《ショートショート 0967》


『エトランゼ』 (でぃすたんす 10)


「うーん……」

「まきちゃん、どしたん?」

俺の隣の席からにょきっと顔を出した鈴木が、弁当箱の中身
に手を出そうとしたので容赦なく引っ叩く。

ばしっ!

「ちぇ」

「ちぇじゃねえよ。ゼニこぎりぎりでやってんだから、俺の
食いもんに手ぇ出すな」

「へいへい」

まあ、ぎりぎりなのは、俺だけでなくて鈴木も似たようなも
んだがな。だからこそ俺らは馬が合った。

そう、俺たちはエトランゼ(異邦人)なんだよ。
どうしようもなく、な。



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(ランタナ)



俺は、自分が何人なんだかさっぱり分からん。

姓はヤン(楊)。中国名だ。
そして俺がガキの頃は、本当に中国語しかしゃべれなかった
らしい。
だが、俺の名前は真紀(まさのり)。
それは中国名ではなく、日本の名前だ。

俺が物心ついた頃に家にいたのは中国人の夫婦で、俺はその
息子として育てられた。
ただ、子供心に変だなあとは思っていた。
いつも村のガキどもに『鬼子(グイズ)』と蔑まれていたか
らだ。

俺が五歳になった時に、警察が俺の両親を取っ捕まえて投獄
してしまった。
俺は、両親がどんな悪いことをしでかしていたのか何も知ら
ない。

ただ、俺は中国人ではなく日本人だと向こうの偉い人に言わ
れ、そのまま日本に送り返されてしまった。
俺を受け入れてくれるのが誰か、何も分からないまま。

俺は児童福祉施設に預けられ、そのままそこで今の年になる
まで育ってきた。
その間ここと向こうの役人さんが、俺の出自を探ってくれた
らしい。が、結局詳しいことは何一つ分からなかった。

中国で俺を育ててくれた両親が、善意で捨て子の俺を育てて
くれたのか、それとも誰かの赤ちゃんを誘拐したのか、それ
すらも。

事実として、俺はどこにも帰属できない宙ぶらりんの存在。
極め付けのエトランゼになっている。

宙ぶらりんと言やあ、鈴木もそうだな。

鈴木ってのは日本によくある平凡な苗字だが、本当はあいつ
には姓がない。セシルという名前だけがあいつの持ち物で、
それも本当に鈴木のものだったかどうか分からない。

容姿はどこまでも西欧人だ。
白い肌。褐色の髪と青みを帯びた瞳、彫りの深い顔。
だが鈴木は日本語しか知らないし、それしかしゃべれない。
今は日本語しかしゃべれなくなった俺と同じだ。

俺と鈴木は同じ施設にいて、同じようにエトランゼとしてこ
の国の片隅で暮らしてきた。
そして、俺たちは未だにどこにも帰属できずにいる。

日本にいれば日本人?
あほか。そういうやつには思い切りぶちかましてやるよ。

「もしここがなくなったら、あんたは何人になるの?」


           −=*=−


「進路?」

「そう。今でもバイトしながらのかつかつなんだ。大学まで
突っ込むには、ちっとなあ」

「そうなんだよねー。佐藤先生、なんて言ってるの?」

「先生的には、もうちょい踏ん張って行った方がいいよって
さ。俺も行きたいのは山々なんだけど……」

「お金がねえ。授業料はなんとかなっても、働きながらだと
単位取ってくのがしんどそうだし」

「いや、そっちはなんとかなる」

「へ?」

「それよか、そうしてまで大学出て、じゃあなにやるの、の
ところ」

「ふうん」

「俺の姓じゃ、もろだよ。まともに就活できやしねえ」

「改名すれば?」

「やだ」

「どして?」

「俺の親を否定することになっからだよ」

「……」

俺と鈴木。境遇は似てるが、一番違うのはそこだ。
俺は、育ててくれた向こうの親の愛情を疑ったことはない。
強制的に引き離されてしまったことが悲しいとは思っても、
親を恨んだことはない。

だが、鈴木は違う。
自分を産み落として日本という見知らぬ国に放り投げていっ
た親を、死ぬまで許すことはないだろう。

親が残した、捨てぜりふのようなセシルという名前。
鈴木はそれを死ぬほど嫌っている。
だから、誰にも名前の方で呼ばせない。

親との距離感の差。
そこが……俺と鈴木の間を隔てている近くて遠い距離だ。

だけどな。
その距離よりも、俺や鈴木とそれ以外の連中との距離が遠す
ぎるんだよ。

純潔を唱える連中自身の性根が、汚物にまみれている。
腐っている自分を見たくない連中が、目を逸らすために俺た
ちのようなスケープゴートを探すんだ。
そういう浅ましい連中がうようよ溢れていて、俺たちに向
かっていけしゃあしゃあと言うわけだ。

「俺の前にひざまずけ。仲間にしてやっから」

はっ! ごめんだね。



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授業が終わって、鈴木と連れ立ってアパートに帰る。

「ねえねえ」

「うん?」

「結婚したら、どっちかの姓が選べるじゃん」

「だな」

「まきちゃんは、どうすんの?」

「どっちでもいい」

「へー。それにはこだわらないんだ」

「俺にはもうファミリーがないからな。苗字は単なる記号さ。
鈴木もそうだろ?」

「……うん」

「俺は、帰属を無理強いされて名前を変えたくない。それだ
けだよ」

「そっかあ。あ、じゃあ、ばいばい。また明日ー」

「うい」

鈴木が、里親の家に向かってぱたぱたと走っていった。
俺はその背中が見えなくなるまでじっと見送る。

帰属することで帰属先の極に巻き込まれ、生き方や考え方が
せせこましくなる。
エトランゼの俺たちは、どこにも帰属できないからこそ自分
の居場所を自由にクリエイトできるのかもしれない。

「そう考えないと、ばかばかしくてやってらんないんだよ」

もう少しで高校生活が終わる。
その先は、俺一人じゃなくあいつと……鈴木と考えることに
なる。

あいつとの距離さえ見間違えなければ。
俺はずっとエトランゼでもやっていけるだろう。

「さて、と。バイトに行くか」





Gerontocrazia by Area

 エジプト生まれ、イタリア育ち。アラビア語、ギリシア語、英語、イタリア語、フランス語を操るアレアの看板ボーカル、デメトリオ・ストラトス。さあ。彼は、何人でしょう?

 この曲も、前半はギリシア語、後半がイタリア語です。