《ショートショート 0856》


『燕脂』 (凝る赤 2)


「赤は嫌いだけど、燕脂は別」

そう言って。姉はよく燕脂色の服に袖を通した。
でも顔も言動も行動も派手な姉には、大人しい燕脂色の服は
まるっきり似合っていなかったと思う。

もっとも、わたしが似合わないって言おうものなら千倍万倍
の口撃が返ってきただろう。だから、わたしは姉にいちゃも
んをつけたことはなかった。
そして姉は、親や友達からは遠慮なくぶつけられる『似合わ
ない』の言葉を頑固なまでに無視し続けていた。

姉には服の色以外にもあれこれ奇妙なこだわりがあって、そ
のせいで周囲の人たちとの間で軋轢が絶えなかった。
男にモテる容姿なのに浮いた話は一つも聞こえてこなかった
し、快活な割には親しい友人が一人もいなかったように思う。

わたしも両親も、正直姉の偏った嗜好には付いていけなかっ
た。当然、それは姉とわたしたちとの間にたくさんの衝突と
小競り合いを生んだ。
姉はそれに倦んだように、高校卒業と同時にさっと家を離
れ、すぐに消息が分からなくなった。



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(テイカカズラ)



「まりー」

「なあにー?」

ばたばたと慌ただしく自室で荷造りをしていたら、かつての
姉の部屋に入り込んでいた母の声がした。

「ちょっと来てー」

なんだろ?

ほとんどがらんどうの殺風景な部屋に入ると。
母が、一着の燕脂色のセーターを手に困惑顔をしていた。

「これってさ、愛理のだよね?」

「色から言って、そうじゃない?」

「でも、どう見てもサイズが……」

「あ」

母の手からセーターを受け取って、タグを確かめる。
七号って……。

「これじゃあ、似合う似合わない以前に大柄なお姉ちゃんに
は着れないよね」

「そうなの。あの子、ここを出る時にほとんど全部服を処分
していったのに。なんでこんなちんちくりんのを、一着だけ
残したのかしら?」

「……」

わたしは……なんとなく思い当たることがあって、姉の高校
の卒業アルバムを引っ張り出した。
そのアルバムも、姉が持って行かずに家に置いていったもの
の一つだった。

わたしが見たかったのは、最後の集合写真じゃない。
高校在学中に、姉から何か欠けたものがあったんじゃないか
と。なんとなくそう思ったんだ。

根拠なんか何もない。ただの直感。
でも……わたしの直感は当たっていたかもしれない。

姉が高校に入ったばかりの時のスナップにいつも姉と写って
いた女の子。
小柄でひどく痩せた、元気には見えない女の子。
それが……三年のスナップからは消えていた。

わたしは三年全クラスの集合写真の端から端まで、その女の
子の顔がないかどうかを何度も何度も確かめた。
でも、そこには……彼女の顔は……なかった。

「……」

「まり。なにか分かったの?」

母が不安そうにアルバムを覗き込む。

「お姉ちゃんが自分の口から直接言わない限り、わたしの想
像にしかならないよ」

「うん……」

「でも。お姉ちゃんには、自分の好きなものを全部ぶん投げ
ても寄り添いたい子がいたんじゃないかな」

「え? 男の子?」

「いや……」

わたしは、ゆっくりアルバムの中の女の子を指差した。

「たぶん、この子だと思う」

その顔を見て。何かを思い出したように、母が目を大きく見
開いた。

「あ!」



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(ナツヅタ)



姉が抱いていた感情が、愛情だったのか同情だったのか。
部外者のわたしには分からない。

でも姉は、自分の好き嫌いに全部蓋をしてしまうくらい、そ
の子に自分の生をぴったり重ね合わせていたんだろう。
そして……その子の生は突然途切れた。

その子の分まで生きる。言うのは簡単なこと。
でも、それは時に姉の自我を強く否定することになる。
姉の奇妙なこだわりは、きっとそのせめぎ合いの中から出て
きたんだろう。

「ふう……」

家の建て替えを機に、姉の部屋は消える。

たくさんの思い出に縛られた姉は、昔の面影がなくなった我
が家を見てほっとするんだろうか?
それとも……何もかも失ったと絶望するんだろうか?

わたしは。
ただの空箱になってしまった姉の部屋の片隅に目を遣り、そ
こにまだ姉がいるかのような気配を感じながら、燕脂色の
セーターと卒業アルバムをゴミ袋に放り込んだ。

「お姉ちゃん。やっぱり、燕脂は全然似合わないよ」

そう……問いかけながら。





Scarlet by Brooke Fraser