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第三章 処方箋


(2)


「藤野さんですか? 弓長です」

「ああ、どうだい? 体調は?」

「しゃれにならなかったので、病院に行きました。インフル
でした。B型だそうです。今、体温が39度台です」

「インフルー!? 今時ぃ!?」

絶句してる。絶句したいのは僕の方だよ。

「タミフル出してもらったので、熱はじきに下がると思うん
ですが、他の方にうつしたくないので明日は休ませてくださ
い」

「当然だ。絶対に出てくるんじゃないよっ!」

「すみません……」

「いや、まだインフルでよかったさ」

「明日の分は土曜に振り替えてください。一日出ますから」

「大丈夫かい?」

「自分でケツを叩かないと……引きこもりの虫が疼き出すの
で」

「ふむ……」

藤野さんは激しくどやすでも、慰めるでもなく、淡々と言っ
た。

「えっちゃんが後でごたくそ言いそうだから、出て来れるよ
うになったら診断書渡しといて」

「はい。お医者さんに書いてもらいました」

「うん、それは助かる。お大事にね。出来れば、明日も経過
を電話して」

「そうします」

「頼むね」

「はい」

ぷつ。
ふう……ちゃんと出来るじゃん。

最初から何もかも完璧にはやれない。
でも、動かせるところから少しずつ自分の修理を始めていか
ないと……崖っぷちから動けなくなる。

ばたっ。

ベッドに上に倒れこんで、服を着たままタオルケットを羽織
る。

まだ悪寒が収まっていない。発熱も関節痛も続いてる。
僕の悪夢は……まだ続いてる。

「早く……たみが帰ってこないかな……」

天井をぼやっと見上げているうちに、いつの間にか意識が途
切れた。



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僕には、インフルどころか普通の風邪で寝込んだ記憶もない。

それが、本当にかかっていないのか、かかったことはあるけ
ど覚えていないのか、分からない。

僕の両親は、生まれた時から僕を見放していたわけじゃない。
少なくとも小学生の年齢までは、僕をどうにか学校に行かせ
ようとあの手この手だったんだから、親が子供に対してする
ケアがゼロっていうわけじゃなかったんだと思う。
僕の体調が悪い時に、看てくれたこともあったんだろう。

でも、僕はそれを一つも覚えていない。
大勢の人がいる中に出て行く機会がなければ、そこで病気を
もらってくることもない。
僕は、事実として体調を崩すことがあまりなかったんだと思
う。

僕が親から完全に突き放されたハイティーンの頃には、風邪
ぐらいは引いていたのかもしれない。
でも、どのみち僕はほとんど部屋に引きこもっていたから、
自室にいる時間が長いか短いかの違いだけで、それほど実生
活に影響がなかったんだ。

誰かが家にいること。そこに常に人の気配があること。
僕は、それをタダだと思っていた。
意識をしなくても、自由に吸って吐き出せるクウキのように。
そして、もし僕が危機的な状況に陥っても、僕には自力で解
決するつもりがなかったんだ。その時は、家に逃げ込めばい
いって。

親が何かしてくれるわけじゃないのに、それに対する備えが
まるっきり出来てなかった僕。
甘え、怠け、自己中、ダル……ぐだぐだな僕をどういう表現
を使って説明しても、それが僕に何か解決をもたらしてくれ
るわけじゃない。

僕に必要なのは、処方箋なんだ。

僕の病気。
外敵も何もいないのに、亀のように手足も頭も引っ込めてす
ぐ動かなくなってしまうこと。
この死に至る恐ろしい病魔をどうやったら僕から追い出せる
のか、治療方法を指示してくれる処方箋が欲しい。

でも……処方箋を僕に示してくれる人はいない。
僕の処方箋は僕にしか書けないんだ。
それは、僕にとっての恐怖であり、同時に救いなんだろう。

生きるために無条件に群れに組み込まれること。
それは、僕自身を失う最悪の結末。
一方で、僕は生き延びるために自分が使えるものを勝手に利
用してきた。それは、本当は僕のものじゃないのに。

自分を取り崩さないために、他者を平気で切り崩す。
どこかで、そんなどうしようもない自己矛盾を終わらせない
とならない。その方法を自力で見つけることが……僕にとっ
ての処方箋になるんだろう。

僕は……かっちゃんに面会に行った時のことを思い出す。
たみはかっちゃんに、きっと楽しいことが見つかるよって言っ
たんだ。そうだね。僕も、そうだったらいいなと思う。

でも、僕はまだかっちゃんにそう言えない。
僕自身が、楽しいことを探す前にまず生きなくちゃならない
から。

今日は無理なく生きられたし、明日もその先もずっと生きて
いけると確信出来れば。
そこで初めて、僕は最初の処方箋を破り捨てることが出来る。
どうやって生き延びるかっていう処方箋を。

楽しさや幸福を探すっていう処方箋は、その次なんだ。

……僕にとっては、ね。


           -=*=-


「ふうっ」

それは、夢のようで夢ではなかったんだろう。

目を開けた僕の視界は、すでに闇でほとんど埋まっていた。

隣の部屋から物音がしないから、たみはまだ帰ってきてない
みたいだ。手のかかるお客さんがいたのかな?

「……」

今日、僕がずっと見ていた夢。
それは、紛れもなく悪夢。

でも、僕はそれからずっと目を逸らしていたんだ。
それは本当は夢じゃない。僕が考えて、決めて、実行に移さ
なければならなかった、僕の生き方。

僕がそれを悪夢だと感じてしまう限り、そいつはいくら考え
ても結局悪夢のままで終わる。現実を動かす力にはなりえな
い。
どんなにうだうだ考えたところで、それで自分で指針を決め
て実行に移さないと、考えたことが僕を、そして僕の生き方
を変えてくれることはない。

永遠に……悪夢のままだ。

僕が、過去のイベントを感情の色が着いた形で覚えていない
こと。
それは、僕が何も覚えていたくないから。覚えていても、僕
が生きる役には立たないから。
僕は『感情』を忘れるという形でしか、自分を確保出来なかっ
たんだ。

そして、これからも僕がずっとそのままなら。
……いずれ僕は破綻する。

たみは、僕が冷静沈着だと思ってる。信じ込んでる。
違うよ。僕の感情は、ほとんど壊れてるんだ。

隠してて、出せないんじゃない。
元々ないから、出て来ない。

でも一葉館に来て、たみとやり取りするようになって。
本当にうっすらとだけど、僕にも新しい感情が生まれてきた
んじゃないかと思う。

それは取り戻した感情じゃない。新しく出来てきたんだ。
僕は、それだけは大事にしたい。壊したくない。

きっと。
『生きる』の次の処方箋は、そうやって書き綴られていくん
だろうと。

そう思うから。





Please Don't Stop The Rain by James Morrison