《ショートショート 0825》


『波濤を越えて』 (らいふごーずおん 2)


どんなに穏やかでも、海には波がある。
そしてわたしが海を渡って前に進むには、その波を越えてい
かないとならない。

波濤を越えて。
ゆったりしたワルツ。
そんな風に優雅に波を越していければいいけど。
わたしの目の前に迫っていたのは、全てを飲み込んで破壊し
ようとするとてつもない高波だった。



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(ローズマリー)



「うーん……」

涙は枯れ果てて、すっかり乾いた。
だって、どんなに泣いたところで何一つ良くなることなんか
ないんだもん。

「聞いてないよ、だよなあ」

いや……そんなことはないね。
わたしは、近い将来こうなることを前から予測していた。
予測は予感じゃない。必ずそうなるっていう根拠があるんだ
よね。
でも、わたしはそれが単なる予感であって欲しかったんだ。

「はあ」

わたしが、遺影になってしまったパパとママを見比べて溜息
をついている間に、まだどつぼから抜けられない妹の美沙
(みさ)がわたしの横に座って、同じようにか細い溜息をつ
いた。

「ふう……。ねえ、お姉ちゃん」

「なに?」

「あたしたちさ……どうなるわけ?」

「さあ。じいちゃんばあちゃんはもう全員あの世。親戚って
のはいないみたいだし、もしいてもあてにならない。パパも
ママも個人で仕事してたから、会社の人たちが助けてくれ
るってこともない」

「……」

「わたしが義務教育終わっちゃってる以上、食ってくなら働
けってことになるわね」

「あたしは?」

「美沙はまだ中坊やん。卒業までは働けないよ」

「……」

へらへら笑っている二人の遺影を、ぎっちりにらみつける。

まあ。どこまでも楽天的でとんとんちきの両親だった。
そのあまりに場当たり出たとこ勝負の生き方は、外野から見
ていれば爽快かもしれないけれど、子供のわたしたちにとっ
ては心臓に悪いだけ。

そして、その心配通りに、まずパパが海外で事故死。
その後を追うように、一年もしないうちにママが病気で突然
死しちゃった。
しかも二人とも、万一のことを考えて保険に入るとか学費や
生活費を貯金しとくとか、なーんもなし。
とことん呆れるわ。

親がとんとんちきの分だけ、わたしにも美沙にも現実感覚が
早くから発達したと思うんだけど、さすがにそれだけじゃど
うにもならない。
家事はこなせても、お金は作れないもの。

明日のご飯をどうするか。
空前絶後の高波が、わたしたち姉妹の目前に迫っていたんだ。


           −=*=−


「美菜ちゃん、大丈夫かい?」

「今のところはなんとか……」

「でも、未成年二人でしょ?」

「そうなんですよね。でも、わたし高校だけはどうしても出
ときたいんです」

「そうだよねえ」

親がいるのが当たり前の友達は、同情はしてくれても生活の
足しにはならない。それはしゃあないわ。
がっかりだったのは、まるっきり塩対応の先生たち。
わたしの席に、わたしじゃなくぬいぐるみが置いてあっても
気がつかないんちゃう? なんだかなあ。

民生委員さんとか市の福祉課の人は、相談には乗ってくれる
けどしょせん他人事。
一番親身にわたしたちの行く末を心配してくれるのがバイト
先のパートおばちゃんてところで、世の中ってのがどうなっ
てるのかよーく分かった。

だけど。
薄情な世の中だってごちゃごちゃ文句言ってる暇なんかこ
れっぽっちもないわけで。
波に飲まれる前にそいつを乗り越えないと、明日が来ない。

幸い、パパが死んだ時に万一に備えて始めたお惣菜屋さんで
のバイトは、ハードだけどお給料がいい。
どうしても今の高校にしがみつかなきゃならない理由はない
から、通信制に切り替えて高卒資格はそっちで取る。
美沙にも、同じやり方で行こうよって振ってある。
あの子もしっかりしてるから、嫌だとは言わないだろう。

孤児。頼るあてがどこにもないこと。
それをネガに取れば、どこまでも救いがない。
でもパパやママがそうだったように、親や親戚から来る制約
は何もないんだ。そんな風に、ポジティブに考えたい。

どうしても切羽詰まったら家を売るしかないけど、まだなん
とかなるだろう。
家がある分、どこにも行き場のない子よりずっと恵まれてる
と考えたい。

今後の作戦を考えながら作業場でせっせと手を動かしていた
ら、店長がすうっと寄って来た。

「中野さん」

「はい!」

「フルタイムへの切り替えの話ね、おっけーよ」

「やりいいいっす!」

「まじめに、しっかりがんばってくれてるからね。私も助か
る」

「はい!」

「お給料のことはまた相談しましょ」

「ありがとうございます!」

よし!
このバイト先は、今勤めている人たちがみんないい人ばっか
でとても働きやすい。
わたしにとっては、がらんどうの実家よりも、今働いてるこ
こが大事な家と船になる。

まず、最初の大波を越えないとね!



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(ギンヨウアカシア)



最初の大波を越えたら、そのあとは覚悟してたほどの波は
襲って来なかった。

わたしも妹も働きながら高校だけじゃなく大学まで出て、そ
の後一般企業への就職を勝ち取った。
わたしだけなら、ここまでがんばりが続いたかどうか分から
ない。お互いを真剣にど突きあえたからこそ、今のわたした
ちがあるんだろう。

だから姉妹という寄る辺と枷が外れたら、これからどうなる
のか分からないっていう不安はある。
でも、わたしたちは別々に進むことにした。

妹には、もうカレシがいる。
きっと、近いうちに結婚ていう話になるだろう。

価値観や家庭環境の違う二人が生き方を擦り合わせていくな
ら、感覚がぴったりマッチするわたしがいつまでも寄り添っ
てるのはまずいんだ。
今度はわたしとではなく、カレシと二人で大波小波を乗り越
えていって欲しい。

そして、わたしは生活の軸を海を越えたところに置くことに
した。
うちの社初の海外支店開設。そのオープニングスタッフに応
募して、採用されたんだ。

波の向こうに、わたしの新しい未来がある。
そして、わたしはもう『わたし』という船の上にいる。

わたしは……取り壊されて更地になった実家の跡を妹と眺め
ながら、自らの船出を祝った。

「さて、そいじゃ行くわ!」

「お姉ちゃん、体に気をつけてがんばってね」

「おうよ!」





Over The Waves by Bert Kaempfert & His Orchestra