《ショートショート 0828》


『むすんでひらいて』 (らいふごーずおん 5)


先週結婚式をあげ、新婚生活を始めた娘夫婦がうちに遊びにき
た。
もっとも、娘は結婚前からよくカレシを家に連れてきていた
から、私には特に違和感はない。

「ああ、お父さん。座ってて。私がやるから」

「梨子(りこ)にしてもらうほどのことはないよ。出来合い
のものばかりだからさ」

「ちょっと、お父さん! また油物ばっか!」

「ははは」

「はははじゃないわよう」

私と娘とのとんちんかんなやり取りを、婿さんがにこにこ顔
で眺めている。

「本当に親子仲がいいんですね」

「まあな。二人しかいないのに、毎日つんけんやり合ってた
んじゃつまらんだろ」

「うん、そうですね」



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(ムクゲ)



私と娘の梨子との間には、血の繋がりがない。
いや、繋がりがないどころの話じゃないね。
元々、縁もゆかりもない。

私は七十過ぎのこの年までずっと独身だ。
五十五まで小さな会社の事務員をやり、そこを退職したあと
警備会社に再就職して守衛をやっていた。

梨子は、私が守衛を務めていた会社の清掃婦の子供だ。

清掃婦のおばさんは、いわゆるシンママ。
四十を過ぎていたように見えたが、その年齢相応の落ち着き
とか社交性みたいなものはかけらもなかった。
必死に仕事をこなして娘を立派に育てようなんて気概はさら
さらなく、荒んだ感情をいつも剥き出しにしていて誰からも
嫌われていた。

どこにも子供を預けることが出来ないその女は、職場に梨子
を呼び寄せ、そこで一日を過ごさせていた。
そして梨子は、女にとって望まない子供だったんだろう。い
つも梨子に当たり散らしていて、とても愛情を注いで育てて
いるようには見えなかった。

後で分かったんだが、梨子が母親の激しい虐待を受けずに済
んでいたのは、周囲の監視の目があったこと、そして梨子が
幼いながらそこそこ家事をこなせたからだろう。

私は、いつも大人の機嫌をうかがっておどおどしていた梨子
がかわいそうだと思っていたが、守衛の仕事をおろそかにし
て梨子にかまってやることは出来ない。
時々声をかけてやるくらいが関の山だった。

梨子にとっては、誰もが自分を厄介者扱いする中、私だけが
『親切なおじさん』だったんだろうなと思う。

ところが。
ある日突然、梨子にとんでもないアクシデントが降りかかっ
た。梨子の母親が、社屋の屋上から飛び降り自殺してしまっ
たのだ。

女の死を悼む者が誰もいないというのもとことん悲しいこと
だったが、残された梨子はもっと悲惨だ。
これからが、まさに生き地獄だろう。
親族に引き取られるにしても、施設に預けられるにしても、
誰かが自分を愛してくれるという保証はどこにもないのだか
ら。私は……それが不憫で仕方なかったんだ。

独身の私は、戸籍がどう汚れようと困ることは何もない。
養子だの里親だのということになれば資格審査や手続きが面
倒になると考え、梨子が父親不詳の私生児であることを逆手
に取って、私が孕ませた子として梨子を認知した。
そうすれば、形の上では私の実子ということになる。

もちろん、梨子にはおじさんの子供になるかいと直接確認を
取った。梨子はうんと頷いたが、それが本心から望んだこと
かどうか、私には確かめようがない。

社や警察、福祉関係の部署には実の親子だと説明をして、法
的責任を果たす形で親子としての生活をスタートさせた。
私の説明を本当に事実だと思ってくれた関係者がどれくらい
いたのか知らないが、面倒を背負いこまずに済んでやれやれ
と思った連中は多かっただろう。

親子どころか夫婦の経験すらない私に、梨子との生活がうま
くこなせるのか。不安があったのは確かだ。
だが夜勤のある守衛という仕事が、実にうまいこと二人の生
活にはまってくれた。

三日に一度の休みは、一日がフルに使える。
授業参観や運動会、そういう学校でのイベントには必ず顔を
出せた。
家でも、勉強を教えたり、おしゃべりをしたり、ゲームをし
たり。休みには旅行に出かけたり。本当の親子がその年頃に
するであろうやり取りを、私たちは普通に出来たんだ。

通常の昼勤だと、結局梨子を一人にしてしまったかもしれな
い。そういう意味では、私たちはついていたんだろう。


           −=*=−


驚くほど破綻なく。私たちは親子としてのプロセスを順当に
こなして行った。
その中には、思春期、反抗期の梨子との激しいやり取りも含
まれている。

難しい時期に突入した梨子から刺々しい言葉をぶつけられた
こともあったし、むっとした私が感情に任せて言い返したこ
ともあった。
ただ……私も梨子も、出て行けとか出て行ってやると言った
り言われたりしたことだけは、一度もなかった。

二人しかいないんだ。いろいろあっても仲良くやろうよ。
その無言の約束が……今に至るまでずっと徹底されているん
だと思う。

引き取った当初は母親のネグレクトの悪影響で学力が劣って
いた梨子だったが、頑張り屋の梨子はめきめき学力を上げ、
高校を出る頃にはかなり高位の大学を狙えるレベルにまで到
達していた。
だが梨子は、自宅から通える大学にこだわった。

「独りは寂しいもん」

それは……梨子の心の底からの叫びだったと思う。
そして私は、寂しがり屋の梨子の結婚は早いだろうなと予想
したんだ。

案の定、梨子は大学に入ってすぐにカレシをこさえ、カレシ
の卒業と就職を待ってゴールインした。

カレシは、浮ついたところのないとてもしっかりした男だ。
きっと梨子を幸せにしてくれるだろう。



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(アプテニア)



三人で、結婚式の時のことをネタにしながらわいわい賑やか
に飲んでいたら。
突然黙り込んだ梨子に、ぽつりと聞かれた。

「ねえ、お父さん」

「うん?」

「わたしが娘で……よかったの?」

「よかったもなにもないよ。俺の娘は梨子で、それしかいな
い」

私は席を立って、押入れから一冊のアルバムを持ってきた。
現存する一番古いアルバム。
一番最初のページに、焼けて色褪せた一枚の写真がぽんと
貼ってある。

そのページを開いて、二人に見せた。

カメラマンはいつも私だったから、私が写っている写真とい
うのはすごく少ない。
でも、二人で写った一番最初の写真がこれだったんだよな。
私は、今でもその時の情景を鮮明に思い出せる。

梨子が小学校に上がって最初の運動会。
一年生のダンスが、むすんでひらいてのアレンジだったんだ
よ。
本番前に梨子と向かい合わせになって親子で練習……その光
景がなんとも微笑ましいと言われて、PTAの広報さんが
撮ってくれたスナップ。

「俺は、この一枚の中に収まるまでずっと独りだった。俺が
望んでそうしたってことはないよ。たまたまそういう巡り合
わせだったんだ」

「うん」

「それは……梨子もそうだろ」

「そうね」

「むすんでひらいては、見てくれる人がいるから楽しい。一
人でやってもつまらんよ」

「うん」

「二人きりしかいないんだ。だから向かい合って、ずっとむ
すんでひらいてをやってきた。それが俺ら親子の形だった
し、俺はそれで幸せだと思ってる」

顔を歪ませた梨子が、結婚式の時以上に号泣した。
私も堪え切れず、熱くなった目頭を袖で押さえた。

「今度は……孫を連れて来てくれよ。そうしたら、大勢でむ
すんでひらいてが出来るからな」

「う……ん」





Dream Again by David Wilcox