tzttl



最終章 梅雨寒


(4)


二時間残業して、七時くらいに最後に社屋を出た。

雨は、まだずっと降り続いてる。
傘を開く前に、何も見えない夜空を見上げた。

雨は何もないところから落ちてくるように見えるけど、実際
はそうじゃない。上空に雨雲があって、そこから降り注いで
るんだ。

いいことでも悪いことでも、それは全部偶発的に起こること
ばかりじゃない。
原因があって、そこから必然的に起こることの方がずっと多
い。

今回僕やたみがインフルにかかってしまったことは、単なる
アクシデントのように見える。
だけど実際には、ウイルスを持ってた人に接触したことで必
然的に感染したんだろう。

僕もたみも、これまで自分の望まない環境を受け入れること
で生き延びてきた。
それは運命だから、自分にはどうにも出来ないことだから。
そういう……無力感に苛まされながら。

でも……。
そろそろ、寒さに耐えるだけの震え続ける生き方を変えない
とならない。

熱を熾せ!
降りしきる雨は、僕を冷やすんじゃなくて、逆に煽り立てる。

梅雨寒。
専務が言ってたみたいに、季節の境目にはどうしても行きつ
戻りつがある。
でも、だからと言って時間の進み方が真逆になることはない。

冷たい雨が一時降っても、それで真冬に戻ることはもうない。
もう……ないんだ。

これから夏が来る。どでかい熱の塊が押し寄せる。
僕は……その熱に一方的に炙られて、乾いて萎れたくない。
インフルでぶっ倒れてた時みたいな、あんな惨めな思いを二
度としたくない。

熱を押し返すには、熱が要る。
たみとのことも。かっちゃんのことも。
そして……僕自身のこれからのことも。

その場その場をただ凌いでいくだけじゃなく、僕が灯火を目
前に掲げることが……その熱を作ることが……どうしても必
要になる。

季節の足取りがまだ不安定なうちに、少しずつ火を熾そう。
暑くなってしまってからじゃ、気力が萎える。

寒ければ、寒くならないようにすること。
その当然のことを……もっとしっかり意識しよう。
この、梅雨寒のうちに。



tz13



「たみー」

たみは今朝無理を押して出勤して行ったけど、どうだったの
かな?

心配だった僕は、屋台で買ったたこ焼きを手に、たみの部屋
のドアをノックした。

「あ、トシ?」

こそっとドアを開けたたみ。顔色が……よくない。
まだ回復したって言える状態じゃないな。

「無理したんじゃない?」

「うん……正直、今日はしんどかった」

「大丈夫?」

「明日は、午前中休ませてもらうことにした」

ほっとする。

「そうだね。ずっと根詰めてたし、体を休ませなきゃ。晩ご
飯は?」

「軽く」

「たこ焼き買ってきたけど、食べる? 焼きたて」

「わあい」

腕を取ったたみに、部屋に引っ張り込まれる。

「お茶いれるー。座って」

「うん」

まだ熱々のたこ焼きに舌鼓を打ちながら、僕らはいつものよ
うに他愛ない話を始めた。

それは、当たり前のように見えて当たり前じゃないこと。
僕かたみが口を閉ざせば、会話はいつでも途切れる。

……途切れてしまう。

そうしたら、沈黙の間を雨音が埋め立てて僕らの心を冷やす
だろう。

ふと窓に目を向けたたみが、ぽつんと漏らした。

「かっちゃんは……大丈夫かなあ」

「うん……」

この梅雨寒が、降りしきる雨が、かっちゃんの心の芯まで冷
やしてしまわなければいいな……。

僕は、そう祈るしかない。
今は、そう祈ることしか出来ない。

会話が途切れた。
途端に部屋を埋め尽くす雨音のノイズ。

僕とたみは、座卓に肘をついたままじっと雨音を聞き続けた。



  *** FIN ***




The Rain Song by Led Zeppelin