《ショートショート 0866》


『影のくすみ』


もともと、影には影としての意味しかないと思う。
それがどんなふうになってるかなんて、一々見ないよね。

わたしは影。
マナミの影。
双子なのに、わたしのことは誰も見てくれない。

自分推しのうまいマナミに明るいところを全部持って行かれ
て、わたしはいつも影だ。

わたしが別にいいやって割り切れていれば、わたしなりの姿
が出来たんだと思う。

でも、わたしには自分を強く主張するガッツがなかった。
影に押し込まれて、それが嫌だってことを誰にもはっきり言
えなかった。

わたしは……影。
マナミっていう実像がないと存在しえない影。

そんな風に……自分を創ってしまった。



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(ホオノキの落ち葉)



「早川さん、上がり?」

仕事が終わってアパートに帰り着いた時に、買い物帰りらし
い隣の太田さんに声をかけられた。

太田さんは、わたしがすっごく苦手なタイプ。
明るくて、おしゃべりで、押しが強い。
まるで……マナミみたいだ。

でも、太田さんはマナミじゃない。
どこにでもいるおせっかいで好奇心の強いオバさん。

わたしは小さく深呼吸をしてから、どうにかこうにか笑顔を
作る。

「そうですー」

「今年就職だったんでしょ? 慣れた?」

「まだ……覚えることが多くて」

「そうよねー。新人さんは、最初はこき使われるから」

わたしではなく、太田さんが頬をぷうっと膨らませて不満の
表情を見せた。

「あの……これで失礼します」

「あはは。お疲れ様」

仕事でわたしが疲れてるって、配慮してくれたのかな。
部屋の鍵を開けた太田さんは、わたしを見ずにさっと中に入っ
てドアを閉めた。

ほっとする。


           −=*=−


影でなんかいたくない……心の底でいつも不満を抱いていな
がら、わたしはマナミの影でいないと不安だった。
その不安が、今も変わらずにわたしを蝕んでいる。

マナミは……。
わたしがそうなるだろうと予想してたけど、そうなって欲し
くなかった未来を選択した。

大学に入って付き合い始めたイケメンの彼氏と、いろいろ紆
余曲折を経て今春ゴールイン。
社会に出て苦労してないし、まだ若すぎるって、渋い顔して
たパパやママも、ちゃんと主婦業をこなしてるマナミを見て
ほっとしてる。

でも親は、わたしが底なしの不安を抱えていることにちっと
も気付いてくれない。

そう。
わたしはもうマナミの影が出来なくなったんだ。
わたしは……マナミのように器用には立ち回れない。
カレシなんか一度も出来たことはないし、これからカレシが
出来るっていう予感も……ない。

どこにも帰属出来ない不鮮明な影だけが……主(あるじ)を
探してうろうろしてるみたいだ。

「は……」

溜息すら上手につけない自分にがっかりしながら、のろのろ
とコートを脱いでハンガーにかける。

ぽーん!

いきなり大きな音で呼び鈴が鳴って、心臓が止まりそうに
なった。

「だ……れ?」

ドアスコープでこわごわ確認したら、太田さんだった。
なんだろ?

「はあい」

こそっとドアを開けたら、その隙間をこじ開けるようにして、
太田さんがどんと体をねじ入れた。

「ねえ、早川さん」

「はい?」

「ちゃんと言いたいことは言わないとだめよ。あんた、今
すっごくくすんでる」

う……。

「あんたがそれで納得してるならいいけどさ。納得してない
でしょ?」

気にしてることをずけずけ言われて、頭に来る以前にものす
ごくショックだった。涙があふれてきてしまう。

わたしの前でふうっと大きな息を漏らした太田さんは、わた
しに向かって大きなビニール袋を突き出した。

「実家からみかんを山ほど送ってきたの。少し手伝って」

「あ、はい……」

「わたしもね、昔からこんな性格だったわけじゃないよ。人
に逆らうのが苦手でね。典型的ないい子ちゃんだった。だか
ら、いつも汚れ仕事ばっかさせられちゃうの。そうすっと、
どんどんくすむ」

「……」

「それでなくても地味子なのに、誰からも見えなくなっちゃ
うの。自分自身にすら」

「は……い」

「ちゃんと自分を磨いたほうがいいよ。きれいにじゃなく、
くすまないように」

それだけ言い残して。
太田さんはさっと引き上げた。



hoo2



「……」

腰が……抜けた。
普段付き合いのない太田さんにまで、わたしの惨状が見えて
るんだ。
それでなくても薄ぼんやりの影の存在なのに、その影すらく
すんでしまったら……。ぞっとする。

太田さんから受け取ったビニール袋を覗き込んで、思わず苦
笑いした。

そこには……みかんの他に化粧品のサンプルが。

茶目っ気たっぷりにウインクする太田さんの姿が目の前に浮
かんで。
わたしのくすみは、ちょっぴり取れたかもしれない。

もらった大振りのみかんを両手に持って、思案する。

「立派なみかんだなー。いっぱいあるし、コンフィチュール
作って、フルーツタルト焼いてみようかな」

うん。
影にでも出来ることはあるよね。
まず、そこから始めよう。

「うまく焼けたら、太田さんにお裾分けしよっと」





Shadows On A Dancefloor by Nightnoise