、まだいいんです。それはわかりやすいエスオーエスですから、自他のケアアクションにスムーズにつながります。でも、そういう心の傷や亀裂、空洞化を見せない、見せられない人もいるんですよね。いつもと変わらない受け答えで、心の変化が外に現れないと、中身もそうだと見られてしまうんです。そして、変化を表に出せというアドバイスは、往往にして空振りに終わります。素直に出せるようなら、心が空っぽになることなんかないはずですから。

 外見と中身が一致しない。しばしば悪い意味で使われますが、不一致の意味をよくよく考える必要があるかなあと思います。

◇ ◇ ◇

 台風でひどく傾き、切り倒されてしまったソメイヨシノ。生物としての一生をすでに終えた……そんな風に見られます。待ってください。そんなことはありません。しっかり生きているんですよ。切り株から萌芽した若枝が、生き生きした緑の枝葉を伸ばしていました。

 冬芽が作れなければ結局このまま枯れてしまいますが、それでも、本体の喪失イコール枯死ではないんです。公園などに植えられている桜の木の周囲を見回してみてください。地際や根から萌芽枝が上がっていることは決して珍しくありません。

 失われてしまったように見える心。でも、心は脆弱である反面、強靭でもあります。粉々に壊れたように見えても、その一部が残っていれば立派に再生するんです。その再生力の強さは、肉体の比ではありません。最後の最後まで心の強靭さを信じること。それが……心を立て直すための鍵なのかなと思ったりします。

◇ ◇ ◇

 猛暑や天災の影響で、多くの大変化を目の当たりにした今年。それが日常のひだの中に落ちてしまわないうちに。しっかり自己点検を続けようと思っています。




  破(や)れ堂の中に一片(ひとひら)六花舞う





Everything Changes by Sara Bareilles


《 ぽ ち 》
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