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最終章 梅雨寒


(1)


タミフルがよく効いて、火曜日の昼には体温が平熱近くまで
下がったんだけど、なんと火曜日の夜にたみが発症し、どか
あんと発熱してしまった。

だから僕に近付くなって警告したのに……とは言えないのが
辛い。たみは、本当に献身的に看病してくれたから。

藤野さんに嘘を吐くのは嫌だったけど、まだ体調が思わしく
ないということにして、火曜と水曜はたみに付き添ったんだ。

わたしの調子の悪い時には、トシがおかゆ作ってくれる?
たみの言ったことが、すぐにそのまま現実になった。

たみと違って、僕はほとんど炊事なんかしたことがない。
横手さんにおかゆの作り方を聞きに行ったら、そんなのレト
ルトのを買って温めればいいのにって。

そうなんだけどさ。
でも……僕は、やっぱりおかゆの味をたみにも分かって欲し
かったんだ。
誰かが親身に気遣ってくれる。その味は、格別だってこと。

いつの間にか偉そうな態度に戻っていた園部さんにどやされ
どやされ、それでもなんとかおかゆを炊き上げて、たみの部
屋に持って行った。

僕が、たみの作ってくれたおかゆを本当においしいと感じた
みたいに、たみも僕の作ったおかゆを何度もお代わりしてく
れた。

おいしい、おいしいって。泣きながら。

「なあ、たみ」

「うん?」

僕と同じようにタミフルがよく効いて熱が下がったたみが、
ヒエピタを額に貼ったままくるっと振り返った。

「たみのはさ。僕からうつったんじゃなくて、僕より発症
が遅かったんちゃうかなあ」

「じゃあ……どこでうつされたんだろ?」

「かっちゃんとこだと思う」

「あ……なるほどー」

「あそこの園にいる子の誰かがかかってて、それをもらって
来ちゃったんじゃないかなあ」

「うん。じゃあ、かっちゃんもヤバいかも」

「そうなんだよね。職員の人がいるから、もしかかってもちゃ
んと看てくれるとは思うけど……」

「……」

たみが黙っちゃった理由。
僕は、よーく分かる。

僕もたみも、これまで寝込んだ時におかゆを食べさせてくれ
る人が誰もいなかった。
でも僕らはこうして出会って、今はお互いにおかゆを炊いて
あげることが出来る。

だから、おかゆはおいしいなと感じるんだ。
それはおかゆそのものの味じゃない。おかゆにこめられた心
配と励ましの味だ。大丈夫? 早く元気になろうねって。

でも、かっちゃんには。
もしインフルで熱を出しても、おかゆを食べさせてくれる人
がいない。
いや、園の職員さんはきっと食べさせてくれるだろう。
でも、それはかっちゃんの欲しいおかゆではないんだ。

ママが心をこめて炊いて、食べさせてくれるおかゆではない
から。

普段はどんなに怖くても、調子の悪い時にはちゃんと寄り添っ
て看病してくれるのが親なんだろうと思う。
でも、たみはそうしてもらったことがない。
僕にはそうしてもらえた記憶がない。

かっちゃんは?

どんなにひどい親でも、子供のことをほんの少しでも思いや
る瞬間があれば、子供の心にその時にしてくれたことが強く
焼き付いて残るはずだ。
そして、かっちゃんにもそういう素振りが見えた。

かっちゃんの母親の場合、最初から最後までずっと鬼ってい
うわけじゃなくて、何かの弾みでブレーキが外れて態度が豹
変し、制御が効かなくなるんだろう。

かっちゃんの中では、母親イコール怖い人であっても、母親
イコール敵ではないんだ。
それがなんとなく見えてたから、前に面会に行った時に母親
との重ね代を確保したんだよね。

僕は……親にケアをねだったことも、親のケアを嬉しいと思っ
たこともない。そういう記憶がない。
愛情にとことん飢えてるたみとは、そこが徹底的に違う。

たみが愛情欠乏症だとしたら、僕のは愛情不感症。
とても……噛み合いそうにない。

でも。

僕は、今回インフルにやられたことで、おかゆの味が分かる
ようになった。それは心の味だってことを。

そんな風に。いずれ治癒するインフルと同じで、僕らの変な
病気も少しずつ治っていくんじゃないかな。
いや……そうだといいな。

「トシ、どしたの? 百面相して」

「あ……」

しかめ面になったり、薄笑いを浮かべたり。
僕の表情は、ころころ変わっていたんだろう。

「いや……たまには風邪を引くのも悪くないなと思ってさ」

「ううー、わたしはこりごりよう」

ふうっとまだ熱を帯びた吐息を漏らしたたみが、よろっと立
ち上がって僕の真横にぺったりくっついた。

「うふふ」

「どした?」

「ローリーにいた時にさー」

「うん」

「先輩たちがカレシ、カノジョを自慢するのが、なーんか腹
立ってさー。そんなん、どこがいいのって」

「……」

「でも、今なら分かる。わたしも自慢したい」

「こらこら」

「うふふ」

悪戯っぽく僕の顔を見上げたたみが、僕にとんでもないこと
をねだった。

「抱っこー」

ずどん!

おいおいおいおいおい。




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Let It Rain by David Nail