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 第17話 オープン 2


(1)


私が最初に出した札は、ものすごく強力ではあるけど、決し
て切り札ではない。
私が特殊な性を持っているということは、一番肝心な母と植
田さんには既知のこと。
今更オープンにしたところで、何の意味もないんだ。

一枚目の札は、みんなの注目を集めて私に強い関心を持って
もらうためのもので、本筋にはあまり関わらない。
それより……私と母とのやり取りの時に第三者が同席してい
るという状況が、どうしても欲しいんだ。
一枚目は、そのための撒き餌と言ってもいいかもしれない。

母の感情爆発。植田さんの理詰めの説得。二人はとても強力
なツールを持ってる。タッグを組んだ二人にそのツールを使
われると、私は太刀打ち出来ない。
二対一になる状況だけは、どうしても防がないとならない。
だから、二人に強い心理的圧力をかけられる第三者の存在が
どうしても不可欠なんだ。

ふう……。出さないで済むなら出したくなかった二枚目の札
を、ここで使わざるを得ない。
それは一枚目と逆で、お客さんたちには大した意味はない。
でも、私が鶏小屋を破壊するには、どうしても必要なんだ。

私はデイパックから茶封筒を出して封を切り、畳まれていた
紙片を引っ張り出した。

「私の知能がずっと小学校低学年のままなら、特に何も考え
なかったかもしれません。でも、私は天才ではないけど、精
神薄弱でもないんです。知的好奇心はあるし、前沢先生に教
わってずっと勉強し、『知識としては』いろんなことを知っ
てます」

「だから、自分が異端視されるリスクは分かりますが、その
リスクを負ってでもいずれ鶏小屋を出ないとならないってこ
とは意識するんです」

ぐるっとみんなを見回す。

「自立前提で自分の置かれている環境を見たら、鶏小屋に強
い不満を感じるのは当たり前でしょう?」

「せやな」

店長が、うんうんと頷いた。

「そしてね。不満ていうだけじゃない。それがものすごく奇
妙で不自然だっていうことにも気付いてしまうんです」

「奇妙? なんで?」

そう突っ込んだメリーが、ぐらっと巨体を傾けた。

さあ。いよいよだ。覚悟を決めて、強く胸を張った。

「私が閉じ込められてた鶏小屋には、飼育員が三人しかいま
せんでした。母、植田さん、前沢先生。ねえ、それってどっ
かおかしくありません?」

「……」

し……ん。
全く見当が付かない人。
なんとなく勘付いてるけど、口に出さない人。
いろいろなんだろう。

「まずおかしいのは、そこに父がいないことです。私は父を
知らないんですよ」

「ああ、ほうか」

「ええ。夫婦の三組に一組は壊れる時代ですから、バツなら
ば珍しくもなんともない」

「そうよね」

メリーが、どんと足踏みした。今シングルというだけで、メ
リーにも何か同じような経験があるのかもしれないね。

「でもね、それなら母が専業主婦としてずーっと家にいるっ
てことが、どうにもこうにもおかしいんです」

「あ!!!」

ざっ! へたり込んでる母と植田さん、前沢先生を除いて、
全員が立ち上がった。

「でしょ?」

私は、一人一人にゆっくり視線を送った。

「私から目を離すと、鶏小屋を脱走しかねない。でも、母が
私に密着して常時監視するには、どうしてもどこかに財源が
いるんですよ。もし父が私と母を捨てて離婚し、慰謝料や養
育費を払っていたとしても」

ぴっ! 母を指差す。

「それが十年、十五年保つとは、とても思えないんです」

「ないね!」

メリーが、びしっと否定した。

「ありえんよ。あんたの親父がアラブの大富豪っていうなら
ともかくね」

「ですよね。じゃあ、私と母の生活費はどこから出ていたん
でしょう?」

「……」

「しかも、カウンセラーとして植田さんを、かてきょとして
前沢先生を雇ってる。そのお金はどこから? どこから出て
るの?」

ざわざわざわざわっ……室内がせわしなくざわついた。

「ずっと家にいて、ほとんど外出することがない母。その母
が自宅で出来る事業や仕事でお金を稼いでる? うーん。私
には、どうしてもそういう気配を感じることが出来ませんで
した」

「母は、いつも家事をこなしていました。それ以外に母が何
かに熱中している姿というのを見たことがないんです。じゃ
あ、なぜその生活が破綻なく維持できるの?」

し……ん。

「もう一つ、違和感を抱いたことがあります。カウンセラー
の植田さんは、臨床心理士の資格をお持ちで、企業のメンタ
ルヘルスケアに関するアドバイザーを務められています。と
ても忙しい方なんですよ」

「その忙しい植田さんが、必ず毎日うちに来て私のカウンセ
リングをしていく。有料で企業のアドバイザーをされてる方
が、お金にならないうちの仕事を本気でやりますか?」

「ああ……なんか、変やな」

「でしょ? 奇妙なことはまだあります」

私は、前沢先生に視線を移した。

「私に勉強を教えてくれていた先生は、私とは七、八歳年が
離れています。つまり鶏小屋に来始めた頃の先生は、ちょう
ど高校に入られたくらいの年齢。でもね、先生が私の勉強を
見てくれていた時間帯は、ずーっと昼だったんですよ」

先生は、私の指摘に完全に言葉を失っていた。

「前沢先生が、鶏小屋のメンバーとして私の教育をしていた
八年ちょっと。その間のパターンは、ほとんど不変なんです」

すっと先生を指差す。

「そのパターンが崩れたのが三年前。先生は突然かてきょを
お辞めになった。そして、その辞めるタイミングが私にはど
うにも不可解だった。大学進学、卒業、就職。そういうライ
フサイクルの節目に当たっているような感じが……一切しな
かったからです」

一度話を切って、ふうっと一息つく。
それから顔を上げて、手にしていた紙片をすうっと持ち上げ
た。

「私がいつまでも小さな子供のままではいられなかったよう
に。最初は母の懸念からはじまった鶏小屋のスタイルも、ど
んどん変わっていった。そう考えると、私が奇妙だと思って
いたことにも全てに理由があるって、納得出来るんです」