半月 第四章



鍵 (1)


卓ちゃんは、美月さんが無茶しないように見張るって言っ
て、美月さんの病室に歩いていった。
わたしは、さわちゃんの家族が病院に着くまで付き添うこと
になった。

静まり返った病室。
ベッドに横たえられたさわちゃんは、どこまでも深く眠って
いる。
その顔を見ていると、ものすごく怖くなってくる。

お母さんの時も、お父さんの時も。
お葬式の時の死に顔は眠っているようだった。
朝だよ起きてって揺すれば、ああごめん寝過ごしたって言っ
て起きてきそうな。そんな顔だった。
もう二度と目を開けないんだって、それを理解するのが難し
いくらい。

でもそれは。
わたしにとっては怖いことであって、悲しいことではなかっ
た。どうしてだろう?

お葬式の時も、気丈だって言われた。
辛いだろうに健気だって言われた。
でも、わたしには悲しみを我慢してる気持ちはなかった。
どうしてだろう?

わたしには、悲しむという感情が欠け落ちてるんだろうか?
わたしには、血も涙もないんだろうか?

さわちゃんの寝顔を見ながら、わたしはいつしか考え込んで
いった。

美月さんに言われたこと。
わたしにとっての鍵って、なんだったんだろう?
わたしの意識は生まれた川を遡るサカナのように過去を辿
り、鍵を探す旅に出て行く。


           −=*=−


催眠術は暗示。
作られたまどろみの中で、出来ることを出来ない、出来ない
ことを出来ると暗示して、意識を屈服させる。
暗示にねじ曲げられた意識は、いつでも元に戻ろうとする。
それを強引に抑え込むのが、鍵の役目。
普通は、暗示そのものが鍵を兼ねてる。

催眠術に使う振り子やコインなんかは、意識を眠りの中に陥
れて、暗示を強く印象づける小道具に過ぎない。
それは本当は鍵じゃない。

そして、暗示の効果はずーっと続くものじゃない。
暗示の中身が理不尽であればあるほど、鍵は何かのはずみで
外れやすくなる。

わたしの場合はどうなんだろう?

おしゃべりを封印したコインは、単なる小道具だ。
確かに、先生の暗示はとても強力だったんだろう。
でも、先生は父に言った。二、三週間で外す、と。
逆に言えばその程度の持続効果しかない、間に合わせの催眠
術だったはずなのに。
どうして、それがこの年になるまで効き続けてしまったんだ
ろう。

くん。
さわちゃんが、小さく鼻を鳴らした。

わたしはさわちゃんの寝顔を見る。
さわちゃんは意識が戻りつつあるみたいで、時々顔をしかめ
る。何かイヤなことを思い出しているのかな。
しきりに口を動かしている。誰かに不満をぶつけるように。

その様子を見ているうちに、わたしにとっての鍵の意味がお
ぼろげに浮かんできた。

ああ、そうか。
わたしも、さわちゃんと同じだったんだな、と。

わたしは偉そうに、さわちゃんのエゴを非難してた。
自分の都合ばかり優先して、人の気持ちも考えず、自分の心
の穴を勝手に他人で埋めようとするって。

でも。
それは、わたしも全く同じだったんだって気がついた。

わたしのおしゃべりが封じられたあと、その封印を外す鍵は
本当はわたし自身が持ってたんだ。
本当に幼い頃ならともかく、自分の意志で行動できる年齢に
なってからは、鍵を外すチャンスなんかいくらでもあったは
ずなんだ。

でも、わたしはそうしなかった。
わたしは逆に、鍵を自分の心の奥深くに隠してしまった。
それが勝手に外れないように、細心の注意を払って。

なぜ、そんなことをしたんだろう?

自分の心に素直になれば、すぐに分かることだった。
わたしはお父さんとお母さんに、自分だけを見ていて欲し
かったんだ。ずっとずっと、わたしだけを。

お母さんは、わたしのトラブルの負い目を全部自分の中に抱
え込んでしまった。
自分を責めるあまり、他に何も見えなくなってしまった。

お母さんがわたしのことで心を病むようになってから、お父
さんはお母さんを救おうとして手を尽くした。
お父さんの視線は、わたしよりお母さんに多く注がれるよう
になった。

それは、愛情で結ばれた夫婦ならごく自然なこと。
でも子供だったわたしには、それが理解出来なかった。
わたしは、お母さんやお父さんに放置されたと思い込んでし
まったんだ。
お母さんやお父さんの、わたしへの愛情が減ることなんか絶
対にないのに。それを我慢することが出来なかった。

だから、わたしは仮病を使った。
自分が不自由であるかのように装った。
鍵なんかいつでも外せるのに、手のかかる子供を演じ続けた
んだ。

そうすることで、お父さんもお母さんもわたしの方を向いて
くれる。
辛い思いをさせてゴメンねって、わたしを慰めてくれる。
いつでも抱きしめてくれる。

お父さんお母さんに咎を負わせておけば、わたしは決して放
り出されることはない。
わたしがお父さん、お母さんの愛情を独り占めできる。

子供って……残酷だ。
わたしは、そうやって親の愛情をいつも計りにかけて、毎日
試し続けたんだ。

お母さんは、どんどんそれに耐えられなくなっていった。
わたしはこんなにもあなたを愛しているのに、まだ足りない
のって。

お父さんも、とうとう堪えきれなくなった。
おまえにもうこれ以上謝り続けることは出来ないんだ、だか
らって。

わたしが慌てて鍵を外そうとした時には、もうお母さんもお
父さんも死んでしまった。
わたしは、その愛情を永遠に受けられなくなってしまった。

だから、今度は自分への罰として、わたしは鍵を外さなかっ
たんだ。
外せなかったんじゃない。外さなかったんだ……。

ぐっちぃのマジックでそれが外れたのは、わたし自身が変化
を望んだから。
背負ってきた過去を罰として持ち続けることが、辛くなって
きたから。

鍵は、わたしの中にあったんだ。
最初から、ずっと。

「んっ……」

ふっと。
意識が追憶の水底から病室に戻った。
わたしは、まだぼんやりさわちゃんの顔を見つめていた。

鍵で閉じ込めていたもの。
それはコトバや会話だけじゃない。
わたしは、大事なことにまだ目を向けてない。
それを今のうちに、きちんと正視しなくちゃいけない。